元明天皇(げんめいてんのう)が政治をしていた時期のイベントについて説明します。日本でピカピカの「お宝」が発見され、その勢いで現代の奈良観光の主役となる巨大な都へと引っ越しを決めた時のお話です。
- 藤原京から平城京へ都を移し、約70年続く華やかな時代の幕を開けたこと
- 発見された銅を活かして「和同開珎」を発行し、経済を近代化しようとしたこと
- 『古事記』を完成させ、日本のアイデンティティを確立したこと
元明天皇はどんな人?
今からおよそ1300年前、飛鳥時代から奈良時代への変わり目に日本のリーダーをしていた女性です。
前の天皇が25歳の若さで亡くなったため、わずか7歳の孫(後の聖武天皇)が大人になるまでの「中継ぎ」としてピンチヒッターを務めることになりました。
日本初の本格的な「お金」を発行し、都を奈良に移して約70年続く「奈良時代」の幕を開けた、基盤作りの天才です。
どのくらいの時代?
元明天皇が歴史のどのあたりに立っているのか、天皇の系譜の中で確かめてみましょう。
1. 孫のための「最強の代打」就任
元明天皇は、リーダーに就任してまずこう考えました。
彼女は、あまりに若すぎる後継者のために、自分が盾となって政治を安定させる決意をしました。
これは例えば、創業者の社長が急に亡くなり、まだ小学生の息子が継ぐわけにいかないので、有能な母親がいったん「代行社長」として就任し、会社を切り盛りし始めたような感じです。

なかなか大変なスタートではありますが、ここから彼女の「強運」が発揮されます。
707年、元明天皇は亡くなった息子・文武天皇の後を受けて即位しました。文武天皇の遺した藤原不比等をはじめとする官僚団の支えを受けながら、幼い孫(首皇子、後の聖武天皇)が成長するまでの中継ぎとして、その後7年にわたり政治を担うことになります。
2. 武蔵国で見つけた「ピカピカのお宝」
それを踏まえた上で、元明天皇の元にさらに素晴らしい知らせが届きました。
当時、純度の高い銅は超貴重なレアメタルでした。彼女はこの発見を記念して、年号を「和銅(わどう)」にアップデートしたのです。
これは例えば、新しく就任した社長の元に、「地元で石油が湧きました!」というニュースが飛び込んできて、会社のブランド名を『オイル・ジャパン』に変えちゃうくらいのインパクトです。
このラッキーな発見が、日本の経済を大きく変えることになります。
708年、武蔵国秩父からの銅の献上を記念して元号が「和銅」に改められました。これが、次に見る日本初の本格的な貨幣誕生への足がかりとなります。
3. 最新の決済アプリ「和同開珎」リリース
この理想を掲げた上で、元明天皇はこう考えました。
彼女は、国としての信頼を高めるために、日本で初めて広く流通させるための公式通貨を作りました。
これは例えば、今まで「お米」や「商品券」で給料を払っていた職場に、いきなり「これからは全部この最新決済アプリのポイント(デジタル通貨)で払うからね!」と宣言されたような進化です。
最先端すぎて、現場ではなかなか浸透しないという壁にぶち当たります。この記念すべき最初のお金こそが「和同開珎(わどうかいちん)」です。
708年、武蔵国から献上された銅を用いて鋳造された、日本で初めて広く流通を目指した本格的な貨幣です。「本朝十二銭」と呼ばれる、律令国家が発行した一連の銭貨の最初の1枚にあたります。銭を使う習慣がまだ根付いていなかった当時の社会では思うように流通せず、朝廷は次に見る蓄銭叙位令など、さまざまな普及策を打ち出すことになりました。

4. お金を貯めると「出世」できるボーナス制度
それを踏まえた上で、元明天皇はさらにこう言いました。
お金の価値をわからせるために、「貯金すればランクアップ(昇進)できる」という、かなり強引なルールを作りました。
これは例えば、「社内専用のポイントを100万ポイント貯めたら、明日から部長にしてやるぞ!」と社長が社内キャンペーンを始めたような状況です。
良かれと思って出した「蓄銭叙位令(ちくせんじょいれい)」というルールが裏目に出て、かえってお金が市場に出回らなくなるという皮肉な結果になってしまいました。
711年、和同開珎の流通を促すために出された法令です。一定額以上の銭を貯めて朝廷に納めた者には位階(役人としてのランク)を与えるという内容でしたが、狙いとは逆に、人々が銭を使わずに貯め込むようになってしまい、かえって貨幣の流通を妨げる結果を招きました。当時の人々にとって貨幣という新しい仕組みがいかに馴染みの薄いものだったかを示す出来事として知られています。
5. 憧れの「海外ブランド都」へのお引っ越し
この理想を掲げた上で、元明天皇はついにこう決断しました。
彼女は、遣唐使からの報告をもとに、当時世界最強だった唐の都(長安)をモデルにした巨大都市を建設し、遷都(せんと)を強行しました。
これは例えば、「今のオフィスも悪くないけど、グローバル企業を目指すならもっと一等地の超高層ビルに本社を移すわよ!」と、まだ入居して15年しか経っていないのに引っ越しを決めるような大胆さです。
この引っ越しにより、華やかな時代が幕を開けることになります。この奈良の新しい都こそが「平城京(へいじょうきょう)」です。
710年、藤原京から奈良の平城京へと都が移されました。唐の都・長安をモデルに、碁盤の目状の街路をもつ壮大な都市計画で建設され、以後およそ70年にわたって政治の中心となります。この遷都によって「奈良時代」が幕を開け、律令国家の体制がいっそう充実していくことになりました。

