※「大隈(おおくま)」と、目の下の「隈(くま)」をかけ、寝る間も惜しんで日本の新しいルール(国会)を作ろうと奮闘した様子を表しています。
この人物が政治をしていた時期のイベントについて説明します。タイトルの約束どおり、カリスマ役員(大久保利通)が消えた後の会社(日本)で、お金の問題を力技で解決しようとし、ついでに「イギリス風の自由なルール」を提案して同僚と大喧嘩した末に、10年後の約束を残して会社を去った時のお話です。
大隈重信はどんな人?
今からおよそ140年前、明治時代の前半に日本の「財務大臣(大蔵卿)」をしていた男性です。 政府から追い出されるという「明治十四年の政変」という大事件を経験しながらも、10年後の国会開設という約束を皇帝(天皇)から引き出した、情熱あふれる実務派のリーダーです。 最後は政府をクビになりますが、その後に「早稲田大学」の前身を作ったり、日本初の政党内閣を目指したりと、日本の「話し合いの文化」を切り開いたレジェンドです。
登場する地方や国について
どのくらいの時代?
その1:足りないお札を「緊急輸血」で水増し
大隈重信は、リーダーの一人として実権を握り始めた際にまずこう考えました。
彼は、財政難を乗り切るために、金の保有量に関係なく使える紙幣を大量に発行して、無理やり経済を回そうとしました。
これは例えば、「会社のサイフが空っぽになったので、役員が『今日からこの付箋(ふせん)にお金って書いて配れば、みんな買い物に使えるだろ!』と、価値の保証がないお札を大量に配って、無理やり給料や支払いにあてている」ような状況です。
なかなかパンクなスタートではありますが、大隈はさらにこう考えました。
その2:イギリス流の「話し合い」を今すぐ導入
お金の整理をしながら、大隈は国の根本的なルールについても提案しました。
彼は、早期の国会開設と、選挙で選ばれた政党が内閣を作る仕組みを導入すべきだと主張しました。
これは、「社内の意思決定が遅いのを見た役員が、『明日から全社員の投票でリーダーを決めようぜ! イギリスの支店はそれでうまくいってるぞ!』と、超スピードでの民主化を提案している」ような状況です。
なかなかアグレッシブな方針ですが、この理想を掲げた上で、最悪のスキャンダルが発覚します。
その3:仲間に「備品」を激安で売る汚職が発覚
議論が平行線になる中、政府内でとんでもないニュースが飛び込んできました。
政府が所有する高価な資産を、特定の人間にだけ不当に安く譲ろうとした汚職疑惑が報じられ、国民の怒りが爆発しました。
これは、「社長の友達が、『会社が1億円で作った最新の研究所を、俺に10万円で売ってよ』と言い出し、それが認められそうになって、社員全員が『ふざけるな!』と本社に殴り込んできた」ような状況です。
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相当な不信感が渦巻く体制ですが、大隈は最後に劇的な結末を迎えます。
その4:会社をクビになる代わりに「約束」をゲット
役員たちの不信感はピークに達し、大隈への「最後通牒」が下されました。
1881年、大隈重信は政府を去ることになりましたが、同時に政府は10年後の国会開設を公式に約束しました。これを「明治十四年の政変」といいます。
これは例えば、「社内クーデターを疑われたエース役員が、『お前はクビだ! でも社員の不満をなだめるために、10年後には社員食堂(国会)を作ると約束してやる!』と言い渡され、悔しくも大きな足跡を残して会社を去っていった」ような状況です。
相当な後味の悪さを残す結末ですが、この「大隈(おおくま)」の情熱と引き換えに、日本は「選挙と国会」のある国へと動き出したのです。
総括
結果:大隈重信は、不換紙幣の大量発行という強引な手段で一時的に政府のピンチを救おうとしましたが、物価高(インフレ)を招いてしまいました。また、イギリス流の自由な政治を求めて政府内で対立し、最後は「明治十四年の政変」で追い出される形となりました。しかし、その過程で「10年後の国会開設」という約束を政府から引き出すことに成功し、日本の民主化への道を決定づけました。
一方:大隈が去った後の財政は、次に主導権を握った松方正義によって「超ドケチな節約(デフレ政策)」へと180度転換され、今度は農民たちが土地を失うほどの不景気に苦しむことになりました。また、政治も伊藤博文による「天皇の力が強いドイツ流」の憲法づくりが進むことになり、大隈が理想とした自由なイギリス風の政治が実現するのは、まだ先のことになります。
まとめ:大隈重信中心の政治の意義
- [経済の緊急対策] :不換紙幣の大量発行(緊急輸血)により、内戦でボロボロになった政府の財政を無理やり支えた。
- [国会開設へのトリガー] :スキャンダルへの対応や政府内での対立を通じて、政府に「10年後の国会開設」を約束させた。
- [二大政党の土台作り] :政府を去った後、知識人らと「立憲改進党」を結成し、のちの議会政治を担うライバル勢力を育てた。
最後に、この「情熱の役員」を追い出した伊藤博文が、ここから憲法作成のためにヨーロッパへ渡り、日本を「立憲国家」という次のステージへ爆速で導いていきますが、それはまた別のお話。
この出来事が今後どう評価されるかは、まだ分かりません。 以上、おおくまが大きなクマを消した! 10年後の約束をもぎ取った情熱の会議でした。
理解度確認テスト
Q1. 大隈重信が紙幣を発行して政府の財政を支えようとした政策を何といいますか?
A. 大隈財政
Q2. 北海道の開拓使が整備した官有物を安く払い下げようとして批判された事件を何といいますか?
A. 開拓使官有物払い下げ事件
Q3. 1881年の政変の際、政府が10年後の国会開設を約束した文書を何といいますか?
A. 国会開設の勅諭
用語対応表
- 金貨と交換できないお札 → 不換紙幣
- お金を無理やり増やす政策 → 大隈財政
- 大隈を政府からクビにした事件 → 明治十四年の政変
- 政府の道具を安売りする汚職 → 開拓使官有物払い下げ事件
- イギリス流のリーダーの選び方 → 議院内閣制
- 大隈が作った穏健派の政党 → 立憲改進党
- 大隈の後に財政を立て直した人 → 松方正義
- 大隈の後に憲法を作った人 → 伊藤博文