歴史・社会の疑問 読了 8分

【明治時代・山県有朋】政党をデリートする鉄壁の独裁ルール

山県有朋(第2次)の記事サムネイル

※「山県(やまがた)」と「山ほどガタつく」をかけ、政党の影響を排除して政治をガチガチに固め、世の中をざわつかせた様子を表しています。

この人物が政治をしていた時期のイベントについて説明します。 タイトルの約束どおり、「一度は政党に頼ったものの、やっぱりあいつらが大嫌いな社長(山県)が、二度と政権に口出しできないよう最強の『鉄壁ルール』を次々とリリースして、自分たちの独裁(藩閥)を守り抜こうとした時のお話です。

山県有朋(第2次)はどんな人?

今からおよそ125年前、長州(山口県)出身で明治政府の「第9代社長(内閣総理大臣)」をしていた男性です。 「軍隊の父」と呼ばれ、およそ120年以上も日本の軍のルールに影響を与え続けた最高実力者です。 政党という「話し合いのチーム」を徹底的に嫌い、役員(官僚)と軍隊だけで国を動かす仕組みを完成させた、超ド真面目な独裁リーダーです。

補足

在職期間:第2次山県内閣は1898年11月8日から1900年10月19日まで、711日間続きました。「120年以上」は長期的影響を強調した比喩で、軍部大臣の現役要件自体は1913年にいったん緩和され、1936年に復活しています。

登場する地方や国について

東京、山口、中国、ロシア
東京、山口、中国、ロシアの位置を示す地図

どのくらいの時代?

第2次山県内閣の地租増徴、文官任用令、治安警察法、選挙法、軍部大臣制度の流れ
第2次山県内閣と制度改革の時代位置を示す年表

その1:軍隊を強くするためにライバルと一時的な「飴」の契約

2度目の社長に就任した山県有朋(やまがたありとも)は、まずお金の問題を解決しようと動き出しました。

山県有朋
「軍隊をさらに強くするには、どうしてもおカネが必要なんだよな。でも、会社の金庫(政府の財政)は日清戦争後でスッカラカンだぜ。よし、ここは一時的に大嫌いな反対派(憲政党)に『ポスト(役職)』という飴をちらつかせて、土地の税金(地租)を値上げしちゃうんだよな!」

何をしたのか・どうなったのか

彼は、軍備拡張の予算を確保するために、それまで激しく対立していた政党(憲政党)と手を組み、地価の2.5%だった土地の税金(地租)を3.3%に引き上げる「地租増徴」を実現させました。

用語地租増徴ちそぞうちょう

日清戦争後の財源を確保するため、地租の税率を引き上げた政策です。第2次山県内閣は、旧自由党系の憲政党と提携して法案を成立させました。

これは例えば、「新工場の建設費を稼ぎたい社長が、仲の悪い労働組合のリーダーに『君たちの意見も聞くフリをするから』と嘘の約束をして、無理やり全社員の給料からの天引き額(増税)を増やさせた」ような、かなり腹黒い交渉術です。

憲政党の議員
「山県さんと協力すれば、俺たちも政府の中枢に入れるぞ! 今は握手しとくのがおトクなんだよな!」
地主(国民)
「ええっ! 税金が上がるのかよ。山県さんも政党の連中も、結局は自分たちの都合ばっかりじゃねえか!」

なかなかエグいスタートではありますが、しかし山県はさらにこう考えました。

{相関図の概要案:江戸城(政府)で握手をする山県有朋と憲政党のリーダーたち。その足元には「地租増徴」という値上げされた請求書。背後で怒っている地主たちと、それを見てニヤリとする軍需産業の社長たちの関係図}

補足

党名の注意:1898年11月までに最初の憲政党は分裂しています。山県内閣と提携したのは、星亨ら旧自由党系が党名を引き継いだ憲政党です。

その2:コネ入社を防ぐ「最強の採用試験」で政党をデリート

増税に成功した山県は、用済みになった政党を会社から追い出すためのルールをリリースしました。

山県有朋
「増税のハンコはもらったから、もう政党にペコペコする必要はないんだよな。あいつらが役所に入り込んで、自分たちの仲間を勝手に部長(高級官僚)にするのがマジで許せねえ。よし、今日から『超ムズい試験に受かったエリート』しか採用しないルール(文官任用令改正)にして、コネで入ろうとする政党員を全員デリートしてやるんだよな!」

