※「桂(かつら)」と「活路(かつろ)」をかけ、民衆の怒りに囲まれて逃げ場を失った様子を表しています。
この人物が政治をしていた時期のイベントについて説明します。タイトルの約束どおり、「陸軍のワガママ」で前任者を追い出し、返り咲いたベテラン社長(桂)が、ブチギレた数万人の社員(民衆)に本社(議会)を包囲され、わずか50日余りで会社(政権)をクビになってしまった時のお話です。
桂太郎(第3次)はどんな人?
今からおよそ115年前、山口県出身で明治から大正にかけて日本のリーダーを何度も務めた男性です。 日本の首相としての通算在職日数は、当時の歴代トップクラスである合計2886日を記録した超ベテランです。 軍隊の力を背景に独裁的なイメージを持たれていましたが、最後は民衆の巨大なパワーに押し流され、日本に「民主主義(大正デモクラシー)」の時代を呼び込むきっかけを作ってしまった悲劇のリーダーです。
在職期間:第3次桂内閣は1912年12月21日から1913年2月20日まで、首相官邸の数え方で62日間です。総辞職決定の2月11日までなら53日で、「50日余り」という説明はこの政治的決着を指します。
登場する地方や国について
どのくらいの時代?
その1:陸軍がゴネて「自分たちの親分」を再就職
桂太郎(かつらたろう)は、前の社長(西園寺公望)が陸軍の嫌がらせで辞めた後、3度目の就任にあたってこう考えました。
何をしたのか・どうなったのか
彼は、陸軍が「軍部大臣現役武官制」というルールを悪用して内閣を倒した直後に、その後釜として再びリーダーの座に就きました。
批判は陸軍人脈だけではない:桂は大正天皇の内大臣兼侍従長から首相へ転じたため、宮中の地位を政治に利用して「宮中府中の別」を乱したとも批判されました。
これは例えば、「警備部長が『俺の言うことを聞かないなら、警備員を全員引き上げさせて会社を営業停止にしてやる!』と脅して社長を辞めさせ、空いた椅子に自分たちの元上司を座らせた」ような、かなり強引な人事です。
なかなかパンクなスタートではありますが、桂はさらにこう考えました。
その2:本社(議会)を囲む「数万人」の怒れる社員たち
桂が強引に社長に戻ると、社内(国内)ではかつてない規模の抗議デモが始まりました。
何をしたのか・どうなったのか
彼らを中心とする「第1次護憲運動(ごけんうんどう)」が巻き起こり、数万人の民衆が議会を包囲し、政府系の施設を襲撃する騒ぎとなりました。
1912年12月から全国へ広がった、桂内閣反対の政治運動です。立憲政友会の尾崎行雄と立憲国民党の犬養毅らが「憲政擁護・閥族打破」を掲げ、1913年2月5日には数万人が国会周辺に集まりました。
これは、「無理やり就任した新社長に対し、全社員がストライキを起こして本社の入り口を封鎖し、『お前は認めない! 今すぐ辞めろ!』と叫びながら、社長室に生卵や石を投げ込んでいる」ような、絶望的な大炎上状態です。

相当なプレッシャーですが、この理想(?)を掲げた上で、桂は「最後の大勝負」に出ます。
その3:自分も「ファンクラブ」を作って好感度アップを狙う
追い詰められた桂は、民衆の心を取り戻すために新しいプロジェクトを立ち上げました。
何をしたのか・どうなったのか
彼は1913年、それまでの藩閥政治からの脱却を狙って、自ら新しい政党(立憲同志会)を結成し、議会での味方を増やそうとしました。
桂が反政友会勢力を集めて構想した新党です。桂首相は1913年2月7日に宣言を発表しましたが、正式な結党式は桂退陣・死去後の1913年12月23日でした。
在任中は「結成運動」:第3次桂内閣の間に完成した政党というより、桂が組織化へ着手した新党計画です。のちに立憲同志会、憲政会、立憲民政党へつながる系譜を生みました。
これは例えば、「社員全員から嫌われている独裁社長が、突然『明日からみんなと一緒に活動するオフィシャルファンクラブを作るから入ってね!』と呼びかけ、必死にイメージアップを図って反対派を切り崩そうとしている」ような、かなり焦った作戦です。
