この人物が政治をしていた時期のイベントについて説明します。
- イスラームの黄金時代を終わらせた、バグダードの「徹底的な破壊」
- モンゴル帝国の西の拠点、「イル=ハン国」の誕生
- 無敵だったモンゴル軍が初めて負けた、歴史の「負けフラグ」事件
今からおよそ750年前、最強の軍団を率いたチンギス=ハンの孫として生まれ、西アジアを震え上がらせたのがフラグです。兄の命令で20万人もの大軍を動かし、当時世界一の文化を誇ったアッバース朝を文字通り粉々にして、イラン周辺に新しい国を作った「破壊と建国のスペシャリスト」です。
登場する地方や国について
どのくらいの時代?
モンゴル帝国の時代(1206~1368年)
1. 兄貴のムチャぶり?「西の国々を全部まとめろ!」
1253年、モンゴル帝国の4代目皇帝モンケは、弟のフラグに西アジア遠征を命じました。命令はシンプルで、「モンゴルに従わないやつらは、根こそぎ倒してしまえ」という過酷なものでした。
これは例えば、「社長から、『これから新規開拓で海外シェアを全部奪ってこい。断る取引先は全部買収していいぞ』と、無制限の権限を持たされて送り出された役員」のような状況です。フラグは最新の兵器や優秀な技術者を集め、巨大な軍隊を組織して、地平線のかなたへと出発したのです。
なかなか物騒な旅立ちではありますが、フラグの軍勢は、まず難攻不落といわれた山の砦にこもる暗殺教団をあっさりと降伏させ、いよいよイスラーム世界の心臓部へと迫りました。
2. バグダード完全崩壊!アッバース朝にトドメを刺す
それを踏まえた上で、フラグは1258年、イスラーム世界の象徴だったアッバース朝の都、バグダードに到着しました。
1258年、フラグは「バグダードの戦い」で圧倒的な武力を見せつけました。交渉を拒否したカリフに対し、フラグは巨大な投石機で岩や火の玉を雨のように降らせ、バグダードを徹底的に破壊しました。700年以上の歴史を誇ったアッバース朝は、ここでついに滅亡したのです。
これは、現代で言えば、「世界で一番大きくて古い図書館や大学がある歴史的な街が、たった一週間で更地にされて、本が全部川に捨てられてしまった」ような、取り返しのつかない大事件でした。バグダードを流れるティグリス川は、殺された人々の血と、捨てられた本のインクで真っ黒に染まったと伝えられています。
あまりにも冷酷な破壊ではありますが、これにより西アジアの権力バランスは根底からひっくり返りました。
750年から1258年まで続いたイスラーム教の巨大王朝。都バグダードは世界一の繁栄を誇りましたが、フラグの遠征によって滅ぼされました。
イスラーム教の開祖ムハンマドの後継者のこと。アッバース朝のカリフはイスラーム教徒全体の「精神的なリーダー」としての権威を持っていました。

3. 建国フラグ成立!西アジアの王「イル=ハン」へ
この破壊をなしとげた後、フラグはこの地に根を張ることにしました。
1258年頃、フラグは占領した地域に「イル=ハン国」という新しいモンゴル系の国を建てました。「イル=ハン」とは「従順な王」という意味で、本家のモンゴル皇帝を立てつつも、自分たちの国として自立することを表しています。
これは例えば、「本社の看板は出しているけれど、経営も人事も全部自分たちで自由にやる、海外の巨大な子会社」を立ち上げたようなものです。フラグが作ったこの国により、東西のシルクロードがさらに安全につながり、中国の技術とイスラームの文化が激しく混ざり合うことになりました。
破壊王として恐れられたフラグですが、国を建てたあとは文化や学問を保護する一面も見せるようになりました。これが後の繁栄の基礎になります。
フラグがイラン周辺に建てたモンゴル系国家。モンゴル帝国を構成する4つのハン国のひとつとして、東西の文化交流に大きな役割を果たしました。

