歴史・社会の疑問 読了 7分

【奈良時代・淳仁天皇】じゅんにん(淳仁)に待って!お飾り社長と「押し勝て」なかった権力争い

淳仁天皇(じゅんにんてんのう)が政治をしていた時期のイベントについて説明します。実力者である部下の「ゴリ押し」で天皇になったものの、最後はその部下の失敗に巻き込まれて、島流しにされてしまったという、かなり不運なリーダーのお話です。

★ この記事でわかること

  • 自らの意思ではなく、藤原氏の権力維持のために担ぎ上げられた天皇だったこと
  • 部下の反乱が失敗したことで、日本史上珍しい「天皇の廃位と流罪」という事態が起きたこと
  • 彼の失脚により、天武天皇から続く皇統が終わりへと向かう一歩となったこと

淳仁天皇はどんな人?

今からおよそ1300年前、奈良時代の後半に日本のリーダーをしていた人物です。
天武天皇の孫ではありましたが、皇族の中ではあまり目立たない存在でした。
しかし、当時の実力者・藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)の強力なバックアップ(というか独断)によって、いきなり天皇の座に座らされた「お飾り社長」的な天皇です。

どのくらいの時代?

淳仁天皇が歴史のどのあたりに立っているのか、天皇の系譜の中で確かめてみましょう。

天皇の系譜における淳仁天皇の位置
聖武天皇・孝謙天皇(初回即位)から淳仁天皇を経て、称徳天皇(孝謙重祚)・光仁天皇へと続く天皇の系譜と淳仁天皇の位置を示した図

1. 有力上司による「忖度(そんたく)人事」での即位

淳仁天皇は、就任した際にこう思っていたかもしれません。

淳仁天皇
「え、俺が天皇? 今まで全然目立たなかったのに? 仲麻呂さんが『君が適任だ!』って言うからなってみたけど、これって完全に仲麻呂さんの言うことを聞くためだけのポジションだよね……?」

彼は、藤原仲麻呂が自分の権力を守るために、扱いやすい人物として選ばれた「中継ぎ」のさらに上をいく「お飾り」状態でのスタートでした。

これは例えば、会社の実権を握っている専務(仲麻呂)が、「自分の言うことを何でも聞くおとなしい遠い親戚」をいきなり社長(天皇)に据えて、自分は裏で好き放題やろうとしているような状況です。

藤原仲麻呂に擁立される淳仁天皇
即位の座に据えられた淳仁天皇と、その背後で糸を握るように振る舞う藤原仲麻呂を描いた風刺的な図
藤原仲麻呂
「陛下、大丈夫ですよ。実務は全部私がやりますから、座っているだけでいいんです」

こうして、仲麻呂による独裁政治が本格化します。

淳仁天皇の即位

758年、孝謙天皇からの譲位を受けて淳仁天皇が即位しました。皇族の中でも傍流だった淳仁天皇の即位は、後ろ盾となった藤原仲麻呂の意向が強く働いた人事だったとされています。

2. 上司の「恵美押勝(えみのおしかつ)」への改名と暴走

実権を握った仲麻呂に対し、淳仁天皇はさらに特別なサービスをしました。

淳仁天皇
「仲麻呂さん、いつも支えてくれてありがとう。お礼に、今日から君の名前は『恵美押勝』ね! なんか凄そうでしょ?」
恵美押勝
「よっしゃー! カッコいい名前もらったし、太政大臣(政界のトップ)になって、藤原氏の力を世界に見せつけてやるぜ!」

天皇から強そうな名前をもらった仲麻呂(押勝)は、やりたい放題の独裁モードに突入しました。

これは、社長が専務に「スーパー・エグゼクティブ・ウルトラ・マネージャー」みたいな肩書きをプレゼントしてしまい、調子に乗った専務がさらにワンマン経営を加速させているような、危なっかしい状態です。

淳仁天皇と恵美押勝・光明子・孝謙上皇の相関図
淳仁天皇を擁立した藤原仲麻呂(恵美押勝)、かつての後ろ盾だった光明子、そして対立した孝謙上皇の関係を示す相関図

3. 最強の「バック」がいなくなって大ピンチ

仲麻呂の天下が続くかと思われましたが、最悪のタイミングで事件が起きます。

恵美押勝
「うそだろ……俺をずっと支持してくれていた光明子(聖武天皇の妻)様が亡くなっちゃった……。これで俺、貴族たちの中で味方がいなくなって孤立しちゃうじゃん!」

仲麻呂を支えていた最大の権力者である光明子が亡くなったことで、仲麻呂と淳仁天皇のチームは急激にパワーダウンしてしまいました。

これは例えば、ワンマン専務をずっと守ってくれていた大株主(光明子)が急に手を引いてしまい、社内で「あの専務、今まで威張り散らしててウザかったんだよな」と一斉に敵を作ってしまうような絶体絶命のピンチです。

