※「テオドシウス」と「手を通(テオド)す」をかけ、キリスト教を国教として一本化し、帝国を二つに分けた決断を表しています。
この人物が政治をしていた時期のイベントについて説明します。かつて地中海を支配し、巨大すぎて管理不能になったローマ帝国を、力技で一つにまとめ、そして永遠の別れを告げた皇帝の物語を見ていきましょう。
- ボロボロになった帝国を救った、「最後の統一皇帝」としての意地
- 他の神様は全員クビ! 392年に「キリスト教を国教化」した衝撃の決断
- もう一人で守るのは無理! 395年に帝国を東と西に分けた「東西分裂」の真実
テオドシウス1世はどんな人?
今からおよそ1600年前、古代ローマ帝国の皇帝です。当時は身内同士の争いや異民族の侵入で帝国が「火の車」状態でしたが、並み居るライバルをなぎ倒して、たった一人で帝国を支配する歴史上「最後の統一皇帝」となりました。また、キリスト教以外の宗教を禁止し、伝統的なオリンピックさえも「異教の祭り」として中止させてキリスト教の地位を絶対的なものにしたほか、395年の死に際して帝国を真っ二つに分けた「東西分裂」のレールを敷いた、終わりの始まりのリーダーです。
登場する地方や国について
この人物が生きた時代について
火だるまの帝国を救え! 最後の統一皇帝
紀元前27年に「ローマの帝政(ていせい)」が始まってから数百年、帝国はあまりにも巨大になりすぎていました。あちこちでリーダーを自称する奴らが現れては消える大混乱の中、テオドシウス1世は卓越した軍事力でライバルたちをなぎ倒していきました。そして、バラバラになりかけていた帝国をふたたび一人で支配する、歴史上「最後の統一皇帝」として君臨することになったのです。
これは例えば、クラスメイト全員が勝手にリーダーを名乗って学級崩壊している教室に、めちゃくちゃケンカが強い転校生がやってきて、「今日から俺が学級委員長だ。文句ある奴は表へ出ろ!」と全員を黙らせて、無理やりクラスをひとつにまとめ上げるようなものです。テオドシウス1世の力によって、ローマはかろうじて崩壊を免れました。
なかなか好戦的なスタートではありますが、テオドシウス1世はただ武力で脅すだけではなく、国民の頭の中まで統一する驚きの作戦を思いつきます。この強い決意を掲げた上で、彼は次のステップへと踏み出しました。
それを踏まえた上で、テオドシウス1世はさらにこう考えました。
もう他の神様はいりません! キリスト教の国教化
かつてのローマは、いろんな民族の神様を認めるオープンなスタイルでしたが、テオドシウス1世は392年、「キリスト教(アタナシウス派)」以外の宗教をすべて禁止する決断を下しました。これを「キリスト教の国教化(こっきょうか)」といいます。これにより、1000年以上続いていた伝統的なオリンピックさえも中止させ、古い神殿を次々と壊していったのです。
これは例えば、いろんな部活があって自由だった学校で、校長先生が突然、「明日から全員野球部に入れ! 他のスポーツは禁止だ。伝統の文化祭も中止!」と宣言して、全校生徒に同じユニフォームを着せるようなものです。テオドシウス1世は、強力な「一つの教え」で国民を縛り、帝国の団結力を高めようとしたのです。
なかなか大胆な宗教政策ですが、この「一本化」によってキリスト教は世界宗教への道を決定づけました。しかし、この決断が原因で、皇帝自身が予想もしなかった屈辱的な事件が起きることになります。

それを踏まえた上で、テオドシウス1世はさらにこう考えました。
皇帝が土下座!? アンブロシウスとの対決
キリスト教を国の宗教に決めたテオドシウス1世でしたが、ある時、大きなトラブルを起こしてしまいます。テサロニカという町で起きた反乱を鎮めるために、罪のない市民も含めて数千人を虐殺してしまったのです。これに激怒したのが、ミラノの司教「アンブロシウス」でした。彼は「人殺しの手で教会に入るな!」と、皇帝に対してまさかの「出入り禁止」を言い渡したのです。
これは例えば、学校で一番偉い校長先生が、ルール違反をした生徒を厳しく罰しすぎたところ、学校の心の相談役であるカウンセラーの先生から「そんな冷酷な人は相談室に来る資格はありません!」と叱られ、全校生徒の前で反省を促されるようなものです。テオドシウス1世は、教会の前でボロボロの服を着て、涙を流しながら「公開謝罪」をしてようやく許されました。政治のトップが宗教のトップに屈服するという、後のヨーロッパの歴史を決定づける大事件となったのです。
