歴史・社会の疑問 読了 7分

【飛鳥時代・斉明天皇】さいめい(斉明)に再登板! 息子のための「盾」社長と半島への出兵

斉明天皇と飛鳥の大工事を描いたイラスト

この人物が政治をしていた時期のイベントについて説明します。「引退したはずの女帝」が、息子を守るために再びトップに返り咲き、そのまま朝鮮半島での「世界大戦」へと突き進んでいった時のお話です。

★ この記事でわかること

  • 息子のための「身代わり」再就任
  • 国内の「シェア拡大」大作戦
  • 長年の取引先「百済」の倒産パニック
  • CEO、現場の最前線で力尽く

斉明天皇はどんな人?

今からおよそ1360年前、飛鳥時代の日本でリーダーをしていた女性です。

以前は「皇極(こうぎょく)天皇」として社長をやっていましたが、目の前でクーデター(乙巳の変)が起きたショックで一度引退していました。

用語乙巳の変いっしのへん
645年、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を倒し、蘇我蝦夷を自害に追い込んだ政変を『乙巳の変』といいます。この事件後、皇極天皇は弟へ皇位を譲りました。

ところが、後を継いだ弟の孝徳天皇が亡くなったため、日本史上初の「重祚(じゅうそ/二度目の即位)」という形で現場復帰したガッツある女帝です。

実権を握る息子・中大兄皇子の「盾」となり、彼の激しい改革や戦争を母として支え続けました。

登場する地方や国について

斉明天皇の物語に登場する地方と国※おおよその位置
斉明天皇の物語に登場する飛鳥、難波、近江、筑紫、百済、新羅、唐の位置を描いた教材風イラスト地図

どのくらいの時代?

斉明天皇の在位は655年から661年です。7世紀中ごろの飛鳥時代にあたり、645年の乙巳の変と、663年の白村江の戦いの間に位置します。

斉明天皇の在位年と前後の天皇・出来事
舒明天皇から天智天皇までの年代と斉明天皇の在位655年から661年を示す時代位置図

その1:息子のための「身代わり」再就任

斉明天皇(当時は皇極上皇)は、弟の孝徳天皇が亡くなった際、こう考えました。

皇極上皇
「弟が死んじゃったわね。実権は息子の中大兄皇子が握ってるけど、あの子、強引な改革(大化の改新)のせいで敵が多すぎるのよ。今あの子が社長(天皇)になったら、反対派に集中攻撃されちゃうわ!」
中大兄皇子
「母上、すみません! 俺が矢面に立つのはまだ危ないんで、もう一回『社長の椅子』に座ってもらえませんか?」

こうして彼女は、息子への不満を「肩代わり」するために、再びトップの座に就きました。これが斉明天皇としてのリスタートです。

用語重祚じゅうそ
一度退位した天皇が、再び即位することを重祚といいます。皇極天皇が655年に斉明天皇として二度目の即位をした出来事です。

これは例えば、「強引なリストラを進めて恨まれている若手役員(息子)」が、バッシングを避けるために、「社員から愛されていた引退済みの前会長(母)」を再び社長に担ぎ出し、自分は裏で糸を引くという、老練な人事戦略です。

斉明天皇の重祚と母子による政権運営
斉明天皇の重祚後に斉明天皇と中大兄皇子が母子で政権を運営する様子を描いたイラスト

その2:国内の「シェア拡大」大作戦

再びリーダーになった斉明天皇は、国内の支配を固めるために動きます。

斉明天皇
「国内を一つにまとめるわよ! まだ朝廷の命令を聞かない東北の『蝦夷(えみし)』や、南九州の『隼人(はやと)』をしっかり支配下に置くのよ!」

彼女の時代には、阿倍比羅夫(あべのひらふ)を東北に派遣するなど、盛んに遠征が行われました。

用語阿倍比羅夫の北方遠征あべのひらふのほっぽうえんせい
658年から660年にかけて、斉明朝が阿倍比羅夫を北方へ派遣し、蝦夷や粛慎と接触した一連の行動を『阿倍比羅夫の北方遠征』と呼びます。

これは、「新社屋を作る前に、まだ自社のサービスが届いていない地方支店を回って、強引にシェアを拡大してくる」という、アグレッシブな国内営業拡大です。

阿倍比羅夫の北方遠征と交渉
北方の海辺で阿倍比羅夫と蝦夷の長が贈答品を挟んで交渉する様子を描いたイラスト

その3:長年の取引先「百済」の倒産パニック

国内を固めていた矢先、海外からとんでもないバッドニュースが飛び込んできます。

百済の使者
「大変です! お隣の『新羅(しらぎ)』が巨大企業の『唐(とう)』と組んで攻めてきました! 私たちの国(百済)は滅亡しました! 助けてください!」
中大兄皇子
「なんだって!? 百済がなくなったら、朝鮮半島にある俺たちの利権が全部奪われちゃうぞ。これを見捨てるわけにはいかない!」

