歴史・社会の疑問 読了 7分

【江戸時代・阿部正弘】正に広がる相談の輪!? 「黒船」にビビって「みんな」に聞いちゃった社長

ブログ記事のアイキャッチ。640×360px、歴史教養ブログ「ムダシル。」用のポップで親しみやすい江戸時代イラスト。中央に相談相手を探して汗をかく阿部正弘を描き、周囲に意見を求められた大名・朝廷・役人が集まっている。背景には浦賀へ迫る黒船を配置し、幕府の危機と「みんなに聞く」政治が一目で伝わる構図。上部にはあとからタイトルを重ねられる空の余白を確保する。太めの輪郭線、明るく見やすい配色、表情豊かなデフォルメ人物、文字・数字・疑似文字・吹き出し・ロゴは入れない

※「阿部(あべ)正弘(まさひろ)」と「(相談の輪が)マジで広がる」をかけ、自分一人で決めずに周りに意見を求めた様子を表しています。

この人物が政治をしていた時期のイベントについて説明します。 タイトルの約束どおり、日本を揺るがす「黒船」という巨大な黒塗りの営業車が押し寄せてきた際、あまりの恐怖に自分一人で決められず、取引先(大名)や名誉株主(朝廷)全員に「どうすればいい?」とメールを一斉送信してしまった時のお話です。

阿部正弘はどんな人?

今からおよそ170年前、江戸時代の終わりに日本の「常務(老中(ろうじゅう))」をしていた男性です。 幕府のリーダーとして、およそ12年もの間、日本が鎖国(さこく)を解いて世界に放り出されるという最大級のピンチに立ち向かいました。 それまでの「秘密主義」を捨てて、全国の支店長(大名)や朝廷に意見を聞くという「相談経営」を始めた、幕末の超苦労人リーダーです。

登場する地方や国について

江戸、浦賀、長崎、横浜、下田、函館、アメリカ、ロシア
江戸、浦賀、長崎、横浜、下田、函館、アメリカ、ロシア

どのくらいの時代?

阿部正弘の誕生、福山藩主、老中就任、ペリー来航、日米和親条約、海防強化、死去までを示す年表
阿部正弘の1819年から1857年までの主要事件年表

その1:港に現れた「黒塗りの巨大戦車」

阿部正弘(あべまさひろ)が幕府の舵取りをしていた頃、とんでもない客がやってきました。

阿部正弘
「え? 浦賀(うらが)の港に、煙を吐く真っ黒で巨大な船(黒船)が4隻も来てるって!? 大砲をこっちに向けて『商売しろ(開国)』って脅してるんだって!? 日本の船より何十倍もデカいじゃねえか。あんな相手に、今まで通りの『お断り』なんて通用しねえだろ!」

彼は、アメリカのペリーが巨大な軍艦を率いて浦賀に現れ、開国を迫るという前代未聞の事態に直面しました。

これは例えば、「アナログな経営で細々とやっていた小さな会社に、世界NO.1の超巨大企業(アメリカ)がフル装備の武装営業マン(ペリー)を送り込み、『今日からうちと契約しろ。さもなければ会社ごとぶっ潰すぞ』とデスクを叩いて脅している」ような、絶体絶命のピンチです。

幕府の役人
「阿部さん、どうしましょう!? 戦いますか? それとも言うことを聞きますか!?」
阿部正弘
「……とりあえず、手紙(国書)だけは受け取って、来年まで返事を待ってもらうしかないな。マジで怖すぎるぜ」

なかなか情けないスタートではありますが、阿部はさらにこう考えました。

その2:パニックすぎて「全員」にアンケート送信

ペリーをいったん帰した阿部ですが、自分たちだけで解決する自信がありませんでした。

阿部正弘
「今まで幕府は『俺たちが一番偉いから、黙って従え!』っていうワンマン経営だったけど、黒船相手にそんなプライドを持ってても死ぬだけなんだよな。だから、今回の件は朝廷にも報告するし、全国の支店長(大名)たちにも『どうすればいいと思う?』って意見を聞いてやるぞ! みんなで決めたことにすれば、責任も分散できるじゃねえか!」

彼は、それまで幕府が独断で決めていた外交問題を、朝廷や諸大名に相談するという「挙国(きょこく)体制(たいせい)」を整えました。

これは、「社長がパニックになり、会社の重大な決断を『株主アンケート』や『全社員の意見募集』で決めようとした」ような状況です。これによって、それまで発言権のなかった支店長たちの力が強まり、本社の権威はガタ落ちしてしまいました。

江戸城で頭を抱える阿部正弘。その周りに「意見を言わせろ!」と集まる徳川斉昭や島津斉彬。遠くの京都から「外国は嫌いだ!」と叫ぶ孝明天皇。そして海にはペリーの黒船が浮いている混乱の図。文字なし
江戸城で頭を抱える阿部正弘。その周りに「意見を言わせろ!」と集まる徳川斉昭や島津斉彬。遠くの京都から「外国は嫌いだ!」と叫ぶ孝明天皇。そして海にはペリーの黒船が浮いている混乱の図。文字なし
有力な大名
「お、阿部さんから相談が来たぞ! これからは俺たちも経営(政治)に口出しできるチャンスだな!」
阿部正弘
「(冷や汗をかきながら)……あぁ、みんなで協力してこの危機を乗り越えるんだよな!」

