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【飛鳥時代・天武天皇】天武(てんむ)りょう(感無量)! 最強カリスマによる「日本」ブランド爆誕プロジェクト

飛鳥時代・天武天皇についての記事サムネイル

天武天皇(てんむてんのう)が政治をしていた時期のイベントについて説明します。「会社を二分する跡継ぎ争い」に勝利し、社長の肩書きや会社のロゴまで一新して、誰も逆らえない最強のワンマン経営を完成させた時のお話です。

★ この記事でわかること

  • 兄・天智天皇の死後に起きた内乱「壬申の乱」に勝利し、天武天皇として即位したこと
  • 豪族を退けて皇族だけで政治を行う「皇親政治」を始めたこと
  • 「天皇」という呼び名と「日本」という国号を正式に定めたこと
  • 八色の姓・飛鳥浄御原令・富本銭・歴史書編纂・藤原京建設など、国家のしくみを整備したこと

天武天皇はどんな人?

今からおよそ1350年前、飛鳥時代の後半に日本のリーダーをしていた男性です。もともとは「大海人皇子(おおあまのおうじ)」という名前で、兄の天智天皇を支えていましたが、兄の死後に起きた日本最大の内乱「壬申(じんしん)の乱」で甥を倒してトップに立ちました。「天皇」という呼び名や「日本」という国号を正式に決め、法律や歴史書作りもスタートさせた、まさに「日本」というブランドの創業者とも言えるカリスマ社長です。

登場する地方や国について

壬申の乱に関わる飛鳥・吉野・大津・不破関の位置関係

壬申の乱に関わる飛鳥・吉野・大津・不破関の位置関係を示した地図

どのくらいの時代?

天武天皇が歴史のどのあたりに立っているのか、皇位継承の流れの中で確かめてみましょう。

皇位継承の流れと天武天皇の位置
天智天皇・弘文天皇(大友皇子)から壬申の乱を経て、天武天皇、持統天皇、文武天皇へと続く皇位継承の流れを示す図

1. 親族間での「強引な買収(テイクオーバー)」劇

天武天皇(大海人皇子)は、兄の死後にこう考えました。

大海人皇子
「兄貴(天智天皇)は息子の大友皇子を後継者にしたがってるけど、現場の社員(地方豪族)たちは俺についてきてるんだよな。よし、吉野で爪を研いで、一気に会社(国)を乗っ取ってやるぜ!」

彼は、兄の死後、都を脱出して地方で兵を集め、近江(滋賀)にいた甥の大友皇子を武力で圧倒しました。これが壬申の乱です。

これは例えば、「創業者の弟が、頼りない二代目社長(甥)に対し、地方支店の精鋭を率いてクーデターを起こし、本社を物理的に占拠して新社長に就任した」というような、凄まじい実力行使です。

大海人皇子が地方豪族の支持を集め、吉野から不破関を越えて近江へ進軍する流れ

大海人皇子が吉野から不破関を越え近江へ進軍する壬申の乱の図
大友皇子
「ええっ、おじさん強すぎ……(敗北)」
大海人皇子
「今日から俺が新社長(天皇)だ。逆らった奴らは全員クビ(一掃)な!」

何をしたのか・どうなったのか

672年、大海人皇子は近江朝廷を率いる甥の大友皇子(弘文天皇)を打ち破り、皇位を武力で勝ち取りました。これが「壬申の乱」です。古代日本最大の皇位継承争いとされ、この勝利によって天武天皇はどの豪族にも遠慮する必要のない、圧倒的な権力基盤を手に入れました。

用語壬申の乱じんしんのらん

672年、天智天皇の死後に起きた、弟の大海人皇子と、天智天皇の子である大友皇子(弘文天皇)との皇位をめぐる戦いです。大海人皇子は吉野で挙兵すると、地方豪族の支持を集めながら不破関(岐阜)を押さえて近江朝廷側を圧倒し、勝利を収めました。この勝利により、天武天皇は他の皇族や豪族に権力を分け合う必要のない、これまでにない強い立場で即位することになります。

