崇峻天皇が政治をした時期を説明します。有力な部下の支えでリーダーになったものの、その部下と仲違いし、日本史でも稀な最悪の結末を迎えた天皇です。
★ この記事でわかること
- 崇峻天皇が即位した背景
- 蘇我馬子との対立
- 592年の暗殺と推古天皇即位
崇峻天皇はどんな人?
欽明天皇の息子で、丁未の乱で勝った蘇我馬子の後押しを受けて即位しました。臣下による暗殺の記録を残す、悲劇的な天皇です。
登場する地方や国について

どのくらいの時代?
1. 血塗られた「スカウト」採用
丁未の乱で物部守屋を倒した蘇我馬子は、次の天皇として崇峻天皇を擁立しました。
崇峻天皇
馬子さんが物部守屋を倒してくれたおかげで、俺が次の天皇に選ばれたぜ! これからは俺がこの国を引っ張っていくぞ!
蘇我馬子
あなたが天皇になれたのは、誰のおかげか分かってますよね? 余計なことはせず、座っているだけでいいんですよ
2. 不満爆発の「お飾り社長」生活
しかし実権は蘇我馬子が握っており、崇峻天皇は次第に不満を強めたと伝えられます。
崇峻天皇
天皇になったのはいいけど、大事な仕事は全部馬子さんが決めてるじゃねえか。俺はただハンコを押すだけの機械かよ?
家臣
天皇、あまり不満を表に出すと危ないですよ。あの人の耳はどこにでもありますから
3. イノシシに例えた爆弾発言
『日本書紀』では、崇峻天皇が献上されたイノシシを見て、憎む相手の首も同じように切りたいと語ったと伝えます。
崇峻天皇
このイノシシの首を切り落とすように、いつか俺の嫌いなあの男も、こうしてやりたいもんだな!
4. 592年、臣下による天皇暗殺
蘇我馬子は崇峻天皇を殺害したと『日本書紀』に記されます。この出来事を「崇峻天皇暗殺」といいます。
蘇我馬子
なら、そうなる前に君の方を削除してあげよう。新しい天皇はいくらでも替えがいるからね
補足:崇峻天皇暗殺とは?
補足
592年、崇峻天皇は刺客に殺害されたと伝えられます。皇位につく天皇を臣下の蘇我馬子が排除したとされる点で、当時の豪族が持った強大な政治力を示す事件です。その後、馬子の姪である推古天皇が即位し、飛鳥時代の政治は新しい段階へ進みます。
民衆
えっ、天皇が殺された!? そんなのありかよ……
まとめ:崇峻天皇の時代の意義
まとめ
- 蘇我氏の強大な力を示した。
- 天皇と豪族の緊張関係を示す悲劇となった。
- 推古天皇即位への転機となった。
理解度確認テスト
Q1. 587年の武力衝突で仏教反対派を破った後、天皇の擁立を主導し、飛鳥時代前半に大きな政治力を持った有力豪族は誰ですか。
A. 蘇我馬子
Q2. 欽明天皇の子で、丁未の乱の後に即位し、592年に臣下によって殺害されたと伝えられる第32代天皇は誰ですか。
A. 崇峻天皇
Q3. 592年の事件後、有力豪族の姪として即位し、日本で最初の女性天皇とされる人物は誰ですか。
A. 推古天皇