歴史・社会の疑問 読了 7分

【室町時代・足利義持】気持ちは脱・お父さん! 意地の貿易中止とくじ引きへの伏線

16:9、640×360のブログ用サムネイル画像を作成してください。テーマは「足利義持が父・義満の路線を否定し、日明貿易を中断してくじ引き将軍への伏線を作った」です。中央に、派手さを抑えた室町時代の武家装束を着た足利義持を描き、片手で父・義満の金閣や豪華な花の御所を遠ざけ、もう片方の手で明との交易船に停止の合図を送る構図。背景の片隅には、後継者を決めるくじの入った箱を象徴的に置いてください。義持は反発心と責任感が混ざった複雑な表情にし、父の華やかな時代から地味で協調的な政治へ移る転換を表現してください。画風は手描き風の日本歴史絵巻・和紙調イラストレーション、象牙色の紙背景、繊細な焦茶色の墨線、落ち着いた水彩、朱色・藍色・黄土色・青緑のアクセント。写真的・3D・現代の建物・ロゴ・透かしを避け、画像内に文字を入れないでください。後処理でタイトルを重ねるため、上部に余白を確保してください。参照画像なし

※「義持(よしもち)」と「気持ち(きもち)」をかけ、父・義満への反発心から、父の代の成功ルートをあえて捨てた頑固な姿勢を表しています。

足利義持(あしかがよしもち)が政治をしていた時期のイベントについて説明します。「最強の親父(足利義満)」から会社を引き継いだものの、親父のやり方が大嫌いすぎて、儲かっていたビジネス(日明貿易)をわざと畳み、挙句の果てに「次期社長」を指名せずに丸投げしてしまった時のお話です。

用語足利義満あしかがよしみつ

足利義持の父で、室町幕府の第3代将軍です。南北朝を合一し、明との貿易や花の御所、金閣などで幕府の権威を高めました。義持は、その父の路線を見直すことになります。

足利義持はどんな人?

今からおよそ600年前、室町時代の日本でリーダーをしていた男性です。 足利幕府の第4代将軍として、約240年続く幕府の中でも、父・義満が作り上げた「将軍絶対」のシステムを自分なりに調整しようとしました。 「父の否定」を人生のテーマに掲げ、プライドを重視するあまり経済的なチャンスを捨ててしまった、ある意味で非常に人間くさい二代目社長です。

登場する地方や国について

平安京、明、鎌倉
平安京、明、鎌倉

どのくらいの時代?

足利義満の死から日明貿易の中断、くじ引き将軍への流れを示す足利義持の時代位置
足利義満の死から日明貿易の中断、足利義持の死とくじ引き将軍までを示す年表

その1:親父の影に怯える「お飾り社長」時代

足利義持は、リーダーとしてのキャリアをスタートさせた際、こう考えていました。

足利義持
「俺は第4代将軍になったけど、実権は全部親父(義満)が握ったままだ。しかも親父は俺より弟の義嗣(よしつぐ)ばかり可愛がって、俺のことは無視じゃねえか。早く親父がいなくなって、自由に会社(幕府)を動かしたいんだよな」

彼は、父・義満が存命の間は実権を一切持たせてもらえず、屈辱的な「お飾り」の期間を過ごしていました。

これは例えば、「名目上は二代目社長に就任したけれど、引退したはずのカリスマ創業者の会長(父)がまだ本社に居座ってすべての決定を下し、さらに弟ばかりを『次期エース』として可愛がっているのを目撃し続けている」ような、非常にストレスフルな状態です。

側近
「義持様、今は耐えるしかありません。義満様の影響力は絶大ですから……」
足利義持
「見てろよ。親父が死んだら、全部ひっくり返してやるからな!」

なかなか根の深い親子喧嘩ですが、義持はさらにこう考えました。

その2:プライドのために「儲かるビジネス」を全廃

父・義満が亡くなると、義持はすぐに「リベンジ」を開始しました。

足利義持
「親父が始めた中国(明)とのビジネス(日明貿易)だけど、あれって相手の社長に『俺はあんたの家臣です』って頭を下げてまでやる取引だろ? 武士のトップがそんな情けないことできるかよ。金よりもプライドだ! 今日限りで中国との取引は中止するぞ!」

彼は、父の代の大きな収入源であった日明貿易を、明の皇帝に対して「臣下の礼」をとるのが気に入らないという理由でストップさせてしまいました。

これは、「先代が築き上げた、年間数十億円の利益が出る超優良取引を、新社長が『相手の態度が気に入らないし、親父のやり方はダサい』という感情的な理由で一方的に解約してしまった」ような、大胆すぎる経営判断です。

家臣
「ええっ! あの貿易で幕府の財布は潤っていたのに、やめちゃうんですか!? もったいなすぎますって!」
足利義持
「うるせえ! 武士の意地を見せるのが俺の『気持ち』なんだよな!」

意地を通す経営判断ですが、この理想を掲げた上で、義持はさらにこう考えました。

その3:親父の「お城」を捨ててオフィス移転

リベンジの手を緩めない義持は、形から入る改革を進めます。

足利義持
「親父が建てたあの豪華な本社ビル『花の御所』、あそこには絶対住まないからな。あんな金ピカの成金趣味、俺の美学に合わねえんだよ。もっと地味で武士らしい場所に移転して、親父のイメージを完全に消してやるぜ!」

