この人物が政治をしていた時期のイベントについて説明します。
- 清の領土を歴史上最大に広げた「十全武功」のパワー
- 世界最大の全集「四庫全書」に隠されたアメとムチの統治
- イギリスの使節を追い返した、絶頂期ゆえのプライドと衰退の予感
今からおよそ250年前、中国・清王朝の6代目皇帝として君臨したのが乾隆帝です。およそ60年にわたって3億人もの国民をリードし、清のパワーを歴史上最大にまで引き上げた「最強の独裁者」です。
登場する地方や国について

どのくらいの時代?
清の時代(1616~1912年)
1. 十回の大遠征!領土をモコモコ広げる「パーフェクトおじいちゃん」
乾隆帝は、祖父や父が築き上げた豊かな財政を背景に、周辺地域へ積極的に軍隊を送り込みました。彼は生涯で十回もの大きな遠征をすべて成功させたとし、自分のことを「十全老人」と呼びました。
これは例えば、「格闘技の大会で十連覇して、自分を『パーフェクト・レジェンド』と名乗るおじいちゃん」のようなものです。この遠征の結果、ジュンガルやチベットなどを従え、今の中国の領土の形がほぼ完成しました。
見た目は最強の絶頂期ですが、実はこの派手な遠征が、国の貯金をじわじわと削り始めていました。
乾隆帝の自称。十回の大遠征(十全武功)にすべて勝利したことから、「何でもパーフェクトにこなすおじいちゃん」という意味で名乗りました。

2. 世界最大の百科事典プロジェクト!本を集めて心を縛る
軍隊で領土を広げた乾隆帝は、次に知識の力で国民を支配しようと考え、1772年頃から一大プロジェクトをスタートさせました。
乾隆帝が作らせたのが、「四庫全書」という世界最大の全集です。全3万6384冊という膨大な数の本を整理するビッグプロジェクトでした。
これは、現代で言えば「インターネット上の情報を全部検閲して、自分にとって都合のいい記事だけを残した最強のオンライン百科事典をつくる」ようなものです。乾隆帝は、文化を保護するフリをしながら、清の悪口を言うような本を徹底的に没収・廃棄する、巧妙な思想統制を行ったのです。
知識を集める一方で、自由な考えを奪っていく。アメとムチを使い分けるのが乾隆帝流のやり方でした。
乾隆帝の命で編纂された、中国最大の叢書。古今の書物を「経・史・子・集」の4つに分類して集約しましたが、同時に反政府的な書物を処分する思想統制の手段でもありました。

3. 貿易は広州だけで!外国の商人を徹底ガード
文化を整理した乾隆帝は、次にお金と外国人の動きを厳しく管理することにしました。
乾隆帝は貿易の窓口を広州1港に制限し、さらに「公行」という特権商人だけに取引を独占させました。これにより、清は貿易の利益を独占し、外国の思想が入り込むのを防ごうとしました。
これは例えば、「海外旅行のお土産を買うときは、国が指定したひとつの免税店でしか買っちゃダメ!というルールをつくる」ようなものです。これによりイギリスなどは、自由な商売ができず不満を募らせました。
この強気な姿勢が、後のイギリスとの大きなトラブルを引き起こす原因になっていきます。
清の時代、広州での対外貿易を独占した特権商人の組合。皇帝から特別な許可を得て、外国商人との取引を独占的に管理する役割を担いました。
4. イギリス使節マカートニーの拒絶!プライドが高すぎた決裂
窓口を絞られたことに困ったイギリスは、ついに政府の公式な使節を清に送り込んできました。
1793年、イギリス使節の「マカートニー」が対等な貿易を求めて来航しましたが、乾隆帝はこれを一蹴しました。さらに、中国式の挨拶である「三跪九叩頭」をやるかどうかで大揉めしたのです。
乾隆帝は「わが国には宝物が山ほどあるから、お前らの持ってきた品物なんていらん」と言い放ちました。これは、「最新のスマホを売りに来た営業マンに、『おれはそろばんがあるから一生スマホなんていらん!』と自慢して追い返す頑固なおじいちゃん」のような状況です。
乾隆帝がプライドを守ってイギリスを追い返した約50年後、このときのすれ違いが「アヘン戦争」という悲劇として爆発することになります。
中国の皇帝に対する最も丁寧な挨拶。3回ひざまずき、その都度3回、計9回地面に頭をつける動作。外国使節にとっては屈辱的な儀式と映ることもありました。

総括
結果:乾隆帝は、清の領土、文化、人口をすべて歴史上のピークにまで押し上げ、最強の「絶頂期」を完成させました。現在の中国の広大な領域を確定させ、膨大な知識を整理した功績は計り知れません。
一方:あまりに「自分たちは完璧だ」と信じすぎたことが、外の世界の急激な変化に気づくのを遅らせました。無理な遠征による財政の悪化や、イギリスのような新しい力をもつ国をバカにして追い返したプライドが、後の清がボロボロにされる遠い原因となってしまったのです。
まとめ:乾隆帝の時代の意義
- 清の最大領土:十回の大遠征(十全武功)により、今の中国の形をほぼ完成させた。
- 文化の集大成:『四庫全書』で中国中の知恵をまとめたが、同時に厳しい思想統制も行った。
- 対外貿易の制限:1757年に貿易を広州1港に絞り、イギリスの対等貿易要求をプライド高くはねのけた。
- 清の領土を最大にし、今の中国の形をほぼつくった。
- 『四庫全書』という世界最大の全集を作らせ、同時に思想を取り締まった。
- イギリス使節マカートニーの対等貿易要求を拒絶し、後の衝突の火種を残した。
理解度確認テスト
Q1. 乾隆帝が10回の大遠征にすべて勝利したことから自称した、自分自身を指すニックネームは何ですか?
[muda-bubble-answer id=”q1″]十全老人[/muda-bubble-answer]
Q2. 1757年以降、清が貿易の窓口を制限した際、広州での対外貿易を独占した特権商人の組合を何といいますか?
[muda-bubble-answer id=”q2″]公行[/muda-bubble-answer]
Q3. 1793年、対等な貿易を求めてイギリスから派遣されたものの、乾隆帝に要求を拒絶された使節の名前は誰ですか?
[muda-bubble-answer id=”q3″]マカートニー[/muda-bubble-answer]
絶頂を極めた乾隆帝の死後、清は少しずつ「眠れる獅子」へと変わっていきます。この出来事が今後どう評価されるかは、まだ分かりません。
以上、【清の時代・乾隆帝】けんりゅうにゅう!清のパワーを最大にした十全老人でした。
用語対応表
- 十全老人 → なんでもパーフェクトにこなすおじいちゃん
- 四庫全書 → 中国の全知識をまとめた、世界最大の超巨大全集
- 公行 → 皇帝から許可をもらった、選ばれし貿易商人のギルド
- 三跪九叩頭 → 3回ひざまずき9回頭を下げる、中国皇帝への挨拶