なかなか衝撃的な上下関係の逆転劇ではありますが、この事件をきっかけに教会のパワーはさらに強まっていきます。この現実を踏まえた上で、テオドシウス1世は人生の「幕引き」について、こう考えました。
それを踏まえた上で、テオドシウス1世はさらにこう考えました。
395年、お別れの時。ローマ帝国の東西分裂
395年、テオドシウス1世はいよいよ自分の寿命が近づいていることを悟りました。異民族の侵入が激しさを増し、巨大すぎる帝国をたった一人で守り抜くのはもはや不可能だと考えた彼は、亡くなる直前に帝国を東と西の2つに永久に分割し、2人の息子に譲ることにしました。これが歴史上有名な「ローマ帝国の東西分裂(とうざいぶんれつ)」です。長男のアルカディウスには東を、次男のホノリウスには西を任せました。
これは例えば、巨大すぎて管理が追いつかなくなったマンモス校を、「東校」と「西校」に完全に独立させ、それぞれ別の校長先生を置いて別々のルールで運営し始めるようなものです。テオドシウス1世が亡くなった後、ローマ帝国が再びひとつにまとまることは二度とありませんでした。西のローマ帝国はわずか80年ほどで滅びますが、東の帝国は「ビザンツ帝国」として1000年以上も生き残ることになります。
なかなか決定的な別れの決断ではありますが、テオドシウス1世が敷いたこの「レール」によって、ヨーロッパとアジアの境界線がくっきりと引かれることになったのでした。

総括
結果:テオドシウス1世は、身内争いや異民族の侵入でボロボロだったローマ帝国を力技でまとめ直し、歴史上「最後の統一皇帝」として君臨することに成功しました。また、392年にキリスト教を国教として一本化したことで、バラバラだった国民の心に強力な一本の軸を通しました。当初の「帝国を救う」という目的は、一時的な統一と宗教的な団結という形で達成されたと言えます。そして395年の死に際して帝国を分けたことで、混乱の中での管理可能な体制を息子たちに遺しました。
一方:あまりにも強引な宗教政策は、古くからの伝統的なオリンピックなどの文化を破壊することにも繋がりました。また、帝国を真っ二つに分けた決断は、かつて地中海を一つに束ねたローマ帝国の栄光を、「西ローマ」と「東ローマ」という別々の運命へと枝分かれさせ、古代ローマという一つの壮大な物語を終わらせてしまったという側面も持っています。
- 最後の統一:混乱していたローマ帝国をふたたび一人で支配し、巨大国家の「最後の意地」を見せました。
- キリスト教の独占:392年にキリスト教を「国教」とし、他の宗教を禁止したことで、中世ヨーロッパの価値観のベースをつくりました。
- 永遠の分割:395年に帝国を東西に分けたことで、その後のヨーロッパと「ビザンツ(東方)」の異なる歴史の始まりをつくりました。
理解度確認テスト
Q1. 395年、テオドシウス1世が亡くなった際に、巨大すぎる領土を管理しやすくするために行った決定的な出来事は何ですか?
A. ローマ帝国の東西分裂
Q2. テオドシウス1世が市民を虐殺したことを厳しく批判し、皇帝に教会の前で公開謝罪をさせたミラノの司教は誰ですか?
A. アンブロシウス
Q3. 392年、テオドシウス1世が他の宗教の儀式を禁じ、帝国で唯一の公式な宗教として定めたことを何といいますか?
A. キリスト教の国教化
テオドシウス1世が繋ぎ止めたローマの命の炎は、彼が分けたレールを通って次の時代へと受け継がれていきました。しかし、この後に押し寄せるゲルマン人の大移動という「荒波」が、西の帝国をあっけなく飲み込んでしまうことを、当時の人々はまだ予感できていなかったのでした。
以上、【ローマ帝国・テオドシウス1世】テオド(手を通)せ! キリスト教一本、国は真っ二つ!でした。
用語対応表
- ローマ帝国 → 地中海を支配した古代の巨大国家。テオドシウスが最後の統一者。
- キリスト教の国教化 → 392年、キリスト教を国の唯一の宗教と定め、他を禁止したこと。
- アタナシウス派 → ニケーア公会議で正統とされた、三位一体説を唱える教派。
- アンブロシウス → 皇帝を屈服させ、教会の権威を高めたミラノの司教。
- ローマ帝国の東西分裂 → 395年、テオドシウスの死を境に帝国が二つに分かれたこと。