歴史・社会の疑問 読了 7分

【明治時代・黒田清隆】苦労して届けた憲法と、空気を読まない超然の壁

ブログ記事のアイキャッチ。640×360px、歴史教養ブログ「ムダシル。」用のポップで親しみやすい明治時代のイラスト。中央で大日本帝国憲法の冊子を掲げる黒田清隆、背景に明治天皇と憲法発布を祝う人々を描く。画面の片隅には北海道の払い下げ事件を思わせる黒い影、反対側には政党を遠ざける黒田の超然とした表情を置き、憲法発布の功績と政治不信が同居する構図。文字・数字・吹き出し・ロゴは入れない

※「黒田(くろだ)」と「苦労(くろう)」をかけ、憲法発布という大仕事をこなしつつ、世論を無視して嫌われてしまった苦労人ぶりを表しています。

この人物が政治をしていた時期のイベントについて説明します。タイトルの約束どおり、アジア初の最強ルール(憲法)が完成して会社(国)がお祭り騒ぎになる中、裏で備品を安売りするスキャンダルがバレてしまい、開き直って「お前らの意見は聞かない」と宣言して全方位から嫌われてしまった時のお話です。

黒田清隆はどんな人?

今からおよそ140年前、明治時代の前半に日本の「2代目社長(内閣総理大臣)」をしていた男性です。 薩摩藩(鹿児島)出身の軍人で、第2代総理大臣として、およそ1年半にわたり日本のリーダーを務めました。 「大日本帝国憲法」が配られた記念すべき瞬間のトップでありながら、汚職疑惑や強気すぎる発言(超然演説)で現場の社員(国民)をドン引きさせた、ある意味で非常にタフな社長です。

登場する地方や国について

東京、北海道、鹿児島、ドイツ
東京、北海道、鹿児島、ドイツ

どのくらいの時代?

開拓使官有物払い下げ事件から大日本帝国憲法発布、超然演説、黒田内閣の総辞職までを示す年表
黒田清隆の1881年から1889年までの主要事件年表

その1:仲間の商人に「備品」を激安で売る汚職

黒田清隆は、社長になる前の役員(開拓長官)時代にこう考えました。

黒田清隆
「北海道の開発も一段落したし、そろそろ使わなくなった農場や工場を処分したいんだよな。でも、公売にかけるのは面倒くさいぜ。よし、同じ薩摩出身の友達(五代友厚)に、『1400万円』かけた備品を『38万円』の激安価格でこっそり売ってやるぞ! 友達価格なんだから文句ねえだろ?」

彼は、政府が多額の資金を投じた北海道の持ち物を、特定の商人に不当に安く譲り渡そうとしました。

これは例えば、「会社が1億円かけて作った最新の研究所を、役員が自分の幼馴染に『100円でいいよ』と言ってこっそり譲り渡そうとしている」ような、モラル崩壊のスキャンダルです。

自由民権派の社員
「おい黒田! 特定の仲間うちだけで甘い汁を吸うなんて許せねえぞ! 税金をなんだと思ってるんだ!」
黒田清隆
「(チッ、バレたか……)うるせえ、これは合理的な判断なんだよな!」

なかなかエグい癒着(ゆちゃく)ではありますが、この騒動(開拓使官有物払い下げ事件)こそが、日本を大きく動かすきっかけになりました。

その2:天皇からのギフト「大日本帝国憲法」の発布

それを踏まえた上で、黒田は社長(総理大臣)として、国を動かす「最強のマニュアル」をリリースします。

黒田清隆
「スキャンダルでガタガタしてるけど、ついに前任の伊藤(博文)くんが仕上げた最強の経営マニュアル(大日本帝国憲法)が完成したんだよな。今日は社長(天皇陛下)から全社員(国民)にこのマニュアルをプレゼントする、お祝いの日だ! これで日本も世界の一流企業の仲間入りなんだよな!」

1889年、彼は総理大臣として、日本がアジアで初めて本格的な立憲国家となる瞬間に立ち会いました。

これは、「社内が不祥事で荒れている最中に、ついに全社員が待ち望んでいた『最新の就業規則』が配布され、会社全体が一時的に『俺たちも一流だ!』とお祭りムードになっている」ような状況です。

中央で「大日本帝国憲法」を掲げる明治天皇と、その横で満足げな黒田清隆。周囲では万歳をする国民たちが描かれているが、背後には「払い下げ事件」の黒い影が残っているイメージ図
中央で「大日本帝国憲法」を掲げる明治天皇と、その横で満足げな黒田清隆。周囲では万歳をする国民たちが描かれているが、背後には「払い下げ事件」の黒い影が残っているイメージ図
一般社員(国民)
「うおおお! ついに日本も憲法のある立派な国になったのか! なんだか誇らしいぜ!」
黒田清隆
「ふふん、これで欧米のライバルたちにもナメられないんだよな!」