彼は、父の権力の象徴だった花の御所を嫌い、別の邸宅に移り住むことで「脱・義満」をアピールしました。

これは、「先代が港区に建てた超豪華な自社ビルを、『親父の匂いがして嫌だ』という理由で売却(放置)し、自分はあえて別の質素なオフィスビルに本社を移して、先代のブランドを完全に否定しようとしている」ような状況です。

足利義持(現将軍)が、亡き父・義満の遺産(豪華な御所や日明貿易のライセンス)を次々とゴミ箱に捨て、一方で地方の支店長(守護大名)たちと握手してバランスをとっている図
足利義持(現将軍)が、亡き父・義満の遺産(豪華な御所や日明貿易のライセンス)を次々とゴミ箱に捨て、一方で地方の支店長(守護大名)たちと握手してバランスをとっている図
周囲の貴族
「せっかくの綺麗な御所なのに……義持様のこだわりも相当なものですね」
足利義持
「ふふん、これでようやく『俺の幕府』になったってわけだ(ニヤリ)」

徹底した「脱・お父さん」ですが、その一方で彼は最後にこう言いました。

用語花の御所はなのごしょ

足利義満が京都の室町に造営した邸宅です。将軍の政治拠点であり、義満の権力と華やかな文化を象徴する場所でした。義持は父の路線を避けるため、ここから距離を置きました。

その4:後継者を決めずに「神様」へ丸投げ

そんな義持の時代も終盤、幕府は最大の危機に直面します。

足利義持
「息子(義量)に社長の座を譲ったのに、すぐに死んじまった……。俺ももう寿命だ。次の将軍? うーん、誰がいいかな……。決めるの面倒くさいし、俺が死んだ後にみんなで『くじ引き』して決めてくれ。神様が決めるのが一番公平だろ?」

彼は、自分の跡継ぎを指名しないまま亡くなってしまい、次のリーダー選びを「くじ引き」という運任せのイベントに託してしまいました。

これは、「引退目前の社長が、後継者指名を放棄し、『俺のデスクの引き出しにクジを入れておくから、俺が死んだら役員みんなで引いて次の社長を決めろ』と言い残して、そのまま無責任に退職してしまった」ような、とんでもないパニック状態です。

家臣たち
「えええっ! 将軍をクジで決めるんですか!? 歴史始まって以来の事態ですよ!」
足利義持
「あとは野となれ山となれ……(そのまま死亡)」

相当な後味の悪さを残す結末ですが、この「よしもち(義持)」の投げやりな決断が、のちに「恐怖政治」を行う新たな将軍を生むきっかけとなったのです。

総括

結果:足利義持は、父・義満の強力すぎる支配への反動から、その政策をことごとく否定し、特に日明貿易を中止して経済的な損失を出しました。 一方で、父が敵対した守護大名たちとはうまくバランスをとって協力関係を築き、彼の在任期間中、幕府の政治は比較的安定していました。

一方:彼が自分のこだわりを優先し、さらに後継者の指名を放棄したことは、将軍の権威を大きく下げる結果となりました。 クジで選ばれた次代の足利義教が、そのコンプレックスから「恐怖政治」に走ったことで、室町幕府は再び血なまぐさい混乱の時代へと突き進んでいくことになったのです。

用語足利義教あしかがよしのり

足利義持の弟で、1429年に第6代将軍となった人物です。くじで選ばれた後、守護大名らを厳しく抑え、恐怖を感じさせるほど強硬な政治を進めました。

まとめ:足利義持の意義

最後に、この「クジ」で選ばれた弟の足利義教が、反抗的な大名たちを次々と処刑する「万人恐怖」の時代をスタートさせますが、それはまた別のお話。

この出来事が今後どう評価されるかは、まだ分かりません。 以上、よしもち(義持)のきもち(気持ち)は脱・お父さん! 意地(いじ)の貿易(ぼうえき)中止(ちゅうし)とくじ引きへの伏線(ふくせん)でした。

用語くじ引き将軍くじびきしょうぐん

後継者をあらかじめ決めていなかったため、足利義持の死後に候補者をくじで選ぶことになった足利義教を指す言い方です。義教は室町幕府の第6代将軍となり、強い将軍権力を目指しました。

理解度確認テスト

Q1. 足利義持が1411年に一時中断した、中国の明との正式な交易を何といいますか?


A. 日明貿易(勘合貿易)

Q2. 義持の死後、家臣たちが次の将軍を決める際に用いた方法は何ですか?


A. くじ引き

Q3. 義満が京都の室町に建て、義持が父の影を避けるために居住しなかった豪華な邸宅を何といいますか?


A. 花の御所

用語対応表

用語日明貿易(勘合貿易)にちみんぼうえき(かんごうぼうえき)

室町幕府が中国の明と行った貿易です。正式な船であることを確認するための証明書を使い、明から銅銭や生糸などを輸入しました。義持は1411年に明との関係を一時中断しましたが、後に再開されます。

用語日本国王にほんこくおう

足利義満が明との外交で用いた称号です。義持は、父がこの称号を受けて臣下の礼をとった外交を好まず、対明関係を見直しました。

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