4. 初めての「負けフラグ」?エジプト軍に押し返される
この勢いに乗って、フラグは当初の目的地であるエジプトを目指そうとしましたが、ここで大事件が起きます。
1260年、主力が帰国して少なくなったモンゴル軍の前に立ちふさがったのが、エジプトの「マムルーク朝」でした。「アイン・ジャールートの戦い」で、それまで負け知らずだったモンゴル軍は、初めて決定的な敗北を喫してしまったのです。
これは、現代で言えば、「ずっと連勝記録を更新していた無敵のチャンピオンチームが、若手のエリートチームに足元をすくわれて、ついに出場停止を食らってしまった」ような状況です。マムルークたちの強さはモンゴルの予想をはるかに超えていました。
なかなか衝撃的な敗北ではありますが、この敗北により、モンゴル帝国の西への拡大はストップしました。しかし、フラグが作った国の境界線が、その後の西アジアの形を決めることになったのです。
エジプトやシリアを支配したイスラーム王朝。トルコ系の奴隷兵(マムルーク)たちが自ら政権を建てた、軍事的に非常に強い国でした。
1260年、モンゴル軍とマムルーク朝が戦った歴史的な一戦。モンゴルの西進を止めた「歴史の曲がり角」といわれる事件です。

総括
結果:フラグは、兄モンケの命令どおりに西アジアの大部分を制圧し、イスラームの古い支配を完全に終わらせることに成功しました。彼が建てたイル=ハン国は、モンゴル帝国の巨大なネットワークの一部として、東西の文化や技術を混ぜ合わせ、新しい歴史の1ページを刻みました。
一方:バグダードで見せた度を超えた破壊は、数えきれないほどの命と、人類の宝である知識や文化を失わせました。このときの恐怖はイスラーム世界に深いトラウマを残し、モンゴル軍に対する「残酷な侵略者」というイメージを決定づけてしまった側面もあります。
まとめ:フラグの時代の意義
- 歴史のリセット:1258年にバグダードを攻略し、アッバース朝を滅ぼして西アジアの古い秩序を破壊した。
- 新国家の建設:イラン周辺に「イル=ハン国」を建国し、モンゴル帝国の西の安定支配を確立した。
- 西進の限界:1260年のアイン・ジャールートの戦いで敗れ、モンゴル帝国の西の境界線が確定した。
- モンゴル帝国最強の破壊担当として、アッバース朝を物理的に滅ぼした。
- イラン周辺に「イル=ハン国」を建て、東西交流のハブにした。
- エジプト軍に初めて敗北し、モンゴルの西への進撃はここで止まった。
理解度確認テスト
Q1. 1258年、フラグ率いるモンゴル軍によって徹底的に破壊され、滅亡させられたイスラーム教の王朝の名前は何ですか?
[muda-bubble-answer id=”q1″]アッバース朝[/muda-bubble-answer]
Q2. フラグが西アジアの征服地に建国した、モンゴル帝国を構成する国の一つであるハン国の名前は何ですか?
[muda-bubble-answer id=”q2″]イル=ハン国[/muda-bubble-answer]
Q3. 1260年、進撃するモンゴル軍を初めてガチで破り、エジプトへの侵入を食い止めた王朝の名前は何ですか?
[muda-bubble-answer id=”q3″]マムルーク朝[/muda-bubble-answer]
フラグが建てた国は、やがて土地の文化に染まり、独特なイスラーム文化を育てていくことになります。この出来事が今後どう評価されるかは、まだ分かりません。
以上、【モンゴル帝国の時代・フラグ】フラグが立った!アッバース朝を終わらせた破壊のカリスマでした。
用語対応表
- アッバース朝 → イスラーム黄金時代を築いたが、フラグに滅ぼされた国
- カリフ → イスラーム教徒全体の精神的なリーダー
- イル=ハン国 → フラグがイラン周辺に建てた、モンゴル系のお家
- マムルーク朝 → エジプトの強い軍事国家。モンゴルの進撃を止めた
- アイン・ジャールートの戦い → モンゴルが初めてガチで負けたターニングポイント