歴史・社会の疑問 読了 7分

【飛鳥時代・孝徳天皇】なっ徳いかないお引越し!?都を移して改革スタート

孝徳天皇と難波宮を描いたイラスト

この人物が政治をしていた時期のイベントについて説明します。クーデターの直後に「ピンチヒッター」として社長になり、日本初の元号を作って新しい都へ引っ越しを強行した時のお話です。

★ この記事でわかること

  • 日本初の元号制定:中国のマネをして「大化」という元号を作り、国家のブランドを確立した。
  • 大化の改新の推進:都を難波に移し、公地公民や新しい税制などの基本方針を発表した。
  • 中央集権化のスタート:豪族の私有を認めないことで、天皇を中心とする強力な国作りの土台を作った。

孝徳天皇はどんな人?

今からおよそ1370年前、飛鳥時代の日本でリーダーをしていた男性です。

前の天皇(皇極天皇)がクーデターのショックで引退したため、急きょ日本で36番目の社長(天皇)として白羽の矢が立ちました。

日本で最初の「元号」を定め、古いしきたりをぶっ壊す大規模な改革を宣言した、新時代のスタートを切った天皇です。

登場する地方や国について

孝徳天皇期の飛鳥の位置
孝徳天皇期の飛鳥の位置を示した地図
孝徳天皇期の難波の位置
孝徳天皇期の難波の位置を示した地図
7世紀中頃の唐のおおよその領域
7世紀中頃の唐のおおよその領域を示した地図

どのくらいの時代?

天皇の系譜と孝徳天皇の位置
推古天皇から天武天皇までの流れと孝徳天皇の位置

1. 衝撃の事件後の「棚ぼた」社長就任

孝徳天皇は、リーダーに就任してまずこう考えました。

孝徳天皇
「姉さん(皇極天皇)の目の前で人殺し(乙巳の変)が起きるなんて、とんでもない職場だよな。姉さんが『もう社長辞める!』って言うから、弟の俺がピンチヒッターで就任したぜ。実務は甥っ子の中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)くんに任せて、俺はクリーンなイメージで頑張るぞ!」

彼は、蘇我氏が倒された直後の大混乱の中で、中継ぎの天皇として即位し、新しい政治の顔となりました。

645年、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を倒し、蘇我蝦夷を自害へ追い込んだ政変が起こりました。この出来事を「乙巳の変」といいます。

用語乙巳の変いっしのへん

645年、皇極天皇の宮中で中大兄皇子と中臣鎌足らが蘇我入鹿を殺害し、翌日に父の蘇我蝦夷も自害した政変です。皇極天皇の退位と孝徳天皇の即位へつながり、その後の政治改革が始まる転換点となりました。

これは例えば、ワンマン専務がクビになった直後のブラック企業で、前社長の弟がいきなり「新社長」として担ぎ出され、実際の仕事はやり手の下っ端役員(中大兄)が全部仕切っているような状況です。

家臣
「孝徳様、あなたが天皇なら反対派も文句を言いにくいですね。中大兄様をしっかりバックアップしてくださいよ」
孝徳天皇
「わかってるって。俺は性格も穏やかだから、みんな納得してくれるはずさ」

なかなか幸先の良いスタートですが、ここから国家の巨大なアップデートが始まります。

2. 日本初のブランド名「大化」のリリース

それを踏まえた上で、孝徳天皇はさらにこう言いました。

孝徳天皇
「これからは中国(唐)のマネをして、年月にカッコいい名前をつけることにしたぞ! 名前は『大化(たいか)』だ! これが日本で最初の『元号』ってやつよ。これから新しい時代が始まるぜ!」

彼は、日本で初めて特定の期間に名前をつける制度を導入し、国家としてのブランドイメージを一新しました。

これは例えば、「令和」や「平成」のように、これから始まる新しいプロジェクトに「ニュー・ジャパン・プロジェクト」という名前をつけて、全社員の士気を高めようとするようなアクションです。

