歴史・社会の疑問 読了 8分

【明治時代・留守政府】留守政府でルンルン政府!? 主役が不在の間に勝手に大改造

ブログ記事のアイキャッチ。640×360px、歴史教養ブログ「ムダシル。」用のポップで親しみやすい明治初期イラスト。中央で西郷隆盛と板垣退助が、文字も記号もない完全な白紙の改革資料を次々に示す。周囲には算盤を持つ大久保利通と、学校・徴兵・地租改正に戸惑う農民を描く。背景に岩倉使節団の船、学制の学校、測量される田畑、近代的な軍隊を配置し、主役不在の間に国の制度が急速に変わったことが伝わる構図。上部にタイトルを重ねるための余白を確保する。すべての紙・板・看板は完全な無地。文字・数字・疑似文字・記号・吹き出し・ロゴ・透かしは一切入れない

※「留守(るす)」と「ルンルン」をかけ、ボスの不在をいいことに、ノリノリで日本の大改造を進めた様子を表しています。

留守政府による政治が行われていた時期のイベントについて説明します。タイトルの約束どおり、リーダーたちが世界一周旅行(岩倉使節団)に行っている間、日本を預かったメンバーが「何も変えるなよ」という約束を完全に無視して、現代日本の基礎となる法律を爆速で作ってしまった時のお話です。

留守政府とは何か?

今からおよそ150年前、明治時代の初めに日本を一時的に預かったリーダーたちのチームです。 岩倉使節団として海外視察に行った100人以上のエリートの代わりに、日本に残って政治を回しました。 「学制」や「徴兵令」といった現代日本の基礎となる法律を次々と成立させ、最後は「朝鮮を攻めるかどうか」でチームが分裂してしまった、幕末の志士たちによる「お留守番チーム」です。

登場する地方や国について

東京、京都、朝鮮、欧米、鹿児島、高知、佐賀
東京、京都、朝鮮、欧米、鹿児島、高知、佐賀

どのくらいの時代?

岩倉使節団の出発から学制、徴兵令、地租改正、征韓論争と明治六年の政変までを示す年表
留守政府の1871年から1874年以降までの主要事件年表

その1:ボスたちがいない間に「勝手に大改造」をスタート

留守政府のリーダーである西郷隆盛や板垣退助たちは、お留守番を頼まれた際にこう考えました。

西郷隆盛
「岩倉さんや大久保さんたちが海外に行っちゃったから、俺たちが日本を守らなきゃいけないんだよな。彼らからは『大きい改革は帰るまで待てよ』って言われてるけど、今の日本は課題が山積みで、そんなの待ってられないぜ。よし、今のうちに国をピカピカにアップデートしちゃうんだよな!」

彼らは、ボスの不在中に大規模な改革を行わないという約束を破り、日本の近代化を爆速で進めることを決断しました。

これは例えば、「部長が長期出張に行った隙に、残された課長たちが『今のうちにオフィスを全部リノベーションして、最新のITシステムも導入しちゃおうぜ!』と、勝手に予算を使って会社を大改造し始めた」ような状況です。

側近
「西郷さん、これ帰ってきたら絶対怒られますよ……」
西郷隆盛
「ふふん、国が良くなるなら結果オーライなんだよな!」

なかなかパンクなスタートではありますが、留守政府はさらにこう考えました。

その2:子供は全員「学校(義務教育)」へ強制入学

次に彼らは、国民のレベルアップを狙いました。

板垣退助
「世界と戦うには、国民みんなが読み書きできないと話にならないんだよな。だから、今日から全員に『学校』へ行くことを義務付ける新ルール『学制(がくせい)』をリリースするぞ! 階級なんて関係なし、みんなでお勉強して会社(国)を強くするんだよな!」

彼らは、身分に関係なくすべての子供に小学校教育を受けさせる制度を整えました。

これは、「会社の全社員(とその家族)に対し、『今日から資格の勉強は義務だ! 仕事を休んででもスクールに通え!』と命令し、全社員のスキルを底上げしようとしている」ような状況です。

農民
「うちの子は貴重な働き手なのに、学校に取られるなんて困るぜ! 月謝(授業料)も高すぎるだろ!」
留守政府
「未来への投資なんだから、今は我慢してほしいんだよな!」

相当な強引さではありますが、この理想を掲げた上で、彼らはさらにこう考えました。

その3:農地の税金を「コメ」から「カネ」へ変更

国内を固めるために、彼らは会社の財布(財政)にもメスを入れました。

留守政府の役人
「今の税金(年貢)はコメで納める仕組みだけど、それだと収穫量で会社の収入がバラバラになっちゃうんだよな。これじゃ予算が立てられないぜ。だから、土地の値段に合わせて『カネ(現金)』で税金を払わせるルール『地租改正(ちそかいせい)』を導入するぞ。これで収入が安定してハッピーなんだよな!」

彼らは、土地の所有者に地券を発行し、地価の3%を現金で納めさせることで、政府の収入を安定させようとしました。

これは、「毎月の売上が不安定な古い会社が、特定の業者から『売上の歩合』ではなく『月額固定のライセンス料』を現金でガッツリ取るようにして、キャッシュフローを安定させた」ような状況です。

