孝謙天皇(こうけんてんのう)が政治をしていた時期のイベントについて説明します。「お気に入りの部下」や「怪しい僧侶」をえこひいきしすぎて、国中を巻き込むドロドロの権力争いが勃発した時のお話です。
- 孝謙天皇と称徳天皇として二度即位し、女性として強力な権力を振るったこと
- 仲麻呂を重用して藤原氏の力を取り戻したが、最終的に自らその勢力を叩き潰したこと
- 後継者を残さなかったため天武天皇の家系が途絶え、天智天皇系の光仁天皇にバトンタッチされたこと
孝謙天皇はどんな人?
今からおよそ1300年前、奈良時代の後半に日本のリーダーをしていた女性です。
あの大仏を造った聖武天皇(しょうむてんのう)の娘であり、日本の歴史上、「一度辞めたのにもう一回天皇に返り咲いた(重祚:ちょうそ)」という、異例の経歴を持つガッツのある女帝です。
彼女の人生は、「仕事ができる甥っ子」と「謎のパワーを持つ僧侶」という、2人の男に振り回され続けた波乱万丈なものでした。
どのくらいの時代?
孝謙天皇が歴史のどのあたりに立っているのか、天皇の系譜の中で確かめてみましょう。
1. デキる甥っ子の「超・スピード出世」
孝謙天皇がリーダーに就任した際、バックには最強のサポーターがいました。
お母さんのえこひいきにより、仲麻呂は独裁的なパワーを握るようになります。
これは例えば、「会長(お母さん)の超お気に入り」という理由だけで、専務(仲麻呂)がいきなり全実権を握り、古い社則を自分に都合よく書き換えてバリバリ改革を始めたような状況です。
当然、周りのライバルたちは面白くありません。
養老律令の施行
749年、聖武天皇から譲位を受けて孝謙天皇が即位すると、藤原仲麻呂は祖父・藤原不比等の代からまとめられていながら施行されずにいた養老律令を、ついに実施に移しました。
藤原不比等らが大宝律令をもとに編纂した法典で、718年ごろに完成していたとされますが、長らく施行されずにいました。孝謙天皇の即位後、実権を握った藤原仲麻呂によって757年に施行され、大宝律令に代わる律令国家の新たな基本法となりました。仲麻呂にとっては、祖父の遺した法典を自らの手で完成させることで、権力基盤をさらに強固にする狙いもあったとされています。
2. 不満分子の「強制シャットダウン」
仲麻呂のワンマン経営にキレたライバルが、ついに動き出します。
仲麻呂は反対派を力ずくでねじ伏せ、さらに自分が担ぎ上げた淳仁(じゅんにん)天皇から「恵美押勝(えみのおしかつ)」という強そうな名前をもらって、権力の絶頂に登り詰めました。
これは、「文句を言う株主(橘氏)を裁判でハメて追放し、自分の言うことを聞く若い新社長(淳仁天皇)を立てて、自分は『スーパーCEO』として君臨した」というような無双状態です。
この出来事を「橘奈良麻呂の変」といいます。
757年、藤原仲麻呂の専横に反発した橘奈良麻呂が、仲麻呂の排除を企てたものの、事前に計画が露見して失敗に終わった政変です。奈良麻呂をはじめ関係者は捕えられ、拷問の末に多くが死亡しました。この事件によって仲麻呂に対抗しうる勢力は一掃され、仲麻呂は淳仁天皇から「恵美押勝」の名を賜るなど、権力の絶頂期を迎えることになります。
3. 看病から始まった「キケンなオフィスラブ」?
