歴史・社会の疑問 読了 7分

【江戸時代・徳川家斉】家で成り行き任せ!? 50年の最長政権と「ゆるふわ」経営

ブログ記事のアイキャッチ。640×360px、歴史教養ブログ「ムダシル。」用のポップで親しみやすい日本史イラスト。江戸時代、第11代将軍の徳川家斉を画面右寄りに描く。前半は厳しい教育係の松平定信に説教され、後半は大奥や豪華な衣装に囲まれて贅沢を楽しむ、前半と後半の対比が一枚でわかる構図。背景に江戸城、文字や記号のない貨幣、旗や船名のない外国船、華やかな町人文化を入れる。家斉の長い政権と「ゆるふわ」な後半の雰囲気を表現する。タイトルを後から重ねられるよう、画面左側には人物や重要物を置かず、明るく整理された余白を広く確保する。明るい配色、太めの輪郭線、表情豊かなデフォルメ人物、江戸時代の衣装。画面内に文字・数字・疑似文字・吹き出し・看板・ロゴは入れない

※「家斉(いえなり)」と、政治を部下や時代の「成り行き(なりゆき)」に任せたことをかけています。

この人物が政治をしていた時期のイベントについて説明します。タイトルの約束どおり、江戸幕府で一番長く社長(将軍)をやっていた男が、最初は「厳しい教育係」に任せ、後半は自分の好きなように贅沢しまくって、最後は会社(国)をガタガタにしてしまった時のお話です。

徳川家斉はどんな人?

今からおよそ200年前、江戸時代の後半に日本のリーダーをしていた男性です。 江戸幕府の第11代将軍として、歴代最長の50年という、信じられないほど長い期間トップの座に君臨しました。 前半は厳しいルールで会社を引き締めさせ、後半は一転して贅沢三昧の「ゆるふわ経営」に走り、華やかな文化を盛り上げつつも幕府の崩壊フラグを立ててしまった「大御所」リーダーです。

登場する地方や国について

江戸、白河、関東、長崎、浦賀、ロシア
江戸、白河、関東、長崎、浦賀、ロシア

どのくらいの時代?

徳川家斉の誕生、将軍就任、寛政の改革、異国船打払令、大御所時代、蛮社の獄、死去までを示す年表
徳川家斉の1773年から1841年までの主要事件年表

その1:厳しい「教育係」に経営を丸投げ

徳川家斉は、若くしてリーダーの座を継いだ際、こう考えました。

徳川家斉
「田沼前常務が辞めて、会社(幕府)のモラルが賄賂でボロボロなんだよな。これじゃ示しがつかないから、おじいちゃん(吉宗)の孫で、白河支店で実績をあげた名君の松平定信くんを役員(老中)に抜擢するぞ! 彼は超真面目だから、ガチガチの経営再建マニュアル『寛政の改革』をやらせて、会社をピカピカにしてもらうんだよな!」

彼は、自身の就任初期、老中の松平定信に政治の実権を委ね、厳しい緊縮財政と風紀の取り締まりを行わせました。

これは例えば、「新しく社長になった若者が、自分はまだ経験が浅いからといって、社外から『鬼の再建コンサルタント』を招き、社員の残業代カットや私生活の監視まで含む超スパルタな社則を押し付けさせた」ような状況です。

民衆
「定信の旦那、厳しすぎて息が詰まるぜ! 昔の田沼さんの方が、賄賂はあっても景気は良くて楽しかったなあ」
徳川家斉
「(定信に説教されながら)……うん、そうだね。でもこれが『正しい経営』なんだよね……?」

なかなか息苦しいスタートではありますが、家斉はさらにこう考えました。

その2:教育係をクビにして「自分へのご褒美」開始

定信の厳しい改革が続いて数年、家斉はついに我慢の限界を迎えました。

徳川家斉
「定信くん、正論ばっかりでうるさすぎなんだよな。俺のプライベート(大奥)の予算まで削ろうとするし、マジでやってらんねえわ。もう彼はクビ(辞職)だ! これからは俺が実権を握る『大御所』として、パァーっと楽しく贅沢にやるぞ! 社長が豪華に暮らさないでどうするんだよな!」

彼は定信を失脚させ、自らが実権を握る「大御所時代」をスタートさせ、定信が禁じた贅沢な暮らしを復活させました。

これは、「厳しいコンサルタントを『もう飽きた』と追い出した二代目社長が、溜まっていたフラストレーションを一気に爆発させ、会社の経費を自分の豪遊やパーティーに使い込み始め、社内を『ゆるふわ』な雰囲気に変えてしまった」ような状況です。

側近たち
「家斉様が楽しそうなら、俺たちも甘い汁を吸わせてもらいましょうかね。賄賂も復活だぜ!」
徳川家斉
「ふふん、これこそが理想の社長ライフなんだよな(ニヤリ)」