相当な弱気な姿勢ですが、この理想を掲げた上で、阿部はさらにこう考えました。

その3:海の防備を「最新設備」へアップデート

相談しながらも、阿部は最低限の防衛力を整えようと動き出しました。

阿部正弘
「意見を聞くだけじゃ国は守れねえ。今のままだと江戸まで一瞬で攻め落とされちゃうだろ。だから、江戸の海の入り口に大砲を置くための人工島(台場(だいば))を突貫工事で作りまくるぞ! ついでに長崎に海軍の教習所を作って、西洋の船の動かし方もガッツリ勉強してやるぜ!」

彼は「安政(あんせい)の改革(かいかく)」として、砲台の建設や海軍の創設、西洋の技術を学ぶ機関(蕃書(ばんしょ)調所(しらべしょ))の設置など、急ピッチで海防力を高めようとしました。

これは例えば、「セキュリティがガバガバな会社で、社長が慌てて防犯カメラや警備員を導入し、さらに社員にハッキング対策の講習を受けさせている」ような、必死の防衛対策です。

民衆
「お、海に変な島ができてるぞ! 将軍様もようやく本気を出したのか?」
阿部正弘
「ふふん、これで『黒船』がまた来ても、少しはマシになるんだよな(たぶん)」

かなりのアグレッシブな設備投資ですが、しかし、ついに約束の時がやってきます。

その4:妥協による「不平等な契約」の締結

翌年、パワーアップしたペリーが再びやってきて、阿部はついに決断を下しました。

阿部正弘
「あ、ペリーくん。約束通り返事をするよ。本当は貿易とかしたくないけど、大砲を向けられてるんじゃ仕方ないよな……。わかった、下田と函館の港を開いて、水や食料をあげるよ。これで戦争は勘弁してくれ! これこそが日本の平和を守る『日米和親条約』なんだよな!」

彼はついにアメリカと条約を結び、200年続いた「鎖国」という社則に終止符を打ちました。

これは、「強引なライバル会社に対し、自分たちに不利な条件を承知の上で、『とりあえず提携(開国)して、これ以上の攻撃を避ける』というギリギリの妥協案を飲んだ」ような状況です。

日米和親条約の調印。阿部正弘が渋々ハンコを押し、ペリーがニヤリと笑っている。背後では下田と函館の港に門が開けられ、中からアメリカ人が入ってくる図。文字なし
日米和親条約の調印。阿部正弘が渋々ハンコを押し、ペリーがニヤリと笑っている。背後では下田と函館の港に門が開けられ、中からアメリカ人が入ってくる図。文字なし
朝廷・大名
「結局、言うことを聞いちゃったのかよ! 阿部さん、相談しておいてこれかよ!」
阿部正弘
「うるせえ、戦争になって会社(国)が潰れるよりはマシなんだよな!」

相当な批判を浴びる結末ですが、この「あべ(阿部)」の広げた相談の輪が、江戸幕府を崩壊へと向かわせる大きなトリガーとなったのです。

総括

結果:阿部正弘は、黒船来航という最大の危機に対し、朝廷や大名に意見を求めるという「相談経営(挙国体制)」に切り替えることで、大きな内乱や戦争を避けつつ、日本を開国へと導きました。 彼の「安政の改革」によって、近代的な海軍の基礎や西洋技術の吸収が始まりましたが、その代償として幕府が独断で物事を決められなくなり、権威はボロボロになってしまいました。

一方:彼が独裁をやめて「みんなの意見」を聞いてしまったことで、地方の薩摩(さつま)藩や長州(ちょうしゅう)藩といった実力のある支店たちが、「もう幕府の時代じゃない、俺たちが日本を動かすんだ!」と目覚めてしまいました。 彼の誠実で民主的な(?)対応こそが、皮肉にも江戸幕府という組織の寿命を縮め、明治維新へと向かうエネルギーを生み出すことになったのです。

まとめ:阿部正弘の意義

最後に、この「相談好き社長」がバトンを渡したあと、今度は独裁者のような強引さで無理やり条約を進める「井伊直弼」が登場し、社内は大混乱の嵐に飲み込まれていきますが、それはまた別のお話。

この出来事が今後どう評価されるかは、まだ分かりません。 以上、あべ(阿部)まじ(正)でひろ(弘)がる相談(そうだん)の輪(わ)!? 「黒船(くろふね)」にビビって「みんな」に聞(き)いちゃった社長でした。

理解度確認テスト

Q1. 1854年、阿部正弘がアメリカと結び、下田と函館を開くことを定めた条約は何ですか?


A. 日米和親条約

Q2. 阿部正弘が江戸湾の防衛のために建設した、大砲を置く人工島を何と呼びますか?


A. 台場

Q3. 阿部正弘が朝廷や諸大名へ外交の意見を求めた政治の仕組みを何といいますか?


A. 挙国体制

用語対応表

新着の「ムダ知識」をメールで
週1回、選りすぐりの疑問だけ届きます。
登録する

※ これまで読んだ記事(お使いのブラウザに記録)は除いて、未読の政権担当者の記事からランダムに1件表示します。