何をしたのか・どうなったのか

彼は公務員の採用ルールを厳格にし、政党が自分たちの支持者を官僚として送り込めないようにして、役所を「自分たちの言いなりになるエリート集団」だけで固めました。

用語文官任用令の改正ぶんかんにんようれいのかいせい

1899年3月、親任官以外の勅任官を原則として高等文官試験合格者など一定の官歴を持つ奏任官から昇任させる仕組みに改めたものです。政党員を自由に高級官僚へ任命する余地を狭めました。

これは、「中途採用で入ってきた外部の連中がウザいので、社長が突然『明日から役職につくには東大レベルの独自試験合格が必須。かつての推薦枠は廃止だ!』と宣言し、自分たちの気に入らない勢力を物理的に会社から閉め出している」ような状況です。

政党のメンバー
「おい山県! せっかく協力してやったのに、これじゃ俺たちの居場所がなくなるじゃねえか!」
山県有朋
「ふん、会社(国)を動かすのはエリートだけでいいんだよ。素人の出る幕じゃねえんだよな(ニヤリ)」

なかなかドン引きの仕打ちですが、この理想(?)を掲げた上で、山県はさらにこう考えました。

その3:軍のトップを「身内」で独占する鉄壁のガード

官僚組織を固めた山県は、次に自慢の軍隊に「バリア」を張りました。

山県有朋
「政党の奴らがいつか俺の椅子を奪ったとしても、軍隊だけは絶対に触らせないんだよな。もし素人が陸軍大臣になって、勝手に軍事費を削られたら終わりだぜ。よし、今日から『軍のトップは現役の将軍しかダメ!』っていう鉄壁のルール(軍部大臣現役武官制)を作るぞ。これで軍隊は永久に俺たちプロ(軍人)の聖域なんだよな!」

何をしたのか・どうなったのか

彼は、陸軍・海軍の大臣を現役の将軍(大将・中将)に限定する制度を定め、政党出身者が軍の指揮権を握る可能性をゼロにしました。

用語軍部大臣現役武官制ぐんぶだいじんげんえきぶかんせい

1900年の陸軍省・海軍省官制改正により、軍部大臣の補任資格を現役の大将・中将へ限定した制度です。軍が大臣候補を出さなければ組閣を難しくできる余地を生みました。

これは例えば、「セキュリティ部門の部長は、警察庁出身の現役しか認めない。社長や株主が選んだ一般人(政党員)は絶対お断りだ!」というガチガチの就業規則を作り、その部門を会社の中の『独立国家』にしてしまったような状態です。

側近
「これなら政党が何を言っても、軍隊は自分たちのペースで動けますね!」
反対派
「でもこれ、軍が言うことを聞かなくなったら、誰も止められないんじゃね?」

相当なプレッシャーをかけるシステムですが、この理想を掲げた上で、山県はついに「口うるさい社員」の排除に乗り出します。

文官任用令改正(1899年)と軍部大臣現役武官制(1900年)による政党進出の制限。制度を城壁にたとえた想像図であり、実在の政府庁舎や政党の政府からの完全排除を示すものではありません。
山県有朋を囲む二重の城壁で、文官任用令改正と軍部大臣現役武官制を説明した文字入り図

その4:デモも会議も「即逮捕」の最強コンプラ規程

社内の仕組みを整えた山県は、外で文句を言うやつらを黙らせるための法律をリリースしました。

山県有朋
「ルールを変えても、街でデモをしたり会議を開いたりして騒がれるのは面倒なんだよな。最近は労働者たちも権利を主張し始めて、会社の秩序がガタガタだぜ。よし、今日から政治活動やストライキを警察が即座に取り締まれる最強のコンプラ規程『治安警察法』をリリースだ! 騒ぐやつは片っ端からパクって、社内(国内)を静かにさせるんだよな!」

何をしたのか・どうなったのか

彼は1900年、国民の政治的な集まりや労働運動を厳しく制限する法律を定め、反対の声を力ずくで抑え込みました。

用語治安警察法ちあんけいさつほう

1900年に制定され、政治結社・集会・労働争議などを規制した法律です。女性の政談集会参加を禁じる規定も含み、政治・社会運動を警察が取り締まる法的基盤になりました。

これは例えば、「社長の独裁をSNSで批判したり、給料アップを求めて会議を開いたりした社員を、社長直属の警備員(警察)が『社内秩序を乱した!』と言い張って即刻解雇・拘束する」ような、凄まじいパワハラ経営です。

労働者・民衆
「これじゃ何も言えないじゃねえか! 自由なんてどこにあるんだよ!」
山県有朋
「ふふふ、国を一流にするためには『秩序』が一番大事なんだよな。これで安泰なんだよな!」