日本と仲が良かった百済(くだら)が、唐・新羅の連合軍に滅ぼされてしまったのです。

用語百済滅亡くだらめつぼう
660年、百済は唐・新羅連合軍に攻められて滅亡しました。倭は百済の復興運動を支援し、救援軍を送ることになります。

これは例えば、「長年、原材料を安く卸してくれていた主要な取引先(百済)」が、業界最大手の競合(唐)に乗っ取られて倒産してしまい、自社の生産ライン(朝鮮半島への足がかり)がストップする危機に直面したような状況です。

斉明天皇と中大兄皇子を中心とした百済救援の相関図
斉明天皇と中大兄皇子が百済を救援し、唐・新羅連合軍と対立する関係を示す相関図

その4:CEO、現場の最前線で力尽く

斉明天皇と中大兄皇子は、百済を復活させるために「世界大戦」への参戦を決めました。

斉明天皇
「わかったわ! 私も一緒に戦うわよ! 全軍、九州まで移動しなさい! そこから海を渡って、百済を助ける遠征軍を送るわ!」

彼女は老齢の身でありながら、自ら軍を指揮するために飛鳥を離れ、九州の筑紫(つくし)まで移動しました。

これは、「会社の命運をかけた超巨大海外プロジェクトを成功させるために、高齢の社長(斉明)が自ら現地のキャンプ地に泊まり込み、全社員を鼓舞しながら指揮を執る」という、文字通り命がけのトップダウン経営です。

斉明天皇
「(九州の宮殿にて)うう……さすがにこの年でこの移動とプレッシャーはきついわね……(そのまま病死)」

残念ながら、斉明天皇は遠征の準備中に九州で亡くなってしまいました。

用語朝倉橘広庭宮あさくらのたちばなのひろにわのみや
百済救援の指揮拠点として、斉明天皇が661年に筑紫へ置いた宮を朝倉橘広庭宮といいます。斉明天皇はこの地で亡くなり、救援軍の指揮は中大兄皇子が引き継ぎました。
朝倉宮で進められた百済救援の準備
朝倉宮で斉明天皇、中大兄皇子、百済使節が救援軍の船・兵糧・兵員準備を協議する様子を描いたイラスト

総括

結果:斉明天皇は、息子である中大兄皇子の「盾」として再び天皇になり、激動の時代において皇室の安定を守りました。また、百済救援のために国を挙げて立ち上がったことで、日本の外交方針を「積極的な軍事介入」へと大きく舵を切らせました。

一方:彼女の死後、指揮を引き継いだ中大兄皇子は白村江(はくそんこう)の戦いで唐・新羅連合軍に大敗を喫してしまいます。この敗戦により、日本は「攻め」から「守り」へと方針を大転換せざるを得なくなり、九州に防波堤(水城など)を築くなどの必死の防衛戦に追われることになるのです。

用語白村江の戦いはくそんこうのたたかい
663年、倭・百済連合軍が唐・新羅連合軍に大敗した戦いを『白村江の戦い』といいます。この敗戦後、倭は水城などを築き、防衛体制を強化しました。

まとめ:斉明天皇の意義

まとめ

  • 初の「重祚」:皇極天皇と斉明天皇として二度即位し、女性リーダーとしての新しい形を示した。
  • 中大兄皇子のサポート:実権を握る息子の盾となり、大化の改新から朝鮮出兵へと続く「激動の10年」を支えた。
  • 白村江の戦いへの序曲:百済救済のために九州まで親征し、日本が国際的な巨大戦争に巻き込まれるターニングポイントとなった。

理解度確認テスト

Q1. 一度皇位を退いた女帝が、弟の死後に再び即位したような「二度目の即位」を表す歴史用語は何ですか?

ヒント1:皇位へ戻ることを表す言葉です。/ヒント2:斉明天皇は日本史上初の例とされています。


A. 重祚

Q2. 660年に唐・新羅連合軍に滅ぼされ、斉明天皇が復興支援のため筑紫へ向かった友好国はどこですか?

ヒント1:朝鮮半島にあった国です。/ヒント2:倭と長年交流していました。


A. 百済

Q3. 斉明天皇の実子で、母の死後に救援軍の指揮を引き継ぎ、のちに天智天皇となった人物は誰ですか?

ヒント1:皇太子として政治の実権を握りました。/ヒント2:乙巳の変の中心人物です。


A. 中大兄皇子

用語対応表

用語 意味
重祚(じゅうそ) 一度辞めてまた天皇になること
皇極(こうぎょく)天皇 斉明天皇が以前やっていた天皇名
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ) 実権を握っていた息子
蝦夷(えみし) 東北の支配されていない人々
隼人(はやと) 南九州の支配されていない人々
百済(くだら) 日本と仲が良く、滅亡した国
唐(とう) 百済を滅ぼした中国の王朝
筑紫(つくし/現在の九州) 斉明天皇が亡くなった場所
白村江(はくそんこう)の戦い その後に起きた大敗北の戦争

最後に、この母の遺志を継いだ中大兄皇子が、敗戦のショックを乗り越えて「天智天皇」として日本の形をどう整え直すのかは、また別のお話。

以上、斉明天皇でした。

新着の「ムダ知識」をメールで
週1回、選りすぐりの疑問だけ届きます。
登録する

※ これまで読んだ記事(お使いのブラウザに記録)は除いて、未読の政権担当者の記事からランダムに1件表示します。