役人
「元号ですか! なんか中国の最先端を取り入れてる感じで、ワクワクしますね!」
民衆
「これからは『大化1年』って呼ぶのか。なんか覚えやすくていいじゃん」

この日本で最初の元号こそが「大化」です。

用語大化たいか

『日本書紀』では、645年に始まった日本最初の元号とされています。元号はその後すぐに途切れなく続いたわけではありませんが、天皇の代や政治の転換を時間の名前で示す仕組みの出発点となりました。

3. 海が見える「最新オフィス」へのお引越し

この理想を掲げた上で、孝徳天皇はこう考えました。

孝徳天皇
「飛鳥のオフィスは古いし、蘇我氏の幽霊が出そうで怖いわ! もっと海に近くて、海外(唐や新羅)からのお客さんをドヤ顔で迎えられる最新の都を作るぞ! 難波(なにわ/現在の大阪)に引っ越しだ!」

彼は、心機一転を図るために、都をこれまでの飛鳥から海沿いの難波へと移し、巨大な宮殿(難波宮)を建設しました。難波への遷都は645年12月、難波長柄豊碕宮の完成は652年と『日本書紀』に記されています。

これは、「内陸にある古い本社ビルを捨てて、グローバル展開を狙うためにベイエリアの超高層自社ビルへ本社を移転する」というような、大胆な経営判断です。

中大兄皇子
「さすが叔父上、決断が早いですね。ここなら外交も貿易もバッチリですよ」
民衆
「またお引越し(遷都)かよ! 建物を作るのは俺たちの労働力なんだから、勘弁してくれよな……」

なかなか気合の入ったお引越しですが、彼はさらにこう考えました。

用語難波遷都なにわせんと

孝徳天皇は645年、政治の拠点を飛鳥から難波へ移しました。港の難波津に近いこの地は、中国や朝鮮半島と結ばれる外交・交通の玄関口であり、中央集権的な政治を進める新しい舞台になりました。

飛鳥から難波への遷都
孝徳天皇が飛鳥から難波へ都を移す様子を描いた図

4. 社員の持ち物を「全回収」する新ルール

それを踏まえた上で、孝徳天皇はついに歴史的な命令を出しました。

孝徳天皇
「今までは豪族たちが勝手に土地や部下(民)を持ってたけど、今日からそれは全部ナシ! 土地も人も、全部『国(天皇)』の持ち物にするぞ! その代わり、みんなには公平に田んぼを貸してあげるから、しっかり税金を払ってよね!」

彼は、豪族の私有を禁止し、すべてを国家の管理下に置くという超スパルタなルールを打ち出しました。これが国家改革の始まりです。

646年には、公地公民制や新しい税制など、新政府の方針を示す「改新の詔」が出されました。

これは例えば、「社員が自前で使っていたパソコンやデスクをすべて会社が没収し、『これからは全部会社の備品だから、ルール通りに使えよ。その代わり、利益は全部会社に納めろ』と通告する」ような、強烈な中央集権化です。

豪族
「ええっ! 俺の土地が没収されるのかよ!? 納得(孝徳)いかねえ……」
孝徳天皇
「文句言うな。これが世界標準の『公地公民(こうちこうみん)』ってやつよ」

この一連の国家大改造プロジェクトこそが「大化の改新(たいかのかいしん)」です。

用語改新の詔かいしんのみことのり

646年に出されたと『日本書紀』が伝える、新政府の改革方針です。豪族が支配していた土地と人々を国家のもとへまとめ、地方行政や戸籍・税の仕組みを整える方向が示されました。

用語大化の改新たいかのかいしん

乙巳の変後、孝徳天皇を中心とする新政権が進めた一連の政治改革です。唐の制度を参考に、豪族ごとの支配から天皇を中心とする国家へ移ることを目指しました。改革は孝徳天皇の代だけで完成したのではなく、のちの律令国家づくりへ長くつながっていきます。

用語公地公民こうちこうみん

土地と人民を国家が把握するという、律令国家の基本原則を表す言葉です。ただし、646年の命令だけで全国の土地と人々が一気に国有化されたわけではなく、実際の制度化はその後の戸籍整備や法令づくりを通じて段階的に進みました。

補足

史実の補足:「改新の詔」の文面には、後世の制度や表現が編纂時に反映された可能性があるとして、研究上の議論があります。改革が一度の命令で完成したと見るのではなく、7世紀後半まで続く国家づくりの出発点として捉えるのが大切です。

