※「大隈(おおくま)」と、隅から隅までという意味の「クマなく」をかけ、世界の大事件に素早く反応してチャンスを掴もうとしたことを表しています。
この人物が政治をしていた時期のイベントについて説明します。タイトルの約束どおり、「世界の巨大な喧嘩」が起きた際、それを「天の助け」と呼んで便乗し、ライバル会社(中国)に強気な条件を突きつけ、ついでに社内(国内)を成金だらけのバブル状態にしてしまった時のお話です。
大隈重信(第2次)はどんな人?
今からおよそ110年前、大正時代に日本の第17代社長(内閣総理大臣)をしていた男性です。 かつて政府をクビになった経験を持ちながら、国民的人気を武器に返り咲いた「不屈のレジェンド」です。 世界の喧嘩(第一次世界大戦)を利用して日本の勢力を一気に広げ、国内経済を爆上げさせた、大正時代のイケイケなリーダーです。
在職期間:第2次大隈内閣は1914年4月16日から1916年10月9日まで、首相官邸の数え方で908日間です。第1次内閣132日と合わせた通算在職は1040日でした。
登場する地方や国について
どのくらいの時代?
その1:社内の「最大派閥」を抑えるための再就職
大隈重信(おおくましげのぶ)は、80歳近い高齢で再び社長(総理大臣)に指名された際、こう考えました。
何をしたのか・どうなったのか
彼は、圧倒的な力を持っていた政党(立憲政友会)の影響力を削ぎたい「元老」たちの期待を背負って、再びリーダーの座に就きました。
これは例えば、「社内の最大派閥が強すぎて困っている会長(元老)が、かつてのエースでファンも多い『伝説の元店長』を社長に呼び戻し、新しい対抗派閥(政党)を作らせてパワーバランスを整えようとしている」ような状況です。
なかなか打算的な再就職ではありますが、大隈はさらにこう考えました。
その2:世界の喧嘩を「天の助け」と呼んで便乗
社長になってすぐ、ヨーロッパで未曾有の大事件が起きました。
何をしたのか・どうなったのか
彼は、第一次世界大戦が始まったことを日本の勢力拡大の絶好の機会と捉え、すぐに参戦を決めて中国のドイツ拠点(青島(チンタオ))などを攻撃しました。
日本は日英同盟を根拠に1914年8月15日、ドイツへ最後通牒を出し、23日に宣戦しました。参戦を強く推進したのは外相の加藤高明で、11月に青島のドイツ軍が降伏しました。
これは、「取引先同士が激しい訴訟(戦争)を始めてアジア市場がガラ空きになった隙に、ベンチャー企業(日本)が『提携先を助ける』と言い張りながら、ライバル他社のオフィスを次々と占拠して回っている」ような、かなり強引なビジネスチャンスの掴み方です。
なかなかパンクな火事場泥棒スタイルですが、大隈はさらにこう考えました。
その3:ライバル会社(中国)へ「無理難題」をリリース
ドイツの拠点を落とした勢いで、大隈はさらなる野望をぶつけました。
何をしたのか・どうなったのか
彼は、1915年に中国に対して日本の権益を大幅に認めさせる要求を突きつけ、軍事力を背景にその多くを強制的に承諾させました。
1915年1月18日に日本が袁世凱政権へ提出した5号21カ条の要求です。山東省のドイツ権益継承、南満州・東部内蒙古の権益延長などを求めました。日本人顧問の雇用などを含む第5号の大部分は、列強の反発もあって最後通牒から外され、5月9日に中国が受諾しました。
これは例えば、「混乱しているライバル会社に対し、社長が『今日からうちのルールに従え。さもないと法的手段(戦争)も辞さないぞ』と、21項目もの不平等な契約書を突きつけて、無理やりハンコを押させている」ような状況です。

相当なドン引きの外交術ですが、この理想を掲げた上で、国内では空前の「お祭り騒ぎ」が始まります。
