※「加藤(かとう)」と、平和を目指す仲間の「友(とも)」をかけ、世界の国々と協力して軍艦を減らすという難しい決断をしたことを表しています。
この人物が政治をしていた時期のイベントについて説明します。タイトルの約束どおり、海軍のトップでありながら、世界との約束を守るために自分の自慢の軍艦をガリガリ削る「スリム化(軍縮)」を断行し、さらにおカネばかりかかっていた隣国への出張(出兵)も終わらせて、会社(国)のサイフを必死に守ろうとした時のお話です。
加藤友三郎はどんな人?
今からおよそ100年前、広島県出身で日本の第21代社長(内閣総理大臣)をしていた男性です。 海軍の大将という最強の肩書きを持ちながら、世界の一流企業(列強)との会議で「軍艦を6割まで減らす」という驚きの契約を結んだ実務派プロデューサーです。 「調整型の軍のトップ」として、前任者の急死でガタついた政権を引き継ぎ、国際協力の道を切り拓いた平和へのキーマンです。
在職期間:加藤内閣は1922年6月12日から1923年8月24日まで、首相官邸の数え方で440日間です。加藤は首相と海軍大臣を兼ね、在任中に死去しました。
登場する地方や国について
どのくらいの時代?
その1:世界の「平和パーティー」で大人の約束
加藤友三郎(かとうともさぶろう)は、社長になる前からお隣のアメリカで行われた会議でこう考えました。
何をしたのか・どうなったのか
彼は、1921年から始まったワシントン会議に代表として出席し、海軍の主力艦(戦艦)の保有量を制限することに同意しました。
1922年2月6日に調印された条約で、アメリカ・イギリス・日本の主力艦総トン数比率を5:5:3としました。日本は米英の60%であり、保有艦そのものを一律「6割削減」したという意味ではありません。
これは、「業界全体が『警備員(軍備)を雇いすぎて倒産しそうだから、お互いに警備員の数を減らして経費(軍事費)を節約しようぜ』と話し合っている中で、社長が『うちはもう無理な拡張はしません、ガードマンも減らします!』と大手取引先に宣言して、信用を勝ち取ろうとしている」ような状況です。
なかなかパンクな判断ではありますが、加藤はさらにこう考えました。
その2:自慢のコレクションを「スクラップ」にする勇気
ワシントンでの約束を成立させた加藤は、ついに社長に就任し、実行に移しました。
何をしたのか・どうなったのか
彼はワシントン海軍軍縮条約に基づき、日本海軍のスリム化を断行しました。これは、前任の高橋是清が進めようとして失敗した「支出の引き締め(緊縮財政)」を、軍人の立場から強力に進めたものです。
これは例えば、「最新型の高級車(戦艦)を何台も買う計画をキャンセルし、今持っている車も下取りに出して、その浮いたお金で会社の借金を返そうとしている」ような切実な経営改善です。

相当なしぶとさを見せる決断ですが、この理想を掲げた上で、加藤は「外での後始末」にも着手します。
その3:お隣の不毛な喧嘩からの「全員撤収」
外での信頼を取り戻すため、加藤は長引いていたトラブルにもケリをつけました。
何をしたのか・どうなったのか
彼は1922年、他国の軍が去った後も続いていたシベリア出兵を終わらせ、日本軍を完全に引き揚げさせました。
撤兵の範囲:沿海州からの撤兵は1922年10月に完了しました。ただし北樺太には尼港事件の保障問題を理由に駐兵が続き、撤退は日ソ基本条約後の1925年です。「完全撤兵」はシベリア本土・沿海州についての説明です。
これは、「近所の他社のトラブル(ロシア革命)に首を突っ込んで雇い続けていた用心棒たちが、コストばかりかかって成果が出ないのを見て、社長が『もうこのプロジェクトは失敗だ!』と判断し、全員を本社に連れ戻した」ような、冷徹ながらも正しい損切りです。
かなり合理的な判断ですが、この理想を掲げた上で、ついに加藤は「予期せぬ幕引き」に直面します。
