※「家慶(いえよし)」と「(状況が)良し」をかけ、借金と外国船のダブルパンチで全然「良くない」状況だったことを表しています。
この人物が政治をしていた時期のイベントについて説明します。タイトルの約束どおり、「贅沢(ぜいたく)三昧(ざんまい)だった前社長(父)」からボロボロの会社(国)を引き継いだリーダーが、必死の経営再建(天保(てんぽう)の改革(かいかく))に挑むも失敗し、さらに海外から「黒船」という巨大な黒塗りの営業車が押し寄せて大パニックになった時のお話です。
徳川家慶(とくがわいえよし)はどんな人?
今からおよそ190年前、江戸時代の終盤に日本のリーダーをしていた男性です。 江戸幕府の第12代将軍として、およそ16年間にわたって、200年以上続いてきた幕府の崩壊(ほうかい)フラグが立ちまくる難しい時代を任されました。 自分では決められず「そうせい(その通りにせよ)」と部下に任せきりだったと言われながらも、日本が「鎖国(さこく)」を解いて世界に放り出される直前の、最もピリついた空気の中にいた社長です。
登場する地方や国について
どのくらいの時代?
その1:パパの「ツケ」でパンク寸前のトップ就任
徳川家慶は、将軍の座を継いだ際にこう考えました。
彼は、前代の放漫(ほうまん)経営による巨額の赤字と、社会不安を解消するために、厳しい改革を断行(だんこう)しようとしました。
これは例えば、「先代の社長が会社の経費でパーティーばかりして作った莫大な借金を引き継いだ新社長が、倒産を避けるために、社外から『鬼の再建コンサルタント』を招いて、社員の私生活まで制限するような超絶ブラックな節約ルールを導入させた」ような状況です。
なかなか頼りないスタートではありますが、家慶はさらにこう考えました。
その2:遊びもオシャレも「出禁(できん)」のスパルタ経営
それを踏まえた上で、家慶(と水野)は具体的な経営再建プランを打ち出しました。
彼は「享保(きょうほう)」や「寛政(かんせい)」の改革を手本にして、徹底的な節約と風紀(ふうき)の取り締まりを行いました。
これは、「経営難を理由に、社長が『今日から社内での私語禁止、飲み会禁止、スマホもSNSも禁止! 地方出身者は今すぐ実家に帰って農業を手伝え!』という、時代錯誤(じだいさくご)な精神論マニュアルを全社員に強制している」ような状況です。

相当なドン引きの厳しさですが、この理想を掲げた上で、家慶(と水野)はついに取り返しのつかないミスを犯します。
その3:支店長(大名)の「デスク」を無理やり奪ってクビ
この方針を維持しようとした水野は、ついに大名たちの地雷(じらい)を踏みました。
彼は幕府の権威を強引に高めようとして、江戸や大坂周辺の領地を没収(ぼっしゅう)しようとしましたが、これには身内の大名たちも猛反発(もうはんぱつ)しました。
これは、「社長が突然、『本社ビルの周りにある部長たちの個室は全部俺が使うから、お前らは今日から地下室に移動な! 文句あるなら辞めろ!』と宣言して、社内中に敵を作ってしまった」ような暴挙です。
かなり情けない幕引きですが、この混乱の最中、外の世界から「最悪の客」がやってきます。
その4:港に現れた「黒塗りの巨大戦車(黒船)」
国内がガタガタになっているところに、ついに歴史が動く大事件が起きます。
1853年、アメリカのペリーが巨大な軍艦で現れ、日本に開国を迫りました。これが有名な「ペリー来航」です。
これは例えば、「アナログな経営で細々とやっていた小さな会社に、世界NO.1の超巨大企業(アメリカ)がフル装備の武装営業マン(ペリー)を送り込み、『今日からうちと契約しろ。さもなければ会社ごとぶっ潰すぞ』とデスクを叩いて脅している」ような絶体絶命のピンチです。
相当な後味の悪さを残す結末ですが、家慶はペリーへの回答を出す前にこの世を去り、幕府の運命は次の世代へと丸投げされることになりました。
総括
結果:徳川家慶は、ボロボロになった幕府の財政を立て直すために「天保の改革」を行いましたが、あまりに厳しすぎて民衆の支持を失い、さらに大名たちの反発を買った「上知令」の失敗によって、幕府のリーダーシップはズタズタになりました。その弱りきったタイミングで「黒船」という外圧(がいあつ)に直面し、有効な対策を打てないまま、幕府の権威はいよいよ崩壊(ほうかい)へと向かうことになりました。
一方:この時代の「あまりのヤバさ」が、地方の薩摩(さつま)藩や長州(ちょうしゅう)藩といった若い世代に「今のままじゃ日本が危ない!」という強烈(きょうれつ)な危機感(ききかん)を植え付けました。家慶が招いた失敗と混乱こそが、皮肉にも日本を「近代国家」へと無理やりアップデートさせる明治維新(めいじいしん)への、巨大なエネルギーとなったのです。
まとめ:徳川家慶の意義
- [天保の改革の失敗] :時代遅れの極端な節約と統制を行ったが、現場の反発を招き、幕府の限界を世間に露呈(ろてい)させた。
- [上知令による権威失墜] :大名から無理やり領地を奪おうとして大コケし、幕府と大名の主従関係を修復不能なまでに壊した。
- [「黒船」による開国圧力] :ペリーの来航によって200年の鎖国システムが崩壊し、幕府が独断で物事を決められない時代に突入した。
最後に、この「絶体絶命のバトン」を受け取った阿部(正弘(まさひろ))くんたちが、朝廷や大名に意見を聞くという「挙国(きょこく)体制(たいせい)」を作りますが、それは幕府が自分たちで何も決められなくなったことの証明でもあり、幕末の動乱が本格的に始まりますが、それはまた別のお話。
この出来事が今後どう評価されるかは、まだ分かりません。 以上、いえよし(家慶)でも「よし(良し)」と言えない!? 崖っぷち幕府と「黒船」の衝撃でした。
理解度確認テスト
Q1. 徳川家慶の時代に水野忠邦が行った改革は何ですか?
A. 天保の改革
Q2. 大名の領地を幕府に返させようとして失敗した命令は何ですか?
A. 上知令
Q3. 1853年に浦賀へ来航したアメリカの人物は誰ですか?
A. ペリー
用語対応表
- 江戸幕府の12代社長 → 徳川家慶
- 家慶のパパで、贅沢好きだった11代社長 → 徳川家斉
- 家慶に抜擢された、鬼の再建コンサル役員 → 水野忠邦
- 遊びや贅沢を一切禁じた超スパルタ社則 → 天保の改革
- 江戸周辺の支店(領地)を無理やり没収するルール → 上知令
- 1853年にやってきたアメリカの巨大な黒塗り戦艦 → 黒船(くろふね)
- アメリカからの武装営業マン → ペリー
- 黒船がやってきた江戸の港 → 浦賀(うらが)
- 飢えや寒さで多くの人が亡くなった大ピンチ → 天保の飢饉(ききん)