元正天皇(げんしょうてんのう)が政治をしていた時期のイベントについて説明します。日本史上唯一の「母から娘へのバトンタッチ」が行われ、パンク寸前の土地システムを救うために「期間限定のボーナス」を打ち出した時のお話です。
- 女性天皇から女性天皇へという異例のバトンタッチで政権を安定させたこと
- 国家としての公式な歴史書「日本書紀」を完成させ、日本のブランド力を確立したこと
- 土地不足解消のために、初めて「私有」という概念をルールに組み込んだ「三世一身の法」を制定したこと
元正天皇はどんな人?
今からおよそ1300年前、奈良時代の初期にリーダーをしていた女性です。
日本の長い歴史の中で、「母親(元明天皇)から娘へ」と皇位が引き継がれた唯一の例という、超レアなケースの主役でもあります。
まだ幼い甥(後の聖武天皇)が大人になるまでの「最強の中継ぎ」として、パンクしかけた国のルールを必死に手直しした天皇です。
どのくらいの時代?
元正天皇が歴史のどのあたりに立っているのか、天皇の系譜の中で確かめてみましょう。
1. 異例の「母娘バトンタッチ」
元正天皇は、リーダーに就任してまずこう考えました。
彼女は、まだ幼い後継者が成長するまでの間、中継ぎの天皇として即位し、先代からの「ちゃんとした国作り」という方針をキープしました。
これは例えば、創業者の母親社長が引退する際に、まだ中学生の息子に継がせるわけにはいかないので、有能な長女が「代行社長」として就任し、ベテラン専務(不比等)と一緒に会社を切り盛りし始めたような感じです。
この「母から娘へ」という珍しい体制で、奈良時代の基盤がさらに固められていきます。
715年、元正天皇は母・元明天皇からの譲位を受けて即位しました。母から娘への皇位継承は日本の歴史上これが唯一の例で、幼い甥(首皇子、後の聖武天皇)が成人するまでの中継ぎとして、藤原不比等らの支えを受けながら政治を担うことになります。
2. 国家ブランドを支える「公式社史」の完成
それを踏まえた上で、元正天皇はさらにこう考えました。
彼女は、中国の歴史書をお手本にして、日本の成り立ちを年代順にまとめた本格的な歴史書を完成させました。
これは例えば、「うちの会社は創業以来こんなにすごいんだぞ!」ということを取引先や銀行にアピールするために、一流のライターを雇って分厚い『公式・創業50年史』を出版したような作業です。
この時できた公式の歴史書こそが『日本書紀』です。

720年、『日本書紀』が完成しました。神代から持統天皇の代までを編年体(年代順)で記した正史で、中国の歴史書の形式を強く意識してまとめられています。
720年に完成した、神代から持統天皇の代までの歴史を編年体で記した日本最初の正史です。舎人親王(とねりしんのう)らが編纂の中心となり、中国の歴史書にならった体裁で書かれたことから、対外的にも通用する国家の公式記録として位置づけられました。8年前に完成した『古事記』が国内向けの物語性の強い書物だったのに対し、『日本書紀』は東アジアの中での日本の正統性を示す目的も強く持っていたとされています。
3. 家出農民と「土地パンク」事件
この理想を掲げた上で、元正天皇はこう考えました。
当時、国から土地をもらって耕すルールでしたが、税負担に耐えきれず逃げ出す人が増える一方で、新しく土地を欲しがる人も増え、システムがパンクしかけていたのです。
これは例えば、「社員全員にスマホを貸し出す」というルールを作ったものの、月額料金が高すぎてスマホを窓から投げ捨てて失踪する社員が続出し、その一方で新入社員はどんどん入ってくるので、貸し出すスマホの在庫がゼロになってしまったような最悪の事態です。

この頃、律令国家の土地制度は深刻な行き詰まりを見せていました。国から割り当てられる田んぼ(口分田)は「公地公民」の原則にもとづくものでしたが、重い税負担から逃げ出す農民(逃亡)が相次ぐ一方で人口は増え続け、新たに配るための土地が不足するという矛盾が表面化していたのです。
4. 気合だけの「100万倍」キャンペーン
それを踏まえた上で、元正天皇はさらにこう言いました。
彼女は、今の土地不足を解消するために、超巨大な土地を新しく作るという壮大な命令を出しました。
これは例えば、「商品が足りないなら、明日までに100万個作れ!」と社長が無理やりな大増産キャンペーンを始めたような状況です。
あまりにも無茶な目標だったため、この計画はほとんど進まず、大失敗に終わりました。