仲麻呂がイケイケだった頃、引退して「上皇」になっていた孝謙天皇に変化が起きます。
病気を治してもらったことをきっかけに、孝謙上皇は僧侶の道鏡をめちゃくちゃ寵愛し始めます。

これは例えば、引退したはずの女性会長が、自分の主治医(道鏡)にドハマりしてしまい、「彼のアドバイスは神の言葉よ!」と言い出して、会社の経営会議にまで彼を呼び始めたようなパニック状態です。
4. ブチギレの「返り咲き」と大掃除
道鏡を排除しようと焦った仲麻呂は、ついに武力で訴えます(恵美押勝の乱)。
孝謙上皇は迅速に軍を動かして仲麻呂を撃破し、自分を裏切った部下たちを一掃して、称徳(しょうとく)天皇として再びトップの座に座りました。
これは、「クーデターを仕掛けてきた専務を返り討ちにして即日解雇し、お飾りだった社長もクビにして、引退したはずの女帝会長が『新社長』として現場に電撃復帰した」という、恐ろしい人事刷新です。
この一連の戦いを「恵美押勝の乱」といいます。
764年、道鏡の排除を狙った藤原仲麻呂(恵美押勝)が挙兵したものの、孝謙上皇側にいち早く鎮圧された反乱です。仲麻呂は近江(現在の滋賀県)へ逃れようとしたところを捕えられ、処刑されました。この乱の鎮圧を受けて、仲麻呂が擁立していた淳仁天皇は廃位され、孝謙上皇は称徳天皇として重祚(ちょうそ、一度退位した天皇が再び即位すること)を果たします。
5. 「彼氏を社長にしたい!」神頼み大作戦
再びトップに立った彼女は、さらなる暴挙に出ようとします。
この「宇佐八幡神託事件(うさはちまんしんたくじけん)」により、皇族でもない僧侶が天皇になるという、日本の歴史をひっくり返す大ピンチが訪れます。

結局、道鏡の天皇即位はギリギリで阻止されました。
769年、九州の宇佐八幡宮から「道鏡を天皇にすれば天下太平になる」との神託がもたらされたとされる事件です。称徳天皇の命で確認に向かった和気清麻呂は、改めて神託を確認し「皇位には必ず皇統の者を立てよ、無道の者は早く排除せよ」という内容を持ち帰り、道鏡の即位を阻止しました。清麻呂はこの報告への怒りから流罪に処されましたが、後に名誉を回復し、皇位継承の原則を守った人物として高く評価されるようになります。
総括
結果:孝謙天皇(称徳天皇)は、仏教をあつく信じて国を安定させようとしましたが、「個人的なえこひいき」が行き過ぎたせいで、仲麻呂という独裁者を生み、さらに道鏡という僧侶が政治をかき乱すという大混乱を招いてしまいました。彼女が亡くなった後、道鏡は即座にクビ(追放)になりました。
一方:この時の「仏教が政治に口出ししすぎてヤバい」という反省があったからこそ、次の世代では「もう奈良はお寺が多くてしんどいわ。別の場所に都を移そうぜ」という流れになり、後の平安京への引っ越しにつながる大きなきっかけになったとも言えるのです。
まとめ:孝謙天皇の意義
- 異例のダブル即位:孝謙天皇と称徳天皇として二度即位し、女性として強力な権力を振るった。
- 藤原氏の復活と没落:仲麻呂を重用して藤原氏の力を取り戻したが、最終的に自らその勢力を叩き潰した。
- 皇統のチェンジ:彼女が独身で後継者を残さなかったため、それまでの天武天皇の家系が途絶え、天智天皇系の光仁天皇にバトンタッチされることになった。
理解度確認テスト
Q1. 757年、藤原仲麻呂の専横に反発して排除を企てたものの、計画が事前に露見して捕えられ、多くの関係者が拷問の末に死亡した政変を何といいますか。
A. 橘奈良麻呂の変
Q2. 764年、道鏡の排除を狙って挙兵したものの孝謙上皇側に鎮圧され、処刑された人物が生前に淳仁天皇から賜った、強そうな響きの名前は何でしょう。
A. 恵美押勝
Q3. 称徳天皇の命で九州の神社へ神託の真偽を確かめに行き、道鏡の即位を阻止する報告をしたことで流罪に処された人物は誰でしょう。人物名で答えてください。
A. 和気清麻呂
最後に、この「僧侶が政治に口を出すドロドロ時代」が終わったことで、日本は新たな「平安時代」というロングバケーションのような時代へと向かっていくことになります。
以上、孝謙天皇でした。
人物対応表
- 光明子(こうみょうし):孝謙天皇の母
- 藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)/恵美押勝(えみのおしかつ):お気に入りの甥
- 養老律令(ようろうりつりょう):仲麻呂が施行した法律
- 橘奈良麻呂の変(たちばなのならまろのへん):仲麻呂のライバルの反乱
- 道鏡(どうきょう):看病してくれた僧侶
- 恵美押勝の乱(えみのおしかつのらん):仲麻呂の反乱
- 称徳天皇(しょうとくてんのう):二度目の即位
- 宇佐八幡神託事件(うさはちまんしんたくじけん):道鏡を天皇にしようとした事件
- 和気清麻呂(わけのきよまろ):神託を否定した人物