※「義持(よしもち)」と「気持ち(きもち)」をかけ、父・義満への反発心から、父の代の成功ルートをあえて捨てた頑固な姿勢を表しています。
足利義持(あしかがよしもち)が政治をしていた時期のイベントについて説明します。「最強の親父(足利義満)」から会社を引き継いだものの、親父のやり方が大嫌いすぎて、儲かっていたビジネス(日明貿易)をわざと畳み、挙句の果てに「次期社長」を指名せずに丸投げしてしまった時のお話です。
足利義持の父で、室町幕府の第3代将軍です。南北朝を合一し、明との貿易や花の御所、金閣などで幕府の権威を高めました。義持は、その父の路線を見直すことになります。
足利義持はどんな人?
今からおよそ600年前、室町時代の日本でリーダーをしていた男性です。 足利幕府の第4代将軍として、約240年続く幕府の中でも、父・義満が作り上げた「将軍絶対」のシステムを自分なりに調整しようとしました。 「父の否定」を人生のテーマに掲げ、プライドを重視するあまり経済的なチャンスを捨ててしまった、ある意味で非常に人間くさい二代目社長です。
登場する地方や国について
どのくらいの時代?
その1:親父の影に怯える「お飾り社長」時代
足利義持は、リーダーとしてのキャリアをスタートさせた際、こう考えていました。
彼は、父・義満が存命の間は実権を一切持たせてもらえず、屈辱的な「お飾り」の期間を過ごしていました。
これは例えば、「名目上は二代目社長に就任したけれど、引退したはずのカリスマ創業者の会長(父)がまだ本社に居座ってすべての決定を下し、さらに弟ばかりを『次期エース』として可愛がっているのを目撃し続けている」ような、非常にストレスフルな状態です。
なかなか根の深い親子喧嘩ですが、義持はさらにこう考えました。
その2:プライドのために「儲かるビジネス」を全廃
父・義満が亡くなると、義持はすぐに「リベンジ」を開始しました。
彼は、父の代の大きな収入源であった日明貿易を、明の皇帝に対して「臣下の礼」をとるのが気に入らないという理由でストップさせてしまいました。
これは、「先代が築き上げた、年間数十億円の利益が出る超優良取引を、新社長が『相手の態度が気に入らないし、親父のやり方はダサい』という感情的な理由で一方的に解約してしまった」ような、大胆すぎる経営判断です。
意地を通す経営判断ですが、この理想を掲げた上で、義持はさらにこう考えました。
その3:親父の「お城」を捨ててオフィス移転
リベンジの手を緩めない義持は、形から入る改革を進めます。
彼は、父の権力の象徴だった花の御所を嫌い、別の邸宅に移り住むことで「脱・義満」をアピールしました。
これは、「先代が港区に建てた超豪華な自社ビルを、『親父の匂いがして嫌だ』という理由で売却(放置)し、自分はあえて別の質素なオフィスビルに本社を移して、先代のブランドを完全に否定しようとしている」ような状況です。

徹底した「脱・お父さん」ですが、その一方で彼は最後にこう言いました。
足利義満が京都の室町に造営した邸宅です。将軍の政治拠点であり、義満の権力と華やかな文化を象徴する場所でした。義持は父の路線を避けるため、ここから距離を置きました。
その4:後継者を決めずに「神様」へ丸投げ
そんな義持の時代も終盤、幕府は最大の危機に直面します。
彼は、自分の跡継ぎを指名しないまま亡くなってしまい、次のリーダー選びを「くじ引き」という運任せのイベントに託してしまいました。
これは、「引退目前の社長が、後継者指名を放棄し、『俺のデスクの引き出しにクジを入れておくから、俺が死んだら役員みんなで引いて次の社長を決めろ』と言い残して、そのまま無責任に退職してしまった」ような、とんでもないパニック状態です。
相当な後味の悪さを残す結末ですが、この「よしもち(義持)」の投げやりな決断が、のちに「恐怖政治」を行う新たな将軍を生むきっかけとなったのです。
総括
結果:足利義持は、父・義満の強力すぎる支配への反動から、その政策をことごとく否定し、特に日明貿易を中止して経済的な損失を出しました。 一方で、父が敵対した守護大名たちとはうまくバランスをとって協力関係を築き、彼の在任期間中、幕府の政治は比較的安定していました。
一方:彼が自分のこだわりを優先し、さらに後継者の指名を放棄したことは、将軍の権威を大きく下げる結果となりました。 クジで選ばれた次代の足利義教が、そのコンプレックスから「恐怖政治」に走ったことで、室町幕府は再び血なまぐさい混乱の時代へと突き進んでいくことになったのです。
足利義持の弟で、1429年に第6代将軍となった人物です。くじで選ばれた後、守護大名らを厳しく抑え、恐怖を感じさせるほど強硬な政治を進めました。
まとめ:足利義持の意義
- [脱・義満路線の徹底] :父の築いた日明貿易や御所を否定し、将軍個人の独裁から大名との協調路線へシフトした。
- [日明貿易の中断] :プライドを優先して中国との国交を断ち、幕府の財政基盤を弱めてしまった。
- [くじ引き将軍への伏線] :後継者を指名せずに死去したことで、前代未聞の「くじ引きによる将軍選定」という事態を招いた。
最後に、この「クジ」で選ばれた弟の足利義教が、反抗的な大名たちを次々と処刑する「万人恐怖」の時代をスタートさせますが、それはまた別のお話。
この出来事が今後どう評価されるかは、まだ分かりません。 以上、よしもち(義持)のきもち(気持ち)は脱・お父さん! 意地(いじ)の貿易(ぼうえき)中止(ちゅうし)とくじ引きへの伏線(ふくせん)でした。
後継者をあらかじめ決めていなかったため、足利義持の死後に候補者をくじで選ぶことになった足利義教を指す言い方です。義教は室町幕府の第6代将軍となり、強い将軍権力を目指しました。
理解度確認テスト
Q1. 足利義持が1411年に一時中断した、中国の明との正式な交易を何といいますか?
A. 日明貿易(勘合貿易)
Q2. 義持の死後、家臣たちが次の将軍を決める際に用いた方法は何ですか?
A. くじ引き
Q3. 義満が京都の室町に建て、義持が父の影を避けるために居住しなかった豪華な邸宅を何といいますか?
A. 花の御所
用語対応表
- 中国(明)の皇帝に対して謙り、許可証をもらって行うビジネス → 日明貿易(または勘合貿易)
- 義持の父で、金閣などを建てた最強の将軍 → 足利義満
- 地域を支配し、幕府を支える(または脅かす)有力な武士たち → 守護大名
- 義持の死後、クジで選ばれて恐怖政治を行った第6代将軍 → 足利義教
- 義持がわざと放置した、父の権力の象徴である本社ビル → 花の御所
室町幕府が中国の明と行った貿易です。正式な船であることを確認するための証明書を使い、明から銅銭や生糸などを輸入しました。義持は1411年に明との関係を一時中断しましたが、後に再開されます。
足利義満が明との外交で用いた称号です。義持は、父がこの称号を受けて臣下の礼をとった外交を好まず、対明関係を見直しました。