歴史・社会の疑問 読了 6分

【平安時代・平清盛】清らか盛だくさん!? 用心棒から社長への超速出世

平清盛が、武士として初めて国家の頂点に立った絶対的な権力者として描かれる場面。

平清盛(たいらのきよもり)が政治をしていた時期のイベントについて説明します。ただの「用心棒」だった武士が、ライバルを力ずくで倒して、ついには貴族の最高ランクにまで登りつめて国を動かした時のお話です。

★ この記事でわかること

  • 保元の乱・平治の乱の解決で武士として異例の出世を遂げた清盛の経緯
  • 娘を天皇に嫁がせる婚姻政策と、大輪田泊を拠点とした日宋貿易による経済基盤
  • 後白河上皇を幽閉した強引な独裁が招いた、平氏滅亡への伏線
  • 平清盛はどんな人?

    今からおよそ850年前、平安時代の終わりに日本のリーダーをしていた男性です。武士として初めて、数千人いる役人の中でもたった1人しかなれない最高ランクの役職(太政大臣)に就任しました。

    「平氏にあらずんば人にあらず」と言われるほどの圧倒的なパワーで、日本に初めての武士による政権を作ったカリスマです。

    どのくらいの時代?


    taira-kiyomoriの時代的位置を示す縦型年表

    平清盛の時期に起きたこと

    1. 社内の大喧嘩を解決して「筆頭役員」へ

    平清盛は、リーダーとして注目される前にこう考えました。

    平清盛

    最近、天皇家や藤原氏の身内同士で、どっちが偉いか決めるための殴り合い(保元の乱・平治の乱)が起きてるんだよな。だから、俺が最強の武力で勝たせて恩を売って、一気に出世してやるぜ!

    彼は、朝廷の中で起きた大規模な武力衝突を解決することで、誰にも文句を言わせない実力を見せつけました。

    これは例えば、「会社の派閥争いで役員たちが取っ組み合いの喧嘩をしているところに、腕利きのガードマン(清盛)が登場して反対派を全員つまみ出し、その功績でいきなり役員に抜擢される」ような、凄まじい逆転劇です。

    後白河上皇

    清盛、お前強いな! 俺の敵を全部倒してくれたから、高い役職をあげるよ。
    家臣

    武士の分際でそんなに出世するなんて……面白くないけど、逆らうと怖いから黙っておこう。

    2. おじいちゃん無双の「パクリ」経営

    高いランクを手に入れた清盛は、さらにこう言いました。

    平清盛

    せっかく偉くなったんだから、昔の藤原氏のマネをして、俺の娘(徳子)を社長(天皇)に嫁がせるぞ! そこに男の子を産ませて、その子を次の社長(安徳天皇)にすれば、俺は「社長のおじいちゃん」として会社を私物化できるじゃねえか!

    彼は、自分の親戚を重要ポストに並べ、天皇との血縁関係を利用して政治の実権を完全に握りました。

    これは、「警備会社から役員になった男(清盛)が、自分の娘を本社の若手社長と結婚させ、生まれた孫を次の社長に据えて、自分は『最高顧問』として裏からすべての命令を出す」ような、縁故採用の極致です。

    平氏の一族

    やったぜ! これで俺たち平氏の天下だ! 平氏じゃないやつは人間じゃないよな!
    他の武士

    清盛さん、結局やってることは昔の貴族と同じじゃないか……。俺たちの不満は無視かよ。

    3. 海の向こうの「大口取引」でボロ儲け

    国内を固めた清盛は、経済の仕組みにもメスを入れます。

    平清盛

    これからは土地の税金だけじゃなくて、海外貿易で稼ぐ時代だぜ。だから、神戸にデカい港(大輪田泊)を修築して、中国(宋)の商人たちをドンドン招いて、日本初の「海外ブランド経済」を作るぞ!

    彼は、兵庫の港を整備して、当時世界最先端だった中国の宋から、大量の銅銭や高級品を輸入するビジネスを本格的にスタートさせました。

    これは、「国内の売上だけに頼らず、自社専用の国際貿易港を建設して、海外の巨大企業と直接取引を行い、外貨(宋銭)を国内に流通させて莫大な利益を上げる」という、極めてグローバルな経営判断です。

    宋の商人

    清盛さんは話がわかるね! 日本の港が綺麗になったから、どんどん商売しようぜ。
    貴族たち

    あんな不潔な銭(銅銭)を日本で流行らせるなんて……でも、あの金(財力)には勝てないわ。

    この日本初の国際的なビジネスこそが「日宋貿易」です。

    大輪田泊で宋の船をドヤ顔で迎える平清盛と、そこから流れ込む大量の「宋銭」で日本中が潤っているイメージ図
    大輪田泊で宋の船をドヤ顔で迎える平清盛と、そこから流れ込む大量の「宋銭」で日本中が潤っているイメージ図

    4. 邪魔な「会長」を部屋に閉じ込める暴挙

    無敵に見えた清盛ですが、かつての恩人である「会長」と対立します。

    平清盛

    後白河のじいさん(上皇)、最近俺のことを追い出そうとコソコソ動いてるだろ? もう我慢できねえ。今日からアンタはクビだ! 屋敷に閉じ込めて(幽閉)、二度と仕事に口を出すなよ!