6. 国のルーツを「一冊の物語」に
さらにそれを踏まえた上で、元明天皇はこう考えました。
彼女は、日本の成り立ちを次世代に伝えるために、歴史の編纂(へんさん)事業を完成させました。これが日本最古の歴史書『古事記(こじき)』です。
これは例えば、「会社の歴史を誰も知らないのはマズいから、創業ストーリーを社史として出版して、全社員に配るぞ!」という、ブランドイメージの統一を図るような作業です。
彼女は、日本史上唯一の「母から娘への継承」を行い、完璧な「国の形」を次の世代に引き継いで引退していきました。
712年、元明天皇の命によって『古事記』が完成しました。神話の時代から推古天皇の代までの出来事を記した、現存する日本最古の歴史書です。
712年に完成した、現存する日本最古の歴史書です。神々の物語から歴代天皇の事績までを記し、稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗誦していた内容を太安万侶(おおのやすまろ)が文字に書き起こしてまとめたとされています。国家としての由緒を内外に示すとともに、天皇を中心とする国のまとまりを物語として裏付ける役割を果たしました。8年後に完成する『日本書紀』とあわせて、日本古代史を知るうえで欠かせない基本史料となっています。
総括
結果:元明天皇は、「中継ぎ」という難しい立場にありながら、銅の発見というラッキーを活かして、日本初の本格貨幣や新しい都「平城京」を作り上げました。彼女の狙い通り、日本は法と仕組みで動く「ちゃんとした国」としての体裁を整え、後の繁栄につながる強力な基盤を完成させることに成功しました。
一方:急激なお引っ越し(遷都)や巨大な都の建設は、民衆にとって重い労働負担となりました。また、良かれと思って作った「お金」も、結局は自分たちの生活には馴染まず、一部の特権階級だけが貯め込むツールになってしまい、庶民との間に深い溝を作ってしまうという課題も残してしまいました。
まとめ:元明天皇の意義
- 奈良時代のスタート:藤原京から平城京へ都を移し、約70年続く華やかな時代の幕を開けた。
- 初の本格的貨幣:発見された銅を活かして「和同開珎」を発行し、経済を近代化しようとした。
- 歴史の成文化:『古事記』を完成させ、日本のアイデンティティを確立した。
理解度確認テスト
Q1. 708年、武蔵国から純度の高い銅が献上されたことを記念して改められた、当時の元号を何といいますか。
A. 和銅
Q2. 銭を貯めて朝廷に納めた者に位階を与えるという711年の法令で、経済を回すはずが逆に人々が銭を貯め込んでしまうという皮肉な結果を招いたものを何といいますか。
A. 蓄銭叙位令
Q3. 神話の時代から推古天皇の代までの出来事を記した、712年に完成した現存する日本最古の歴史書を何といいますか。
A. 古事記
最後に、この完璧な基盤を受け取った次の時代では、さらに土地が足りなくなって「自腹で開墾した土地は自分のものにしていいよ!」という驚きのルールが出されることになります。
この出来事が今後どう評価されるかは、まだ分かりません。
以上、和銅にげんめい(感銘)!お宝発見と奈良への引っ越しでした。
人物対応表
- 和銅(わどう):武蔵国で発見された銅
- 和同開珎(わどうかいちん):日本初の本格的なお金
- 蓄銭叙位令(ちくせんじょいれい):お金を貯めると出世できるルール
- 平城京(へいじょうきょう):奈良に新しく作った都
- 古事記(こじき):神話や歴史をまとめた本
- 藤原不比等(ふじわらのふひと):元明天皇の最強のアドバイザー
- 遷都(せんと):都を移すこと
- 元正天皇(げんしょうてんのう):元明天皇から譲られた娘