その4:会社の再建途中で「社長の急死」という悲劇
スリム化を進め、ようやく安定し始めた矢先、最悪の事態が起きました。
何をしたのか・どうなったのか
財政再建や国際協調を推し進めていた加藤ですが、在任中に病気(大腸がん)が悪化し、1923年、一度も社長の椅子を誰かに譲ることなく、現職のまま亡くなってしまいました。
これは例えば、「不採算部門をリストラして、さあこれから黒字化を目指すぞ!という勝負の時に、実行責任者である社長が病気で突然帰らぬ人となってしまった」ような、非常に無念な結末です。
{相関図の概要案:中央で倒れる加藤友三郎。その手からこぼれ落ちる「財政再建」の書類。背後では、突然の社長不在にパニックになる政友会の役員たちと、その直後に襲いかかる巨大な「関東大震災」という黒い影の図}
以下の「最期の言葉」は記事上の演出です:山本権兵衛へ直接この言葉を遺したことを示す史料は確認できません。加藤死去後は内田康哉が首相職を臨時兼任し、関東大震災後に第2次山本内閣が成立しました。
相当な後味の悪さを残す幕引きですが、この加藤友三郎の「スリム化経営」こそが、日本が国際社会での信用を保つための、ギリギリの防波堤となっていたのです。
総括
結果:加藤友三郎は、ワシントン会議での軍縮条約を誠実に実行し、巨大軍艦の削減やシベリア撤兵を実現させました。これにより、日本は欧米列強と肩を並べる「国際協調のリーダー」としての地位を確立し、不景気でパンク寸前だった国家財政をスリム化して立て直すことに成功しました。
一方:軍艦を削るという決断は、海軍内部の若手や強硬派に「国防を弱めた裏切り者」という強い不満を植え付けてしまいました。この「軍縮への恨み」が、のちに軍部が政治に対して牙を剥き、ワシントン体制をぶち壊そうとする暴走を招くという、非常に重い負の遺産となってしまった面もあるのです。
まとめ:加藤友三郎の意義
- [国際協調の完遂] :ワシントン会議の合意を守り、世界の一流企業(列強)との平和的なルール(ワシントン体制)を確立した。
- [軍事費の大胆カット] :海軍トップの身分でありながら、主力艦の制限やシベリア撤兵を行い、国のサイフを守るためのリストラを成功させた。
- [調整型リーダーの限界] :在任中の病死により、彼が目指した「節約と平和」のバランス経営は未完成のまま次世代へと投げ出されることになった。
最後に、この「スリム化の天才」が去った直後、会社(日本)を未曾有の大災害(関東大震災)が襲い、バトンを受け取った山本権兵衛が混乱の真っ只中で必死に舵取りをすることになりますが、それはまた別のお話。
この出来事が今後どう評価されるかは、まだ分かりません。 以上、加藤とトモ(友)に軍縮! 巨大戦艦を捨てた大人の引き際でした。
理解度確認テスト
Q1. 加藤友三郎が代表として出席し、海軍の軍縮に同意した、アメリカの首都で開かれた国際会議は何ですか?
A. ワシントン会議
Q2. 加藤内閣が1922年に断行した、長年おカネと兵士を使い続けていたロシア地域からの軍隊の引き揚げを何といいますか?
A. シベリア出兵の停止(またはシベリア撤兵)
Q3. 加藤内閣で日本が保有量を「アメリカやイギリスの6割」に抑えることを約束した、当時の最新で巨大な軍艦の種類のことを何といいますか?
A. 主力艦(または戦艦)
用語対応表
- 内閣総理大臣(加藤友三郎):21代目の社長
- 軍縮:巨大なガードマン軍団の削減
- ワシントン体制:世界の平和ルール
- 主力艦:巨大な最新型戦艦
- シベリア出兵:おカネがかかる他社への出張
- 緊縮財政:サイフを締めるドケチ政策
- 高橋是清内閣の継承:20代目の社長からの引き継ぎ
- 元老:社長を辞めた後のアドバイザー
- 立憲政友会:社員の最大派閥チーム
- アメリカ、イギリス、ロシア:お隣の会社(巨大企業)