    彼は、自分を批判し始めた後白河上皇を力ずくで政治から追い出し、反対派の貴族を大量にクビにするという、前代未聞の暴挙に出ました。

    これは、「自分を役員に引き立ててくれた名誉会長(上皇)が邪魔になったので、社長(清盛)が警備員を動員して会長を自宅監禁し、会社を完全に乗っ取ってしまう」という、世の中がドン引きするレベルのクーデターです。

    平清盛と後白河上皇:恩人を幽閉した政変の相関図
    平清盛が後白河上皇と対立し力ずくで幽閉した関係を示す相関図
    平清盛が武装した従者を率いて後白河上皇の御所を包囲し、強引に幽閉する場面
    平清盛が武装した従者を率いて後白河上皇の御所を包囲し、強引に幽閉する場面
    後白河上皇

    清盛のやつ、恩を仇で返しやがって……! 誰か、アイツを倒す勇者はいないのか!?
    民衆

    上皇様まで閉じ込めるなんて、清盛のやり方は度が過ぎてるぜ。もうアイツにはついていけねえ……。

    なかなか物騒な展開ではありますが、この清盛の強引なやり方が、ついに平氏の終わりを招くことになります。

    5. 全国で反乱が起きるなか、熱病で死去

    後白河法皇を幽閉した翌年の1180年、以仁王が平氏追討を呼びかけ、伊豆の源頼朝や信濃の源義仲などが挙兵しました。反平氏の動きが各地へ広がるなか、清盛は都を福原へ移しましたが、半年ほどで京都へ戻ることになります。

    平清盛

    頼朝も義仲も立ち上がっただと? まずは東国を押さえろ。平氏の力を見せつけるぞ!
    平氏の一族

    各地で反乱が続いている……。清盛様、ここで倒れるのはまずいです!

    しかし1181年、清盛は激しい熱病に倒れ、64歳(数え年)で死去しました。実際の病名は分かっていません。『平家物語』では、清盛が死の間際まで源頼朝の追討に執念を燃やした姿が、次のように描かれています。

    平清盛

    頼朝の首を墓前に供えよ……。それだけが心残りだ。

    これは『平家物語』に記された逸話で、史実と断定できるものではありません。清盛の死後も戦乱は続き、平氏は1183年に京都を離れ、1185年の壇ノ浦の戦いで滅亡しました。清盛の死は、平氏政権が崩れていく過程の大きな転換点となったのです。

    総括

    結果:平清盛は、武力と財力(日宋貿易)を背景に、武士として初めて日本のトップに立ち、それまでの貴族中心の政治を終わらせました。彼が作った「武士による政権」というスタイルは、形を変えながらもその後700年近く続くことになります。

    一方:彼が結局は昔の貴族と同じような「身内びいき」の政治(婚姻政策)に走ってしまったことや、強引すぎる独裁で上皇や他の武士たちの怒りを買ったことは大きな失敗でした。その結果、地方でくすぶっていた源氏などのライバルが一斉に立ち上がり、清盛の死後、平氏はわずか数年で滅亡へと追い込まれてしまったのです。

    まとめ:平清盛の意義

    まとめ

  • 武士政権の誕生:低い身分だった武士が、実力で国家の最高位に登りつめる先例を作った
  • 日宋貿易の推進:貿易の重要性に気づき、神戸の港を整備して海外のお金(宋銭)を日本に定着させた
  • 貴族化の限界:自らも貴族のような生活を送ったことで、現場の武士たちの支持を失うという教訓を残した
  • 最後に、この「おごれる平氏」を倒すために、伊豆に流されていた源頼朝が、まったく新しい「武士の会社(鎌倉幕府)」を立ち上げることになりますが、それはまた別のお話。

    理解度確認テスト

    Q1. 平清盛が武士として初めて就任した、数千人の役人の中でもただ一人しかなれない最高位の役職は何?


    A. 太政大臣

    Q2. 清盛が経済力を高めるために、当時の中国の王朝と行った貿易は何?


    A. 日宋貿易

    Q3. 清盛が貿易のために整備した、現在の神戸港近くの港の名前は何?


    A. 大輪田泊

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