中央で電卓を叩く留守政府のメンバーと、その周りで「コメではなくカネで払え」と言われて困惑する農民たち。背景には測量される田畑が描かれている図。文字なし
中央で電卓を叩く留守政府のメンバーと、その周りで「コメではなくカネで払え」と言われて困惑する農民たち。背景には測量される田畑が描かれている図。文字なし
農民
「コメが不作でもカネで払えってのかよ! 結局、前の幕府の時より負担が増えてるじゃねえか!」
留守政府
「会社を運営するには安定したキャッシュが必要なんだよな!」

なかなかドン引きの厳しさですが、留守政府は最後に、最も物議を醸す法律をリリースします。

その4:今日から全員「兵隊(自衛隊)」の強制参加

さらに彼らは、軍事力の大改造に乗り出しました。

西郷隆盛
「今まで戦争は『武士』の専売特許だったけど、それじゃ人数が足りないんだよな。これからは、20歳になったら農民も町人も関係なく、全員が兵隊になって国を守れ! この最強のルール『徴兵令(ちょうへいれい)』で、西洋に負けない軍隊を作るんだよな!」

彼は、それまでの武士による特権的な軍隊を廃止し、一般国民から徴兵する近代的な軍隊の仕組みを完成させました。

これは例えば、「セキュリティ部門を専門の警備会社(武士)から『全社員による交代制のガードマン』に変更し、さらに社員全員に格闘技の特訓を義務付けた」ような大改革です。

元武士
「俺たちの存在意義がなくなっちゃうじゃないか! 素人の農民と一緒にするな!」
農民
「これは『血税』だ! 家族を戦場に送るなんて、絶対に嫌だぜ!」

かなりの批判を浴びる政策ですが、この「留守政府」が勝手に進めた大改造こそが、現代日本のメインOSとなりました。

その5:ボスの帰還と「ケンカ」による大分裂

こうした中、ついに世界旅行からボスたちが帰ってきました。

西郷隆盛
「おかえり! 色々やっといたぞ。あと、最近朝鮮の態度が悪いから、俺が乗り込んで行って話をつけようと思うんだ(征韓論)。もし俺が殺されたら、それを口実に戦争して朝鮮を開国させようぜ。それで不満を持ってる元武士たちの居場所を作ってやるんだよな!」
大久保利通
「おい待て! 海外を見てきたけど、日本はまだ全然レベルが低いんだぞ。今は外で喧嘩してる場合じゃない。まずは内政(国内の整理)を優先すべきだろ(内治優先)! 西郷、お前のプランは却下だ!」

帰国した岩倉・大久保チームと、留守を守った西郷・板垣チームの間で、朝鮮問題をめぐる激しいバトルが勃発しました。これを「征韓論争」といいます。

これは、「出張から帰ってきた社長が、勝手にオフィスを改造した課長たちのプランを全否定し、『まずは社内のコンプライアンスを固めろ!』とブチギレて、経営方針をめぐって役員会議が地獄絵図になっている」ような状況です。

西郷隆盛・板垣退助らの征韓派と、大久保利通・木戸孝允らの内治優先派が、改革と朝鮮政策をめぐって対立した関係図
留守政府の西郷隆盛と板垣退助と大久保利通と木戸孝允と農民と旧武士の関係図
西郷隆盛
「俺の言い分が通らないなら、もうこんな会社やめてやる! 今日で辞職だ!」
大久保利通
「勝手にしろ。これからは俺たちのやり方で国を固めてやるんだよな!」

相当な後味の悪さを残す結末ですが、1873年、西郷や板垣らは一斉に政府を辞めてしまいました。これを「明治六年の政変(めいじろくねんのせいへん)」といいます。

総括

結果:留守政府は、ボスの不在というチャンス(?)を活かして、教育(学制)・軍事(徴兵令)・税制(地租改正)という近代国家の骨格をわずか2年ほどで一気に作り上げました。彼らが「勝手に」進めたこれらの改革がなければ、日本の近代化はもっと遅れていたはずです。

一方:あまりに急激で厳しい変化は、特権を失った武士(士族)や重い負担を強いられた農民の猛烈な怒りを買いました。さらに、「征韓論」をめぐる分裂(明治六年の政変)によって、政府の半分以上の人材が去るという異常事態を招き、これがのちの武力反乱(西南戦争)や、言論による攻撃(自由民権運動)という、新しい混乱の種となってしまったのです。

まとめ:留守政府による政治の意義

最後に、この「お留守番チーム」を追い出した大久保利通たちが、ここから独裁的な強さで「大久保政権」を確立し、日本をさらに引き締め直していきますが、それはまた別のお話。

この出来事が今後どう評価されるかは、まだ分かりません。 以上、留守を任されたルンルン政府!? 主役が不在の間に勝手に大改造でした。

理解度確認テスト

Q1. 岩倉使節団が海外視察へ出ている間、日本に残って政治を担当したチームを何といいますか?


A. 留守政府

Q2. 1872年、全国に学校を整えるために発布された教育制度を何といいますか?


A. 学制

Q3. 1873年、征韓論をめぐる対立から西郷隆盛や板垣退助らが政府を去った出来事を何といいますか?


A. 明治六年の政変

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