※「家宣(いえのぶ)」と「(権威を)延ばした」をかけ、お犬様ルールの廃止と将軍のブランドアップを行ったことを表しています。
徳川家宣が政治をしていた時期のイベントについて説明します。タイトルの約束どおり、「やりすぎた前社長(綱吉)」の負の遺産を速攻で片付け、インテリの先生(白石)を雇って会社(幕府)のブランドを立て直そうとした時のお話です。
徳川家宣はどんな人?
今からおよそ310年前、江戸時代の真ん中ごろに日本のリーダーをしていた男性です。 第6代将軍として、国民を苦しめた「お犬様ルール」をわずか10日足らずで廃止する決断を下しました。 学者の新井白石と一緒に「礼儀正しい幕府」へのアップデートを狙った、スマートな実務型のリーダーです。
登場する地方や国について
どのくらいの時代?
その1:国民を困らせた「わんこルール」を即デリート
徳川家宣は、将軍の座を継ぐことが決まった際にこう考えました。
彼は就任後すぐに、国民の不満の種だった「生類憐みの令」を廃止しました。
これは例えば、「前の社長が『今日から社内での殺生禁止。廊下の観葉植物の葉っぱを一枚でもちぎったら解雇』という謎の社則を強要して社内が地獄絵図になっていたところに、新しい社長が来て『そんなバカなルールは今すぐゴミ箱行きだ!』と宣言して全社員を救った」ような状況です。
なかなかの英断ではありますが、家宣はさらにこう考えました。
徳川綱吉が出した、生き物や捨て子などの扱いを定める一連の法令です。家宣は将軍就任後、主要な規制を廃止し、綱吉時代の政策を見直しました。
その2:最強の「インテリ家庭教師」をアドバイザーに抜擢
負の遺産を消した家宣は、次に組織の中身をアップデートしようとしました。
彼は学者の新井白石や側用人の間部詮房を重用し、儒学に基づいた理想的な政治を目指しました。これを「正徳の治(しょうとくのち)」といいます。
これは、「会議が長くて全然決まらない役員会に見切りをつけた社長が、社外から超優秀なコンサル(白石)を招き、信頼できる個人秘書(間部)と三人だけで『秘密の社長室会議』を開いて、会社の新しいビジョンを次々と打ち出している」ような状況です。
なかなかのトップダウン経営ですが、この理想を掲げた上で、家宣はさらにこう考えました。
徳川家宣と徳川家継の時代に、新井白石と間部詮房を中心に進められた政治です。儒学・儀礼・外交・貨幣・貿易の改革を行い、将軍の権威を高めようとしました。
その3:将軍のブランドを「王様」へとランクアップ
体制を整えた家宣(と白石)は、幕府の格付けを上げようと画策します。
新井白石の助言を受けて、将軍の権威を高めるために儀式や服装、外交上の称号を厳格に整えました。
これは例えば、「自社のブランド力が落ちてきたと感じた社長が、名刺の肩書きを『代表取締役』から『最高経営責任者(CEO)』のようなインパクトのあるものに変え、受付や会議の作法を一流ホテル並みに厳しくして、『うちはそこらの企業とは格が違うんですよ』と対外的にアピールしている」ようなイメージ戦略です。

相当なこだわりを見せる体制ですが、家宣は最後に経済のトラブルにもメスを入れました。
その4:金の「不純物」を抜いて信用を回復
理想を追求する家宣の前に、最悪のインフレ(物価上昇)という現実が立ちはだかりました。
インフレ対策として貨幣の質を元に戻そうとし、また長崎貿易を制限して貴金属の流出を防ごうとしました。これを「海舶互市新例(かいはくごししんれい)」といいます。
これは、「会社の資金不足を補うために、製品の材料を安物に変えた結果、ブランド価値が暴落して大赤字になったので、新社長が『今日から材料を元通りの最高級品に戻す!』と決断し、さらに海外からの高すぎる備品購入も制限して、キャッシュが外に逃げないように金庫に鍵をかけた」ような状況です。
なかなか強気な経済政策ですが、この「いえのぶ(家宣)」のこだわった政治こそが、江戸幕府に「知性」と「プライド」を一時的に取り戻させたのです。
1715年、新井白石の主導で出された長崎貿易の制限令です。中国船・オランダ船の来航数や貿易額を抑え、金銀の海外流出を防ぐ狙いがありました。
総括
結果:徳川家宣は「お犬様ルール(生類憐みの令)」をわずか10日ほどで廃止して民衆の支持を勝ち取り、学者の新井白石と共に儒学的な礼儀と権威を幕府にインストールしました。 彼の「正徳の治」は、それまでの乱暴な武士のイメージを「教養ある指導者」へと変え、外交面でも幕府の格付けを高めることに成功しました。
一方:理想を重視しすぎた政策(特に貨幣の質を戻す政策)は、かえって市場に急激な変化をもたらして混乱を招いたり、金銀の保有量が少ない中で無理をしたため、経済を麻痺させる側面もありました。 また、役員(老中)たちを軽視した側近政治は、幕府内部に大きな不満と反発の種を残すことにもなったのです。
まとめ:徳川家宣の意義
- [負の遺産の即時撤廃] :生類憐みの令をすぐに廃止し、国民を過剰な統制から解放して幕府の好感度を爆上げした。
- [「知の政治」の確立] :新井白石を重用し、儒学の秩序を政治に持ち込むことで、将軍を「日本の王」としてブランド化した。
- [経済と貿易の引き締め] :貨幣の質を戻して物価を安定させようとし、海舶互市新例で海外への金銀流出を阻止しようと奮闘した。
最後に、家宣が就任後わずか3年ほどで亡くなった後、わずか3歳の息子・徳川家継が跡を継ぎ、白石たちのインテリ政治はさらなる激動の時代を迎えますが、それはまた別のお話。
この出来事が今後どう評価されるかは、まだ分かりません。 以上、いえのぶ(家宣)がのぶ(延)ばした権威(けんい)! 「お犬様(いぬさま)」終了(しゅうりょう)とインテリの逆襲(ぎゃくしゅう)でした。
理解度確認テスト
Q1. 徳川家宣が学者や側用人を重用し、儒学・礼儀・外交・貨幣の改革を進めた政治を何といいますか?
A. 正徳の治
Q2. 家宣の政策顧問として、外交称号や貨幣・貿易の改革を主導した学者は誰ですか?
A. 新井白石
Q3. 長崎貿易の船数や貿易額を制限し、金銀の流出を抑えようとした法令は何ですか?
A. 海舶互市新例
用語対応表
- 家宣の代に進められたインテリ政治 → 正徳の治
- 将軍に重用されたインテリ学者のアドバイザー → 新井白石
- 家宣を支えた個人的な秘書役 → 側用人(間部詮房)
- 将軍が外交で名乗ったかっこいい称号 → 日本国王
- 金銀の流出を防ぐための貿易制限ルール → 海舶互市新例
- 綱吉が決めた、生き物を過剰に保護する命令 → 生類憐みの令
- お金の質を落として枚数を増やすこと → 貨幣改鋳