なかなかのイメージ戦略ですが、この理想を掲げた上で、黒田は直後に「冷や水」を浴びせます。

その3:現場の意見を無視する「お断り」のスピーチ

憲法をお祝いした翌日、黒田は全社員の前で驚きの宣言をしました。

黒田清隆
「おい社員(国民)ども、憲法ができたからって調子に乗るなよ。これから選挙や会議(議会)が始まるけど、政府(俺たち)は特定の派閥(政党)の意見なんて1ミリも聞かないぞ。俺たちは『超然(ちょうぜん)』とした立場で勝手にやらせてもらうからな! 文句があるなら辞めちまえ!」

彼は、政府は政党の意向に左右されず独自に政治を行うべきだという「超然主義」を宣言し、民意を無視する姿勢を明確にしました。

これは例えば、「新ルールを配った翌日に、社長が『会議室は作ったけど、社員のアンケート結果は一切無視して俺が決めるからな。それが嫌なら会社を去れ』と、全社員の前でマイクを使って喧嘩を売っている」ような絶望的な状況です。

政党のメンバー
「何のために憲法作ったんだよ! 俺たちの意見を聞かないなら、予算案なんて絶対に通してやらないからな!」
黒田清隆
「勝手にしろ。俺は誰にも媚びないんだよな!」

相当な強気姿勢ですが、この理想を掲げた上で、黒田はついに取り返しのつかない事態に直面します。

その4:外交トラブルとテロ事件で「投げ出し」退場

最後に、黒田は外からの問題でもトドメを刺されます。

黒田清隆
「(外務大臣の大隈くんに向かって)大隈くん、外国との不公平な契約(条約改正)はどうなってるんだ? ……え、裁判所に外国人の審判を雇うっていう条件を出したのがバレて、反対派に爆弾を投げつけられた(大隈重信遭難事件)!? もうめちゃくちゃじゃねえか。人事も外交も大炎上だ、俺はもうやめてやる(総辞職)!」

彼は、大隈重信が進めていた不平等条約の改正案への猛反発と、その後の襲撃事件による混乱の責任をとって、内閣を投げ出してしまいました。

これは例えば、「強気の姿勢で社内を支配しようとした矢先に、副社長(外務大臣)が他社との交渉ミスで襲撃され、現場がパニックになったのを見て、社長が『もう責任取れないから辞める!』と、デスクを放り出して帰宅してしまった」ような最悪の幕引きです。

周囲の役員
「黒田さん、あんなに強気だったのに、最後はあっさり辞めちゃうんですか……?」
黒田清隆
「うるせえ、もう疲れたんだよ……(そのまま退場)」

相当な後味の悪さを残す結末ですが、こうして黒田内閣は憲法発布という大仕事の直後に幕を閉じました。

総括

結果:黒田清隆は、第2代総理大臣として「大日本帝国憲法」の発布という歴史的瞬間に立ち会い、国家の体裁を整えることに成功しました。しかし、自身の汚職疑惑(官有物払い下げ事件)や、政党を無視する「超然演説」によって国民の激しい怒りを買い、結局は外交トラブルの責任をとって短期間で政権を放り出す形となりました。

一方:彼が放った「超然演説」は、初期の明治政府が抱いていた「政党に口出しされたくない」という本音を世間にさらけ出し、かえって政党側の団結を強めることになりました。また、彼の失敗があったからこそ、次のリーダーたちは「どうやって議会と話し合いをつけるか」という、より現実的なルール作り(政党との協力など)を模索せざるを得なくなったのです。

まとめ:黒田清隆の意義

最後に、この「投げ出し社長」が去ったあと、今度は軍隊出身で「超ド真面目」な山県有朋がやってきて、お金とポストの力を使って議会を無理やりまとめようとしますが、それはまた別のお話。

この出来事が今後どう評価されるかは、まだ分かりません。 以上、黒田がクローして届けた憲法と、空気を読まない超然の壁でした。

理解度確認テスト

Q1. 黒田清隆が北海道の官有物を特定の商人に安く売り渡そうとして、汚職だと批判された事件を何といいますか?


A. 開拓使官有物払い下げ事件

Q2. 黒田清隆が総理大臣の時に発布された、日本の近代憲法は何ですか?


A. 大日本帝国憲法

Q3. 黒田が政府は政党に左右されず政治を行うとした方針を何といいますか?


A. 超然主義

用語対応表

新着の「ムダ知識」をメールで
週1回、選りすぐりの疑問だけ届きます。
登録する