なかなかドン引きの空回りですが、この理想を掲げた上で、桂はついに「トドメ」を刺されます。
その4:わずか「50日」で会社を追い出される悲劇
民衆の勢いは止まらず、桂はついに限界を迎えました。
何をしたのか・どうなったのか
1913年、就任からわずか50日余りで桂内閣は崩壊しました。これを歴史用語で「大正政変(たいしょうせいへん)」といいます。
第一次護憲運動によって第3次桂内閣が倒れた一連の政治変動です。桂は1913年2月11日に総辞職を決め、後継の山本権兵衛内閣が20日に成立しました。
これは、「意気揚々と社長に返り咲いたものの、社員の猛抗議に耐えきれず、初ボーナスをもらう前にデスクの鍵を返して、裏口からコッソリ退職していった」ような、あまりにも無残な幕引きです。
{相関図の概要案1:肩を落として去っていく桂太郎。その背後では、勝利を確信して万歳三唱する民衆と、尾崎行雄や犬養毅たちが、新しい時代の扉(民主主義)を押し開けている関係図}
相当な後味の悪さを残す結末ですが、この「桂太郎」のわずか50日の敗北こそが、日本が本格的な民主主義(大正デモクラシー)へと突入する、歴史的な大転換点となったのです。
総括
結果:第3次桂太郎内閣は、陸軍の横暴な「辞表戦術」によって西園寺内閣が倒された後に成立しましたが、民衆から「閥族(ばつぞく)政治の象徴」として激しい攻撃を受けました。自前の政党(立憲同志会)を作って抵抗しようとしましたが、民衆の怒りに屈する形でわずか53日で総辞職に追い込まれ、藩閥政府の限界を露呈させました。
一方:この事件は、日本史上初めて「民衆の力で内閣を倒した」という画期的な出来事となりました。この成功体験が国民の政治意識を劇的に高め、のちに「普通選挙」や「政党内閣」を求める巨大なうねり、すなわち「大正デモクラシー」を爆発させる強力な原動力となったのです。
まとめ:桂太郎(第3次)の意義
- [第1次護憲運動の爆発] :「閥族打破・憲政擁護」を掲げた民衆が、独裁的な政権運営に対して初めて本格的な「NO」を突きつけ、議会を包囲した。
- [大正政変による藩閥の敗北] :陸軍の長老であった桂がわずか50日余りで退陣したことで、特定のグループだけで政治を独占するやり方が通用しなくなったことを証明した。
- [大正デモクラシーへの着火] :内閣を倒した成功体験により、国民が「自分たちの力で政治を変えられる」と確信し、民主主義を求める運動が頻発するようになった。
最後に、この「元ボス」が退陣した後、海軍出身の山本権兵衛がやってきて、軍のワガママ(軍部大臣現役武官制)を一部制限するなどの改革を進めていきますが、それはまた別のお話。
この出来事が今後どう評価されるかは、まだ分かりません。 以上、桂に活路なし!? 怒れる民衆に囲まれ50日でデリートされた元ボスでした。
理解度確認テスト
Q1. 桂太郎が3度目の首相になった際、国民が「憲法を守れ」「藩閥を倒せ」と叫んで起こした、日本初の巨大な政治運動を何といいますか?
A. 第1次護憲運動(または護憲運動)
Q2. 桂太郎の3度目の内閣に反対する民衆が、「憲政擁護」と並べて掲げた、特定のグループによる権力独占を倒せという意味のスローガンは何ですか?
A. 閥族打破
Q3. 第3次桂太郎内閣が成立してからわずか約50日で総辞職に追い込まれた、一連の政治的な出来事を何といいますか?
A. 大正政変
用語対応表
- 辞表戦術:陸軍が大臣を辞めさせて後任を出さない作戦
- 第1次護憲運動:憲法に基づいた正しい政治を守れという運動
- 閥族打破:特定のグループによる独裁を倒せというスローガン
- 憲政擁護:憲法に基づいた正しい政治を守れというスローガン
- 立憲同志会:桂が自分のために作った新しいファンクラブ
- 大正政変:民衆の怒りで内閣が倒れた事件
- 大正デモクラシー:民衆が主役の自由な雰囲気の時代
- 藩閥政治:特定の地方出身の有力者による独裁
- 山県有朋:桂が師事した陸軍の超大ボス
- 元老:首相を推薦する役割を持つ長老