壬申の乱における地方豪族・大海人皇子・大友皇子の関係

地方豪族が大海人皇子へ兵力と支持を提供し、大海人皇子と大友皇子が皇位をめぐり対立した関係図

2. 外部役員ゼロ! 家族経営の「皇親政治」

トップに就いた天武天皇は、組織をこう作り変えました。

天武天皇
「これまでの大臣(豪族)たちは、自分の派閥のことばかり考えてて使いにくいんだよ。今日から重役会議(政治)には、俺の奥さんと息子たちしか入れない! これが『皇親(こうしん)政治』だ!」

彼は、有力な豪族をトップから外し、皇族だけで政治を仕切る究極の「家族経営」を始めました。

これは、「社内の派閥争いにうんざりした社長が、外部取締役を全員クビにして、取締役会を自分の家族だけで固め、全実権を自分に集中させた」という、超強力なワンマン経営へのシフトです。

豪族たち
「えー、俺たちの出番なし!? でも天武社長が怖すぎて何も言えない……」

何をしたのか・どうなったのか

こうして天武天皇は、蘇我氏をはじめとする有力豪族を政治の中枢から遠ざけ、皇后(後の持統天皇)や皇子たちだけで国の重要事項を決める体制を作り上げました。

用語皇親政治こうしんせいじ

有力な豪族を大臣として重用せず、皇族だけで政治の中枢を固める統治スタイルです。壬申の乱で豪族の軍事力に頼らず勝利したことが、天武天皇がこの体制を選べた大きな理由になりました。豪族に権力を分散させない分、天皇一人に権限が集中する、それまでにない強い王権のかたちでもあります。

3. 社名変更と「天皇」の呼称アップデート

天武天皇は、国家のブランディングにも着手しました。

天武天皇
「これからは『大王(おおきみ)』なんて古臭い呼び方はやめて、『天皇』にするぞ! ついでに国名も、どこかのパシリみたいじゃないカッコいい『日本』に変えちゃおうぜ!」

彼は、この時期から正式に「天皇」や「日本」という言葉を使い始めたとされています。

これは、「『〇〇商店』という地方企業の名前を『株式会社JAPAN』に変更し、自分の役職名も『店長』から『最高経営責任者(CEO)』へと世界基準にアップデートした」ような、大規模なリブランディングです。

何をしたのか・どうなったのか

「天皇」という称号と「日本」という国号は、この天武・持統朝のころに定着していったと考えられています。国内の豪族に対しても、東アジアの国々に対しても、「この国は一つにまとまった国家である」と示す、政治的な看板の刷新でした。

4. 社員ランクと「社則」の最新化プロジェクト

さらに彼は、組織のルールもガチガチに固めます。

天武天皇
「豪族どものランクも俺が決める! 功績に応じて『八色の姓(やくさのかばね)』という8段階のランクを授けて、天皇をトップとしたピラミッド組織にするぞ。あと、中国(唐)をマネした最新の法律マニュアル(飛鳥浄御原令)も作成開始だ!」

さらに、日本初の貨幣と言われる「富本銭(ふもんせん)」を作ったり、会社の「創業ストーリー」である歴史書(『古事記』『日本書紀』)の編纂も始めさせました。

これは、「あやふやだった役職ランクを完全ポイント制にして整理し、最新のコンプライアンス・マニュアル(律令)を作成。さらに独自の社内通貨(貨幣)を発行し、会社の歴史(社史)まで編纂してアイデンティティを確立した」という、究極の組織整備です。

八色の姓による豪族の再編と、「天皇」「日本」という新しい政治的な看板

天武天皇を頂点に八色の姓で豪族を再編し天皇と日本の看板を掲げる図

何をしたのか・どうなったのか

八色の姓によって豪族は功績に応じたランクに再編され、飛鳥浄御原令の編纂、富本銭の鋳造、『古事記』『日本書紀』につながる歴史書編纂と、国のしくみとアイデンティティが一気に整えられていきました。

