歴史・社会の疑問 読了 7分

【室町時代・足利義満】(解決策が)よし!見つかった! 60年の喧嘩を止める最強の仲裁術

16:9、640×360のブログ用サムネイル画像を作成してください。テーマは「足利義満が南北朝の争乱を終わらせ、室町幕府を全盛期へ導いた」です。中央に、室町時代の公家風と武家風を取り入れた豪華な装束の足利義満を描き、背後に京都の花の御所と金閣を配置してください。左右の遠景には、京都と吉野に分かれていた二つの朝廷が一つにまとまっていく様子を象徴的に表現し、海の向こうには明との交易船を小さく置いてください。義満は自信に満ちた仲裁者・経営者のような表情にし、国内統一、外交、文化の繁栄が同時に伝わる構図にしてください。画風は手描き風の日本歴史絵巻・和紙調イラストレーション、象牙色の紙背景、繊細な焦茶色の墨線、落ち着いた水彩、朱色・藍色・黄土色・青緑のアクセント。写真的・3D・現代の建物・ロゴ・透かしを避け、画像内に文字を入れないでください。後処理でタイトルを重ねるため、上部に余白を確保してください。参照画像なし

※「義満(よしみつ)」と「よし、見つかった(解決策が見つかった)」をかけ、60年も続いた日本を二分する大喧嘩を終わらせたことを表しています。

足利義満が政治をしていた時期のイベントについて説明します。「日本に2つの本社(朝廷)がある」という異常事態に終止符を打ち、ライバルたちをボコボコにして独裁体制を固め、さらに海外貿易で荒稼ぎして会社(幕府)の全盛期を作り上げた時のお話です。

足利義満はどんな人?

今からおよそ650年前、室町時代の日本でリーダーをしていた男性です。 足利幕府の第3代将軍として、およそ60年も続いていた国内の混乱を1つにまとめ上げました。 「日本国王」を名乗って海外とビジネスを行い、京都に豪華なビルを建てて武士のパワーを世界に見せつけた、室町幕府最強の完成者です。

用語日本国王にほんこくおう

足利義満が明との外交で用いた称号です。明の皇帝から冊封を受ける形で認められ、日明貿易を公的に進めるための立場として利用されました。

登場する地方や国について

平安京、吉野、明、鎌倉
平安京、吉野、明、鎌倉

どのくらいの時代?

南北朝の動乱から南北朝合一、日明貿易までを示す足利義満の時代位置
南北朝合一から日明貿易、北山文化までを示す足利義満の時代年表

その1:口約束で「ライバル会社」を吸収合併

足利義満は、リーダーとしての地位を固めるために、まず大きな懸案事項に取り掛かりました。

足利義満
「最近、北朝と南朝の喧嘩が60年も続いててマジでダルいんだよな。日本に天皇が2人いるとか、会社(国)として効率悪すぎだろ。だから、山奥にこもってる南朝の社長(後亀山天皇)を、『三種の神器を持って京都に来たら、これからは交代で天皇を出すルールにするよ』って口約束で釣って、無理やり一本化させちゃうぞ!」

彼は、長年続いていた「南北朝の争乱」を終わらせるため、南朝側を説得して皇位を譲らせる形で合一を実現させました。

これは例えば、「長年シェアを争っていた2つのライバル会社に対し、社長が『合併して役員ポストを交互に出そうぜ』と嘘の提案をして相手を飲み込み、いざ合併したら自分の派閥だけで経営をガチガチに固めてしまう」ような、したたかな経営統合です。

南朝側
「よし、合体しよう! ……あれ? 次はうちの番じゃないの?」
足利義満
「あー、そんなこと言ったっけ? もう忘れちゃったわ(無視)」

なかなかの嘘つき外交ではありますが、しかし義満はさらにこう考えました。

その2:調子に乗った「支店長」たちを強制デリート

南北朝をまとめた義満の前に、次なる壁が立ちはだかります。

足利義満
「喧嘩は終わったけど、地方の支店長(守護大名)たちが調子に乗って俺よりデカい顔してんのがムカつくんだよな。特に11か国もシェアを持ってる山名一族とか、マジで邪魔だろ。だから、わざと怒らせてケンカを売らせて、一族まとめてデリート(殲滅)してパワーを削いでやるぜ!」

彼は、強力になりすぎた「守護大名」を挑発して反乱を起こさせ、それを次々と討つことで将軍の権威を絶対的なものにしました。

これは、「影響力を持ちすぎた地方の支店長を、社長がスキャンダルや挑発でわざと不祥事を起こさせ、正当防衛を装ってクビにし、自分の言うことを聞くイエスマンだけを残して独裁を固める」ような冷徹な人事刷新です。

守護大名
「義満さん、やり方がエグすぎて何も言えねえ……」
足利義満
「ふふん、これでようやく、俺のハンコ一つで何でも決まる最高の会社になったってわけだ(ニヤリ)」

かなり物騒な立ち回りですが、この理想を掲げた上で、義満はさらにこう考えました。

中央でふんぞり返る足利義満(将軍)に対し、膝をついて怯える守護大名たちと、その裏で削減されていく山名氏や大内氏の勢力図
中央でふんぞり返る足利義満(将軍)に対し、膝をついて怯える守護大名たちと、その裏で削減されていく山名氏や大内氏の勢力図
用語守護大名しゅごだいみょう