かなり放漫な経営スタイルですが、この理想(?)を掲げた上で、家斉はさらにこう考えました。

徳川家斉が松平定信に寛政の改革を任せた後、定信を退けて大御所政治と贅沢へ向かった関係図
徳川家斉、松平定信、側近と商人、大御所時代の関係図

その3:金不足を「不純物の水増し」で誤魔化し

贅沢を続けた結果、案の定、会社の金庫がスカスカになってきました。

徳川家斉
「大奥の維持費や俺の趣味にお金がかかりすぎて、また赤字になっちゃったよ。でも大丈夫、おなじみの『不純物作戦』で行こうぜ! 金貨の中身をさらに銀で薄めて、枚数だけを水増し(貨幣改鋳)しちゃうんだよな。見た目は一緒なら、バレなきゃ犯罪じゃないし、これで一気にキャッシュを増やすぞ!」

彼は財政難を解決するために、吉宗の時代に整えた貨幣の質を再び落として大量に発行し、その差額で幕府の赤字を埋めようとしました。

これは、「会社の運営資金が足りなくなった社長が、看板商品の材料を安物にすり替えてコストを浮かせ、その浮いた分を自分の遊興費にあてて、一時的な利益を無理やり作り出した」ような、モラル崩壊の経営判断です。

商人
「お金の質が下がったから、物の値段(物価)を爆上げするしかないな!」
民衆
「物価は上がるし、カネ社会化が進んで貧乏人はさらに苦しいぜ。家斉様、何とかしてくれよ!」

相当な後味の悪さを残す結末ですが、この理想を掲げた上で、家斉はさらにこう考えました。

その4:近づく外国船を「大砲」でぶっ放す

国内がゆるふわ(&物価高)になっている最中、外の世界から「不審な客」がやってきます。

徳川家斉
「最近、ロシアやイギリスの船が挨拶もなしに近海の領海をうろついてて、マジでウザいんだよな。余計な思想を持ち込まれたら会社のルール(幕藩体制)が壊れちゃうだろ。だから、今日から近づいてくる外国船は、理由も聞かずに全部大砲で追い返せ(異国船打払令)! 日本は鎖国してるんだから、これが一番安全なんだよな!」

彼は、海外からの開国要求や接触に対し、武力で強制的に追い払うという超強気な命令を出しました。

これは例えば、「新しい取引を求めてやってきた営業マンを、社長が『うちは新規お断りだ!』と言って、インターホン越しに塩をまいて追い返し、さらにその対応に異議を唱えた社員(蘭学者)をコンプライアンス違反として処罰(蛮社の獄)している」ような、究極の鎖国経営です。

江戸湾に近づく外国船に徳川家斉と幕府の役人が大砲を向け、足元では蛮社の獄で口を封じられた蘭学者が倒れているステップ図。文字なし
江戸湾に近づく外国船に徳川家斉と幕府の役人が大砲を向け、足元では蛮社の獄で口を封じられた蘭学者が倒れているステップ図。文字なし
蘭学者
「モリソン号はただ漂流民を助けに来ただけなのに、大砲を撃つなんて……世界から孤立しちまうぞ!」
徳川家斉
「うるせえ、俺の会社に文句を言う奴は全員デリートだ!」

相当な強硬姿勢ですが、この「いえなり(家斉)」の成り行き任せな政治が、江戸幕府を末期的な混乱へと導いていったのです。

総括

結果:徳川家斉は、50年という長期間にわたって将軍の座にあり、前半は松平定信による「寛政の改革」で幕府の再建を試みました。しかし後半は「大御所」として自ら実権を握り、贅沢な生活と貨幣の質低下(改鋳)によって物価の高騰を招きました。表面的には「化政文化」が栄えて華やかな時代でしたが、幕府の財政と統治能力はボロボロになり、外国船の来航という新しい脅威にも対応しきれない状態となってしまいました。

一方:彼の時代に風紀が緩んだことは、町人たちの文化が成熟し、現代にも伝わる浮世絵や文学などが花開く一助となりました。しかし、その贅沢のツケ(財政赤字とインフレ)は凄まじく、彼の死後、次のリーダー(水野忠邦)がさらに過激で厳しい改革を行わざるを得なくなるという、地獄のようなバトンタッチをしてしまったのです。

まとめ:徳川家斉の意義

最後に、この「贅沢大好き社長」が残した大赤字と不審な客(外国船)への対応を、次の12代将軍・徳川家慶と老中の水野忠邦が「天保の改革」で必死に片付けようとしますが、それはまた別のお話。

この出来事が今後どう評価されるかは、まだ分かりません。 以上、いえなり(家斉)でナリ(成)り行(ゆ)き任(まか)せ!? 50年(ねん)の最(さい)長(ちょう)政(せ)権(けん)と「ゆるふわ」経営(けいえい)でした。

理解度確認テスト

Q1. 徳川家斉の前半に松平定信が行った改革は何ですか?


A. 寛政の改革

Q2. 家斉が将軍職を退いた後も実権を持った時期を何といいますか?


A. 大御所時代

Q3. 1825年に外国船を追い払うよう命じた法令は何ですか?


A. 異国船打払令

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