722年に打ち出された百万町歩の開墾計画は、具体的な実行手段や褒賞を伴わない精神論的なスローガンにとどまり、ほとんど成果を上げられませんでした。この失敗が、翌年に見る新たな政策転換のきっかけとなります。
5. 三代限りの「私有地ボーナス」
この理想を掲げた上で、元正天皇はついにこう決断しました。
「土地はすべて国のもの」という大原則を曲げて、期間限定で「自分の土地」にすることを認めました。これがタイトルの「三代限りのルール」です。
これは例えば、「いくら仕事をしても給料は一定だ」と言われてやる気を失っていた社員に、「新しく契約を取ってきたら、その利益の数%を3ヶ月間だけボーナスとしてキックバックしてあげるよ」とインセンティブを提示したような感じです。
この期間限定のボーナスこそが『三世一身の法』です。
723年、三世一身の法が発布されました。新たに灌漑施設を作って開墾した土地は三代(子・孫・ひ孫)の間、既存の施設を利用して開墾した土地は本人一代の間、私有を認めるという内容です。
723年に発布された、開墾した土地の私有を期間限定で認める法令です。「土地と人民はすべて国のもの」とする公地公民の原則を初めて緩めた画期的な政策で、新たに灌漑施設を築いて開墾した場合は三代、既存の施設を使った場合は本人一代に限り、その土地の私有が認められました。開墾を促す狙いはあったものの、期限が来れば土地を国に返さなければならない不安から効果は限定的で、後の743年には私有を永久に認める墾田永年私財法へとさらにルールが緩められていくことになります。
総括
結果:元正天皇は、「土地不足」という国家存亡のピンチに対し、『三世一身の法』という「期間限定の私有許可」を出すことで、人々のやる気を引き出し、なんとか食糧生産を増やそうとしました。 彼女の狙い通り、一時的には開拓が進みましたが、期限が来れば土地を返さなければならないという不安は消えず、結局は根本的な解決には至りませんでした。
一方:この「土地を自分のものにしていい」という発想は、後に「ずっと自分のものにしていいよ」というさらに過激なルール(墾田永年私財法)にエスカレートしていくきっかけとなりました。これが結果的に、後の世の中で「金持ちはどんどん土地を持ち、貧乏人は土地を失う」という格差社会を生んでしまうという、大きな副作用をもたらすことになったのです。
まとめ:元正天皇の意義
- 母から娘への唯一の継承:女性天皇から女性天皇へという異例のバトンタッチで政権を安定させた。
- 日本書紀の完成:国家としての公式な歴史をまとめ、日本のブランド力を確立した。
- 三世一身の法の制定:土地不足解消のために、初めて「私有」という概念をルールに組み込んだ。
理解度確認テスト
Q1. 元正天皇の命により720年に完成した、中国の歴史書の形式にならって神代から持統天皇の代までを年代順にまとめた、日本最初の正史を何といいますか。
A. 日本書紀
Q2. 藤原不比等の死後に政治を引き継ぎ、深刻化する土地不足の実情を元正天皇に報告した人物は誰でしょう。人物名で答えてください。
A. 長屋王
Q3. 723年に発布された、新たに灌漑施設を作って開墾した場合は三代、既存の施設を使った場合は本人一代に限り、その土地の私有を認めた法令を何といいますか。
A. 三世一身の法
最後に、この「中継ぎ」の大役を終えた彼女は、成長した聖武天皇にバトンを渡し、時代はいよいよ「大仏」の建設へと進んでいくことになります。
この出来事が今後どう評価されるかは、まだ分かりません。
以上、げんしょう(元正)な土地改革!三代限りのボーナスタイムでした。
人物対応表
- 元明天皇(げんめいてんのう):元正天皇の母親
- 日本書紀(にほんしょき):公式の歴史書
- 三世一身の法(さんぜいっしんのほう):開拓した土地を三代まで持てるルール
- 口分田(くぶんでん):国から配られた田んぼ
- 百万町歩の開墾計画:土地不足の解決策として出された巨大な計画
- 長屋王(ながやおう):元正天皇の時期の政界リーダー
- 公地公民(こうちこうみん):土地と人民は国のものという原則