その4:バブルな「成金」の爆誕と突然のクビ
外での強気な営業は、国内に予想以上のボーナスをもたらしました。
何をしたのか・どうなったのか
第一次世界大戦による「大戦景気」で日本は空前の好景気になりましたが、内閣は選挙違反のスキャンダルや元老との対立で支持を失い、1916年に総辞職しました。
大浦事件:1915年、内相の大浦兼武が政友会議員を買収して法案を通そうとした疑惑が表面化し、辞任・政界引退へ追い込まれました。大隈内閣は一度総辞職を申し出た後に改造して続きましたが、後継首相をめぐる元老との対立を経て1916年10月に退陣しました。
これは、「外での強引な営業が成功して社内のボーナスが爆上がりしたものの、足元での不正(買収)が発覚し、さらに創業者(元老)と人事でもめて大喧嘩した結果、人気絶頂のはずの社長が突然退職に追い込まれた」ような、波乱万丈な結末です。

相当な後味の悪さを残す幕引きですが、この「大隈」のイケイケな政治こそが、日本を世界の主役へと強引に引きずり出したのです。
総括
結果:第2次大隈重信内閣は、第一次世界大戦という「天の助け」を最大限に利用し、「二十一カ条の要求」を通じて中国への勢力を爆発的に拡大させました。さらに「大戦景気」によって日本は莫大な借金を抱えた国から、世界にお金を貸す「債権国」へと劇的な進化を遂げ、軍備拡張(2個師団増設)という長年の悲願も達成してしまいました。
一方:中国へのあまりに強硬な姿勢は、中国の人々の間に激しい「反日感情」を植え付け、のちの泥沼の対立の種をまいてしまいました。また、国内では「政治とカネ」のスキャンダルを招き、国民の期待を裏切る形で政党政治のダークな一面を見せてしまったという負の側面も持っているのです。
まとめ:大隈重信中心の政治の意義
- [世界の混乱への便乗] :第一次世界大戦に素早く参戦し、アジアにおけるドイツの権益を奪い取って、日本の国際的地位を爆上げした。
- [大陸進出の強行] :「二十一カ条の要求」を突きつけ、日本の中国における優位性を世界に認めさせる足掛かりを作った。
- [経済大国へのジャンプアップ] :「大戦景気」を背景に輸出を急増させ、日本を深刻な不景気から一気に救い出し、空前のバブル(成金)を生み出した。
最後に、この「イケイケ社長」が去ったあと、今度は軍隊出身で「超ド真面目」な寺内正毅がやってきて、強引に「お静かに政治(超然内閣)」へと引き戻していきますが、それはまた別のお話。
この出来事が今後どう評価されるかは、まだ分かりません。 以上、おおくまが大チャンスにクマなく反応!? 世界の喧嘩に便乗したイケイケ経営でした。
理解度確認テスト
Q1. 第一次世界大戦中の1915年、大隈内閣が日本の権益を認めさせるために中国(袁世凱政権)に対して突きつけた、全部で21項目からなる要求は何ですか?
A. 二十一カ条の要求
Q2. 大隈重信が、第一次世界大戦という日本の勢力を広げる絶好の機会を歓迎して表現した、四字熟語にもなっている言葉は何ですか?
A. 天祐(てんゆう)
Q3. 大隈内閣の時期に起きた第一次世界大戦による好景気(大戦景気)の最中、にわかに富豪となった資本家たちのことを当時何と呼びましたか?
A. 成金(なりきん)
用語対応表
- 内閣総理大臣(大隈重信):17代目の社長
- 第一次世界大戦:世界の巨大な喧嘩
- 二十一カ条の要求:中国への強気な条件セット
- 天祐:天の助け
- 成金:急にお金持ちになった人たち
- 二十一カ条の要求(の一部):世界が認めた日本の勢力ライン
- 買収(大浦事件):選挙を有利にするための不正
- 二個師団増設:軍隊の新しい2つのチーム編成
- 立憲同志会:大隈を支えた自分の政党
- 元老(山県有朋):大隈を呼び戻した創業者の代表