歴史・社会の疑問 読了 7分

【江戸時代・徳川家宣】延ばした権威! 「お犬様」終了とインテリの逆襲

ブログ記事のアイキャッチ。16:9の横長ブログ用歴史イラスト。徳川家宣を主役にする。家宣が前代の古い規則を象徴する文字のない木札を片付け、新井白石と間部詮房が横で礼儀・外交・貨幣を象徴する完全な白紙の巻物を広げている。背景に江戸城、朝鮮通信使の船、表面が無地の質のよい小判を象徴的に描く。前代の混乱から知性と権威を取り戻すスマートな新将軍という印象。後からタイトルを重ねられる余白を左上に確保し、家宣たちの顔は右寄りに配置する。教育向けの上品なデジタルイラスト。画像内に文字・文字らしい記号・タイトル・ロゴは入れず、木札・巻物・小判も無地にする。犬や人を苦しめる描写、流血は避ける

※「家宣(いえのぶ)」と「(権威を)延ばした」をかけ、お犬様ルールの廃止と将軍のブランドアップを行ったことを表しています。

徳川家宣が政治をしていた時期のイベントについて説明します。タイトルの約束どおり、「やりすぎた前社長(綱吉)」の負の遺産を速攻で片付け、インテリの先生(白石)を雇って会社(幕府)のブランドを立て直そうとした時のお話です。

徳川家宣はどんな人?

今からおよそ310年前、江戸時代の真ん中ごろに日本のリーダーをしていた男性です。 第6代将軍として、国民を苦しめた「お犬様ルール」をわずか10日足らずで廃止する決断を下しました。 学者の新井白石と一緒に「礼儀正しい幕府」へのアップデートを狙った、スマートな実務型のリーダーです。

登場する地方や国について

江戸、甲府、長崎
江戸、甲府、長崎

どのくらいの時代?

徳川家宣の将軍就任、生類憐みの令の廃止、正徳の治、海舶互市新例までを示す年表
徳川家宣の1709年から1716年までの主要事件年表

その1:国民を困らせた「わんこルール」を即デリート

徳川家宣は、将軍の座を継ぐことが決まった際にこう考えました。

徳川家宣
「叔父さんの綱吉前社長、動物を愛しすぎたあまり社員(国民)を困らせすぎなんだよな。蚊を叩いただけでお仕置きとか、マジで業務(生活)に支障が出てるじゃねえか。俺が社長になったからには、あんな『お犬様ルール』は今日で即廃止だ! みんな、今まで不自由させて悪かったな!」

彼は就任後すぐに、国民の不満の種だった「生類憐みの令」を廃止しました。

これは例えば、「前の社長が『今日から社内での殺生禁止。廊下の観葉植物の葉っぱを一枚でもちぎったら解雇』という謎の社則を強要して社内が地獄絵図になっていたところに、新しい社長が来て『そんなバカなルールは今すぐゴミ箱行きだ!』と宣言して全社員を救った」ような状況です。

江戸の町人
「家宣様、なんて話のわかるお方なんだ! これでやっと蚊に刺されても反撃できるぜ!」
徳川家宣
「当たり前のことをしたまでだ。これからは普通の生活を取り戻してくれよな!」

なかなかの英断ではありますが、家宣はさらにこう考えました。

用語生類憐みの令しょうるいあわれみのれい

徳川綱吉が出した、生き物や捨て子などの扱いを定める一連の法令です。家宣は将軍就任後、主要な規制を廃止し、綱吉時代の政策を見直しました。

その2:最強の「インテリ家庭教師」をアドバイザーに抜擢

負の遺産を消した家宣は、次に組織の中身をアップデートしようとしました。

徳川家宣
「ルールを消すだけじゃなくて、これからは中身も知的にしたいんだよな。だから、俺が甲府の支店長をやってた頃からの教育係、インテリ学者の白石(はくせき)くんを最高アドバイザーにするぞ。ついでに側近の間部(まなべ)くんも使って、役員(老中)たちを通さずに俺の部屋でサクサク重要事項を決めてやるぜ!」

彼は学者の新井白石や側用人の間部詮房を重用し、儒学に基づいた理想的な政治を目指しました。これを「正徳の治(しょうとくのち)」といいます。

これは、「会議が長くて全然決まらない役員会に見切りをつけた社長が、社外から超優秀なコンサル(白石)を招き、信頼できる個人秘書(間部)と三人だけで『秘密の社長室会議』を開いて、会社の新しいビジョンを次々と打ち出している」ような状況です。

老中(役員)
「俺たちは会社の正式な役員なのに、あんな外部の学者ばっかり贔屓して……。立場がねえよ!」
新井白石
「これからは『理屈』と『礼儀』の時代なんですよ。古いノリの皆さんは黙って見ていてください」

なかなかのトップダウン経営ですが、この理想を掲げた上で、家宣はさらにこう考えました。

用語正徳の治しょうとくのち

徳川家宣と徳川家継の時代に、新井白石と間部詮房を中心に進められた政治です。儒学・儀礼・外交・貨幣・貿易の改革を行い、将軍の権威を高めようとしました。

その3:将軍のブランドを「王様」へとランクアップ

体制を整えた家宣(と白石)は、幕府の格付けを上げようと画策します。

徳川家宣
「最近、将軍の地位がなんか軽くなってねえ? 朝廷の天皇陛下とも仲良くしつつ、でも武士のトップとしての権威は見せつけたいんだよな。だから、お隣の国(朝鮮)からの使いが来た時も、今までの『大君』なんて曖昧な呼び方じゃなくて、はっきり『日本国王』って名乗らせるぞ! これで幕府の格付けも爆上がりだろ!」