用語八色の姓やくさのかばね

684年に定められた、豪族の家柄を8段階のランクに再編成した制度です。それまで豪族ごとにばらばらだった称号を天皇中心の序列に組み込み直すもので、皇親政治とセットで、天皇のもとに豪族を位置づけ直す狙いがありました。豪族の力を否定するのではなく、天皇を頂点とするピラミッドの中に組み込み直した点が特徴です。

5. 永久に動かない「超巨大オフィス」の建設

最後に、天武天皇は都のあり方も変えようとしました。

天武天皇
「今までは天皇が変わるたびに本社(都)を移してたけど、それじゃ効率が悪い。どんなにデカい会社になっても対応できる、永久不滅の巨大な本社ビルを建てるぞ! 藤原京の建設をスタートだ!」

彼は、中国の都をモデルにした日本初の本格的な都、藤原京の造営に取り掛かりました。

これは、「賃貸のオフィスを転々とするのをやめて、自社の威信をかけた超巨大な自社ビル(本社)を建設し、経営の拠点を一点に集約した」という、壮大な設備投資です。

何をしたのか・どうなったのか

藤原京の建設は天武天皇の在位中には完成せず、着工にとどまりました。しかし、この一点集中型の都という構想そのものが、次の時代の国づくりの骨格になっていきます。

用語藤原京ふじわらきょう

天武天皇の発案で着工され、持統天皇の代に完成した、日本で初めての本格的な条坊制の都です。唐の都をモデルに、道路が碁盤の目状に整備された計画都市で、694年に遷都が行われました。それまでのように天皇が代わるたびに都を移す慣行をやめ、恒久的な首都を構えるという発想の大転換を象徴する事業です。

総括

結果:天武天皇は、内乱を勝ち抜いた圧倒的な武力とカリスマ性で、「天皇が一番偉い」という中央集権国家のシステムを完成させました。彼が決めた「天皇」「日本」「律令」といった枠組みは、その後の日本の土台となりました。

一方:彼の事業はあまりに巨大で多岐にわたったため、その多くは生前には完成しませんでした。しかし、彼を心から愛し、共に戦い抜いた妻の持統天皇がその遺志を継ぎ、藤原京への遷都や法律の施行、班田収授の実施などを次々と完成させていくことになります。持統天皇・文武天皇の代を経て、701年には律令制度の総仕上げとなる「大宝律令」が完成し、天武天皇が始めた国づくりのプロジェクトはここでひとつの完成形を迎えました。

まとめ:天武天皇の意義

まとめ

  • 壬申の乱の勝利:武力で皇位を勝ち取り、誰にも文句を言わせない強力な権力を持った。
  • 「天皇」と「日本」の誕生:国家の呼称とリーダーの称号を定め、現代まで続く「日本の形」のベースを作った。
  • 国家システムの整備:法律(律令)、身分制度(八色の姓)、歴史編纂、貨幣、巨大な都の建設など、国を動かすOSをすべてインストールした。

理解度確認テスト

Q1. 672年、大海人皇子が近江朝廷を率いる甥を武力で打ち破り、皇位を勝ち取った古代日本最大の内乱を何といいますか。


A. 壬申の乱

Q2. 天武天皇が有力豪族を政治の中枢から遠ざけ、皇后や皇子たちなど皇族だけで国の重要事項を決めた統治スタイルを何といいますか。


A. 皇親政治

Q3. 天武天皇の発案で着工され、持統天皇の代に完成した、道路が碁盤の目状に整備された日本初の本格的な都を何といいますか。


A. 藤原京

最後に、この「最強社長」が亡くなった後、その情熱を引き継いだ「バリキャリ妻」の持統天皇が、夫のやり残した仕事をすべて完遂していくことになりますが、それはまた別のお話。

以上、天武天皇でした。

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