光明皇太后の崩御

760年、光明皇太后(光明子)が崩御しました。聖武天皇の后として長く朝廷を支え、甥の藤原仲麻呂を重用してきた光明子の死によって、仲麻呂の権力基盤は急速に揺らぎ始めます。

4. 元女帝と「謎の僧侶」のタッグ登場

仲麻呂たちの権威が落ちていく一方で、引退していた孝謙(こうけん)上皇が動き出しました。

孝謙上皇
「淳仁天皇と仲麻呂、最近微妙ね。それより、私の病気を治してくれた僧侶の道鏡(どうきょう)さんが素敵すぎるわ! これからは彼を側に置いて、私の権力を取り戻すわよ!」

看病をきっかけに道鏡を溺愛し始めた上皇が、再び政治に口を出し始め、淳仁天皇たちの立場を脅かします。

これは、引退した会長(上皇)が、個人的にお気に入りのコンサルタント(道鏡)を連れて現場に復帰し、「今の社長と専務のやり方は気に入らない!」と横やりを入れ始めたような大混乱です。

5. おし負けた「恵美押勝の乱」と強制退場

追い詰められた仲麻呂は、ついに武力で解決しようとします。

恵美押勝
「もう我慢できん! 道鏡を追い出すために兵を挙げるぞ!」
孝謙上皇
「生意気ね! 私の邪魔をする仲麻呂は即・削除よ! ついでに従っていた淳仁天皇も、もう社長失格。クビにして淡路島へ飛ばしちゃえ!」

仲麻呂の反乱はあっけなく失敗し、仲麻呂は殺害、淳仁天皇は廃位(天皇を辞めさせられること)されて、淡路国に流されてしまいました。

この一連の戦いを「恵美押勝の乱」といいます。

淡路国へ流される淳仁天皇
淡路国へ向かう小舟の上で、遠ざかる都を振り返る淳仁天皇を描いた図

これは、専務が強引にクーデターを起こしたものの、会長に返り討ちにされ、セットで担がれていた「お飾り社長」まで一緒に責任を取らされて、僻地に飛ばされたという、あまりにも悲惨な結末です。

用語恵美押勝の乱えみのおしかつのらん

764年、後ろ盾だった光明皇太后を失い孤立を深めた藤原仲麻呂(恵美押勝)が、道鏡を寵愛する孝謙上皇に対抗して挙兵したものの、あっけなく鎮圧された反乱です。仲麻呂は近江へ逃れる途中で捕えられ処刑されました。この乱の結果、仲麻呂に擁立されていた淳仁天皇も廃位されて淡路国(現在の淡路島)へ流罪となり、日本の歴史上でも珍しい「天皇の廃位と流罪」という事態を招きました。

総括

結果:淳仁天皇は、藤原仲麻呂という「強すぎる部下」のおかげで天皇になれましたが、その部下が権力争いに敗れたことで、自分まで巻き添えを食らって廃位されるという、「お飾りの末路」を辿ることになりました。

一方:この戦いに勝った孝謙上皇は、再び天皇(称徳天皇)として返り咲き、道鏡を政界のトップに据えるという、さらにカオスな「僧侶政治」へと突っ走っていくことになります。

まとめ:淳仁天皇の意義

まとめ

  • 仲麻呂による傀儡(かいらい):自らの意思ではなく、藤原氏の権力維持のために担ぎ上げられた天皇だった。
  • 恵美押勝の乱の余波:部下の反乱が失敗したことで、日本史上珍しい「天皇の廃位と流罪」という事態が起きた。
  • 天武系皇統の揺らぎ:彼の失脚により、天武天皇から続く皇統が終わりへと向かう一歩となった。

理解度確認テスト

Q1. 758年に即位した際、後ろ盾となった有力者の意向が強く働いた人事だったとされ、皇族の中でも傍流の存在だったこの天皇は誰でしょう。人物名で答えてください。


A. 淳仁天皇

Q2. 760年に崩御し、その死をきっかけに甥である有力者の権力基盤を急速に揺るがすことになった、聖武天皇の后は誰でしょう。人物名で答えてください。


A. 光明子

Q3. 764年、道鏡を寵愛する孝謙上皇に対抗して挙兵した藤原仲麻呂があっけなく鎮圧され、これに連座して天皇までもが廃位・流罪となる事態を招いた反乱を何といいますか。


A. 恵美押勝の乱

最後に、この後、道鏡が「いっそのこと俺が天皇になっちゃおうかな!」と言い出す、とんでもない事件が起きますが、それはまた別のお話。
以上、淳仁天皇でした。

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