新井白石の助言を受けて、将軍の権威を高めるために儀式や服装、外交上の称号を厳格に整えました。

これは例えば、「自社のブランド力が落ちてきたと感じた社長が、名刺の肩書きを『代表取締役』から『最高経営責任者(CEO)』のようなインパクトのあるものに変え、受付や会議の作法を一流ホテル並みに厳しくして、『うちはそこらの企業とは格が違うんですよ』と対外的にアピールしている」ようなイメージ戦略です。

中央に座る徳川家宣が「日本国王」という大きな看板を掲げ、その横で新井白石がマナーマニュアルをチェックし、朝鮮の使節が畏まっている図。文字なし
中央に座る徳川家宣が「日本国王」という大きな看板を掲げ、その横で新井白石がマナーマニュアルをチェックし、朝鮮の使節が畏まっている図。文字なし
周囲の武士
「家宣様、格好にこだわりすぎじゃないっすか? 見た目より中身ですよ!」
徳川家宣
「馬鹿野郎、トップの『権威』こそが組織をまとめる最大の武器なんだよな!」

相当なこだわりを見せる体制ですが、家宣は最後に経済のトラブルにもメスを入れました。

その4:金の「不純物」を抜いて信用を回復

理想を追求する家宣の前に、最悪のインフレ(物価上昇)という現実が立ちはだかりました。

徳川家宣
「前社長が金貨の中身を銀で薄めた(貨幣改鋳)せいで、お金の価値が下がって物価が爆上がりしてんじゃねえか。これ、社員(武士)たちの生活がパンクする前兆だろ。だから、お金の質を昔の最高級に戻して、物価を抑えてやるぞ。ついでに長崎から金と銀が流出しすぎだから、貿易船の数もガッツリ制限(海舶互市新例)してやるんだよな!」

インフレ対策として貨幣の質を元に戻そうとし、また長崎貿易を制限して貴金属の流出を防ごうとしました。これを「海舶互市新例(かいはくごししんれい)」といいます。

これは、「会社の資金不足を補うために、製品の材料を安物に変えた結果、ブランド価値が暴落して大赤字になったので、新社長が『今日から材料を元通りの最高級品に戻す!』と決断し、さらに海外からの高すぎる備品購入も制限して、キャッシュが外に逃げないように金庫に鍵をかけた」ような状況です。

商人
「お金の質を急に変えられると、市場が混乱して商売がやりにくいぜ……。白石先生の理屈はわかるけどさあ」
民衆
「物価が安定するのは嬉しいけど、お金が足りなくなって景気が冷え込まないか不安だなぁ」

なかなか強気な経済政策ですが、この「いえのぶ(家宣)」のこだわった政治こそが、江戸幕府に「知性」と「プライド」を一時的に取り戻させたのです。

用語海舶互市新例かいはくごししんれい

1715年、新井白石の主導で出された長崎貿易の制限令です。中国船・オランダ船の来航数や貿易額を抑え、金銀の海外流出を防ぐ狙いがありました。

総括

結果:徳川家宣は「お犬様ルール(生類憐みの令)」をわずか10日ほどで廃止して民衆の支持を勝ち取り、学者の新井白石と共に儒学的な礼儀と権威を幕府にインストールしました。 彼の「正徳の治」は、それまでの乱暴な武士のイメージを「教養ある指導者」へと変え、外交面でも幕府の格付けを高めることに成功しました。

一方:理想を重視しすぎた政策(特に貨幣の質を戻す政策)は、かえって市場に急激な変化をもたらして混乱を招いたり、金銀の保有量が少ない中で無理をしたため、経済を麻痺させる側面もありました。 また、役員(老中)たちを軽視した側近政治は、幕府内部に大きな不満と反発の種を残すことにもなったのです。

まとめ:徳川家宣の意義

最後に、家宣が就任後わずか3年ほどで亡くなった後、わずか3歳の息子・徳川家継が跡を継ぎ、白石たちのインテリ政治はさらなる激動の時代を迎えますが、それはまた別のお話。

この出来事が今後どう評価されるかは、まだ分かりません。 以上、いえのぶ(家宣)がのぶ(延)ばした権威(けんい)! 「お犬様(いぬさま)」終了(しゅうりょう)とインテリの逆襲(ぎゃくしゅう)でした。

理解度確認テスト

Q1. 徳川家宣が学者や側用人を重用し、儒学・礼儀・外交・貨幣の改革を進めた政治を何といいますか?


A. 正徳の治

Q2. 家宣の政策顧問として、外交称号や貨幣・貿易の改革を主導した学者は誰ですか?


A. 新井白石

Q3. 長崎貿易の船数や貿易額を制限し、金銀の流出を抑えようとした法令は何ですか?


A. 海舶互市新例

用語対応表

徳川家宣が新井白石と間部詮房を登用し、正徳の治を進めた側近政治の関係図
徳川家宣、新井白石、間部詮房、正徳の治の関係図
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