なかなかパンクな判断ですが、この理想(?)を掲げた上で、山県は最後にとどめの「一手」を打ちました。

その5:選挙権の「バラマキ」に見せかけた支持層のすり替え

強硬手段ばかりの山県ですが、最後に少しだけ物腰を柔らかくしたふりを見せました。

山県有朋
「今のままじゃ農村の地主たちが怒ってて、次の総選挙で負けちゃうんだよな。だったら、選挙権をあげる納税額のハードル(15円→10円)をちょこっと下げてやるぞ。これなら都会の小金持ち(中小企業の社長)たちも喜んで、俺たちの味方(産業資本家)になってくれるはずだろ。支持層を『農村』から『都会』へすり替えて、会社(政権)を安定させるんだよな!」

何をしたのか・どうなったのか

彼は選挙権を納税額15円から10円に引き下げることで、新たな支持層を取り込み、自分たちの都合のいい議会を作ろうとしました。

用語衆議院議員選挙法改正しゅうぎいんぎいんせんきょほうかいせい

1900年、選挙権の納税資格を直接国税15円以上から10円以上へ引き下げ、府県大選挙区・市独立選挙区制を採用した改正です。有権者は増えましたが、男子・年齢・納税要件は残りました。

補足

評価上の注意:納税資格の緩和は有権者を増やした制度改正ですが、「農村から都会へ支持層をすり替えるため」という内心まで公的資料が裏付けるわけではありません。ここは政治的効果を会社の比喩で表したものです。

これは、「古参のファン(地主)に嫌われたアイドル(山県)が、ファンクラブの会費をちょっと安くして、『新しいファン(都会の資本家)』を大量に入れて、古参の文句をかき消してしまおうとしている」ような巧妙なイメージ戦略です。

都市の小富豪
「おぉ、俺たちも選挙に行けるのか! 山県さんも意外といいところあるじゃねえか」
山県有朋
「ふふふ、これで政党の連中をさらに孤立させてやるんだよな。これにて『政党封じ』の完成だぜ!」

相当な策士ぶりですが、この「山県(やまがた)」の強引な掃除が、のちの日本のメインOSとなりました。

総括

結果:第2次山県有朋内閣は、地租増徴によって軍備拡張の資金を手に入れ、同時に文官任用令の改正や軍部大臣現役武官制を定めることで、政党の影響力を政府や軍から完全に排除することに成功しました。これにより、議会の意見に左右されない「超然」とした強力な官僚国家の基盤が完成したのです。

一方:この徹底した「政党嫌い」と強権的な政治(治安警察法など)は、国民や政党の怒りをピークに達させました。結局、政党が再び結束して政府への攻撃を強めたため、山県は予算を通すことができなくなり、最後は自ら社長の座を去ることになりました。また、彼が作った「軍の独立」のルールは、のちに政府でも止められなくなった軍部の暴走を招くという、非常に重い負の遺産となってしまったのです。

補足

退陣の流れ:山県内閣は1900年10月に総辞職し、第4次伊藤内閣へ交代しました。単純に「予算が通らなくなったから」だけではなく、伊藤による立憲政友会結成と、山県が進めた後継・政権移行を含む政治再編の中での交代として見る必要があります。

まとめ:山県有朋の意義

まとめ

  • [官僚・軍事国家の確立] :政党の介入を阻む鉄壁のルールを作り、エリート官僚と軍人が主導する国の形を決定づけた。
  • [「政党封じ」の徹底] :文官任用令や現役武官制により、政治のプロ(政党)と実務のプロ(官僚・軍)を完全に切り離した。
  • [社会運動の弾圧] :治安警察法によって、自由民権運動の後の労働運動や政治活動を厳しく制限し、上からの統治を強めた。

最後に、この「鉄の社長」が辞めたあと、最大のライバルである伊藤博文が「政党を無視するのはもう無理だ!」と悟り、自ら最強のファンクラブ(立憲政友会)を立ち上げて政権を取り戻しに来ますが、それはまた別のお話。

この出来事が今後どう評価されるかは、まだ分かりません。 以上、山県が山ほどガタつかせた! 政党をデリートする鉄壁の独裁ルールでした。

理解度確認テスト

Q1. 1898年、軍拡財源のため税率を2.5%から3.3%へ上げた政策は何ですか?


A. 地租増徴

Q2. 1900年改正後、衆議院選挙権を得るための納税資格はいくら以上でしたか?


A. 直接国税10円

Q3. 1900年、集会・結社や労働争議を規制したものの名称は何ですか?


A. 治安警察法

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