室町時代に、守護として軍事・警察や土地支配を担いながら、国内で大きな権力を持つようになった有力武士です。義満は反乱を起こした守護大名を討つことで、将軍中心の政治を固めました。

その3:プライドを捨てて「海外の巨頭」と爆益取引

国内を掃除した義満は、次に「軍資金」の確保に動きます。

足利義満
「会社の金が足りないんだよな。そうだ、中国(明)の巨大市場と取引すればボロ儲けじゃね? あっちの社長(皇帝)に『俺はあんたの子分です!』って下手に出て、『日本国王』の公式ライセンス(勘合)をもらって独占貿易を始めるぞ。プライドよりキャッシュなんだよな!」

彼は明の皇帝に対して臣下の礼をとり、海賊(倭寇)と区別するための「勘合」を用いた「日明貿易」をスタートさせました。

これは例えば、「業界最大手の海外企業と提携するために、日本の社長がわざわざ『平社員』として頭を下げてまで独占販売権を手に入れ、数倍の輸入品(銅銭など)を持ち帰って莫大な利益を上げる」という、超実利的なビジネス戦略です。

京都の貴族
「日本のトップが中国に頭を下げるなんて、プライドはないんですか!?」
足利義満
「うるせえな、この『永楽通宝』の山を見ろよ。金があれば何でもできるんだよ!」

なかなかドン引きの拝金主義ですが、しかし義満はさらにこう考えました。

用語勘合かんごう

日明貿易で、正式な使節や船であることを確かめるために使われた割符です。明側の証明書と日本側の証明書をつき合わせて照合しました。

その4:都のど真ん中に「最強の本社ビル」を建設

最後に、義満は自分のステータスを完璧なものにします。

足利義満
「金も貯まったし、京都の室町に最高にキラキラした本社ビル『花の御所』を建てるぞ。仕上げに金ピカの別荘(金閣)も作って、公家も武士もみんな招いて接待してやるぜ。これで俺のブランド力は日本一ってわけよ!」

彼は京都の室町に「花の御所」という豪華な邸宅を建てて政治の中心とし、さらに金閣に代表される、公家と武士の文化が混ざった「北山文化」を花開かせました。

これは、「儲かりまくったベンチャー企業の社長が、港区の一等地に超豪華な自社ビルを建て、さらに金ピカの保養所を構えて、政財界の大物を招いて手なずけ、自分の会社こそがNO.1だと世間にアピールしている」ようなイメージ戦略です。

民衆
「金閣寺、眩しすぎて目が痛いぜ……。義満様の勢いは本物だな」
足利義満
「よっしゃ、これで室町幕府は完成だ。俺が死んでもこの会社は安泰なんだよな!」

相当な成金趣味ですが、この「よしみつ(義満)」かった!政治こそが、幕府の黄金時代でした。

用語花の御所はなのごしょ

足利義満が京都の室町に造営した邸宅です。室町殿とも呼ばれ、将軍の政治拠点として機能しました。周囲に花が多く植えられていたため、花の御所と呼ばれます。

用語北山文化きたやまぶんか

足利義満の時代に栄えた文化です。公家文化の華やかさと武家文化の力強さが結びつき、金閣に代表される建築や芸能を生み出しました。

総括

結果:足利義満は、南北朝を合一させることで日本に一人しかいないリーダーの座を奪還し、さらに日明貿易で得た莫大な富と「日本国王」の称号を使って、将軍の権力を絶対的なものにしました。 彼が作った「武士が公家の文化も吸収して支配する」というスタイルは、室町幕府の全盛期を築き上げ、現代に残る日本の文化の土台ともなりました。

一方:彼が有力な守護大名を力ずくで抑え込んだことは、将軍個人の圧倒的なカリスマ性に依存する体制を生んでしまいました。 そのため、彼の死後は再び守護大名たちが力を持ち始め、幕府は「くじ引き」で将軍を決めなければならないような、不安定な時代へと逆戻りしていくことになったのです。

まとめ:足利義満の意義

最後に、この「最強のワンマン社長」が亡くなった後、彼を嫌っていた息子の足利義持が、父のやり方をことごとく否定して「脱・義満」を始めることになりますが、それはまた別のお話。

この出来事が今後どう評価されるかは、まだ分かりません。 以上、よしみつ(義満)かった! 60年(ねん)の喧嘩(けんか)を止(と)める最強(さいきょう)の仲裁術(ちゅうさいじゅつ)でした。

理解度確認テスト

Q1. 1392年、京都と吉野に分かれていた二つの朝廷が一つに戻った出来事を何といいますか?


A. 南北朝の合一

Q2. 明との正式な貿易船であることを確認するために使った割符を何といいますか?


A. 勘合

Q3. 義満が京都の室町に建てた、将軍の政治拠点となった豪華な邸宅を何といいますか?


A. 花の御所

用語対応表

用語南北朝合一なんぼくちょうごういつ

京都の北朝と吉野の南朝に分かれていた二つの朝廷が一つになることです。足利義満の交渉によって1392年に実現しましたが、皇位を交代するという約束は守られませんでした。

用語日明貿易(勘合貿易)にちみんぼうえき(かんごうぼうえき)

室町幕府が明と行った貿易です。海賊である倭寇との区別のため、明の皇帝が発行した証明書を照合して正式な船を確認しました。明から銅銭や生糸などを輸入し、日本から硫黄や銅などを輸出しました。

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