5. まさかの「社長、現場に置き去り」事件

この理想を掲げた上で、孝徳天皇の政治は順調に見えましたが、最後にとんでもないトラブルが起きます。

中大兄皇子
「叔父上、やっぱり難波の都は不便っすね。俺、みんなを連れて飛鳥に戻りますわ。あ、叔父上は社長なんだから、ここ(難波)で一人で留守番しててくださいね」
孝徳天皇
「ええっ!? ちょっと待てよ! みんな飛鳥に帰っちゃうの!? 俺一人だけ難波に残されるなんて……納得いかないぞ!!」

なんと、実権を握る中大兄皇子が多くの皇族や重臣を連れて飛鳥に戻り、反対した孝徳天皇は新しい都で政治的に孤立してしまったのです。

これは、「鳴り物入りでベイエリアに移転したのに、副社長が『やっぱ前のオフィスの方が落ち着くわ』と言って全社員を連れて元に戻り、社長だけが誰もいない新本社にポツンと残される」という、前代未聞のイジメのような状況です。

孝徳天皇
「うう……寂しすぎる……。誰もいない宮殿で、そのまま死んじゃうなんて……(死亡)」

なかなかドン引きの結末ですが、こうして彼は悲しみのうちにその生涯を閉じました。

補足

史実の補足:『日本書紀』は653年に中大兄皇子らが飛鳥へ移り、孝徳天皇が難波に残ったと伝えますが、宮殿が完全に無人になったことや、孤独が直接の死因だったことまでは記していません。ここでの「一人ぼっち」は、政治的な孤立を会社のたとえで強調した表現です。孝徳天皇は翌654年、難波長柄豊碕宮で亡くなりました。

総括

結果:孝徳天皇は、日本初の元号「大化」を定め、「公地公民」という土地の国家管理ルールを打ち出すことで、日本が法で動く「ちゃんとした国」になるための巨大な一歩を踏み出しました。彼の代で始まった「大化の改新」は、その後の日本のシステムを決定づける大成功のプロジェクトとなりました。

一方:彼自身のリーダーシップは最後まで発揮されることはなく、実権を握る中大兄皇子に振り回され続けました。最後は、自分がこだわった新しい都で政治的に孤立し、リーダーとしては非常に切なく、報われない最後を迎えてしまったのです。

用語対応表

用語 意味
乙巳の変 リーダーの交代劇
元号(大化) 日本初の年月の呼び名
大化の改新 国家の大改造プロジェクト
公地公民制 土地と人を国家のものにする原則
班田収授 田んぼを貸して税を取る仕組み
遷都 都を移すこと
中大兄皇子 孝徳天皇の甥で、実権を握っていた人物
斉明天皇(皇極天皇) 孝徳天皇の次に天皇に返り咲いた人物

まとめ:孝徳天皇の時代の意義

まとめ

  • 日本初の元号制定:中国のマネをして「大化」という元号を作り、国家のブランドを確立した。
  • 大化の改新の推進:都を難波に移し、公地公民や新しい税制などの基本方針を発表した。
  • 中央集権化のスタート:豪族の私有を認めないことで、天皇を中心とする強力な国作りの土台を作った。

理解度確認テスト

Q1. 645年、天皇の代替わりと政治改革の開始に合わせて定められ、後の「令和」へつながる年の数え方の最初の名称は何ですか?


A. 大化

Q2. 646年の改革方針に示され、豪族ごとの土地・人民支配を改めて国家が把握しようとした原則を、教科書で用いられる名称で答えてください。


A. 公地公民

Q3. 海外との交通に便利な港に近く、645年に飛鳥から政治の拠点が移され、孝徳天皇が晩年を過ごした地名はどこですか?


A. 難波

最後に、この「置き去り事件」の後に再び天皇に返り咲いたのが、中大兄皇子の母である斉明天皇(皇極天皇の重祚)なのですが、それはまた別のお話。

この出来事が今後どう評価されるかは、まだ分かりません。

以上、納得(孝徳)いかないお引越し!?都を移して改革スタートでした。

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