歴史・社会の疑問 読了 7分

【室町時代・足利義政】良し悪しな政治!? 11年の大喧嘩をスルーした趣味人社長

16:9、640×360のブログ用サムネイル画像を作成してください。テーマは「足利義政が後継者争いを放置し、応仁の乱の中で銀閣と東山文化に没頭した」です。中央に、政治から逃げて趣味に没頭する室町将軍・足利義政を描き、片側には燃える京都と東軍・西軍の対立、反対側には静かな東山山荘と庭園を置いてください。義政は戦乱を横目に茶道具や庭石を眺めている、困惑とマイペースさが混ざった表情にしてください。遠景に後継者争いを示す二つの旗を置き、政治の混乱と文化の美意識が同居する構図にしてください。画風は手描き風の日本歴史絵巻・和紙調イラストレーション、象牙色の紙背景、繊細な焦茶色の墨線、落ち着いた水彩、朱色・藍色・黄土色・青緑のアクセント。写真的・3D・現代の建物・ロゴ・透かしを避け、画像内に文字を入れないでください。後処理でタイトルを重ねるため、上部に余白を確保してください。参照画像なし

※「義政(よしまさ)」と、政治判断の「良し悪し(よしまさ)」をかけ、判断を先送りにして大混乱を招いた様子を表しています。

足利義政(あしかがよしまさ)が政治をしていた時期のイベントについて説明します。「次の社長を誰にするか」を決めずに逃げ回った結果、会社(国)が真っ二つに分かれて11年も殴り合いを始め、その隙に社長本人は別荘を建てて趣味に没頭してしまった時のお話です。

主役紹介

今からおよそ550年前、室町時代の日本でリーダーをしていた男性です。 足利幕府の第8代将軍として、およそ11年も続く日本最大級の内乱「応仁の乱」のきっかけを作ってしまいました。 政治のトラブルから逃げ出し、自分専用の豪華な別荘(銀閣)を建てて趣味に没頭した、超絶マイペースな文化人リーダーです。

用語応仁の乱おうにんのらん

1467年から1477年まで、京都を中心に続いた内乱です。足利義政の後継者争いに、細川氏と山名氏など守護大名の対立が重なり、東軍と西軍が戦いました。戦乱によって幕府の権威は大きく低下しました。

登場する地方や国について

平安京、東山、近江、播磨
平安京、東山、近江、播磨

どのくらいの時代?

後継者問題から応仁の乱、東山山荘と東山文化までを示す足利義政の時代位置
後継者問題、応仁の乱、東山山荘と東山文化までを示す足利義政の時代年表

その1:後継者選びを「先送り」するダメ社長

足利義政は、リーダーとして動く際に大きなミスを犯してしまいました。

足利義政
「なかなか息子が生まれないんだよな。もう政治も面倒くさいし、弟の義視(よしみ)くんに社長の座を譲って、俺はさっさと隠居して遊びたいぜ。……え? 翌年に息子(義尚)が生まれた? しかも奥さんの富子(とみこ)が『自分の子を社長にしろ』ってうるさすぎなんだよな。うーん、どっちにしようか決めるの疲れるし、しばらく黙っておこうぜ!」

彼は、弟を後継者に指名した直後に実の子が生まれた際、どちらを次期将軍にするかはっきりさせずに放置してしまいました。

これは例えば、「跡継ぎがいないからといって副社長に『次は君が社長だ』と約束した直後、社長に子供が生まれ、社長が『やっぱりどっちにするか決めるのダルいから保留!』と宣言して、社内に派閥争いを巻き起こした」ような、最悪の優柔不断です。

側近
「義政様、早く決めないと周りの大名たちが『俺は弟派だ!』『俺は息子派だ!』って武器を持って集まり始めてますよ!?」
足利義政
「うるせえな、俺は今それどころじゃないんだ。見てよこの庭の岩、配置が最高だろ?」

なかなか呆れた発言ですが、義政はさらにこう考えました。

その2:オフィスが「火の海」でもスルー

決断を先延ばしにした結果、ついに取り返しのつかない事態が起きました。

足利義政
「なんか有力な支店長(守護大名)の細川くんと山名くんが、俺の跡継ぎ問題を口実にして、京都のど真ん中で大喧嘩(応仁の乱)を始めちゃったぞ。日本中の武士が集まって、都がどんどん火の海になってるじゃねえか。でも、あいつら話を聞かないし、もう放っておいていいよね? 俺は趣味の建物づくりに専念するわ!」

彼は、11年も続くことになる大乱が起きている最中、それを止める努力をほとんどせず、政治を大名たちに丸投げしてしまいました。

これは、「社内で大規模な殴り合いの抗争が起き、本社ビル(京都)が全焼しているのに、社長が『あいつら勝手にやってるからいいや』と言って、自分は地下のシェルターで趣味のDIYを楽しんでいる」ような、信じられない無責任状態です。

足利義政(中央)が趣味にふけり、その左右で細川勝元(東軍)と山名持豊(西軍)が京都を舞台に激しく激突している対立図
足利義政(中央)が趣味にふけり、その左右で細川勝元(東軍)と山名持豊(西軍)が京都を舞台に激しく激突している対立図
民衆
「将軍様は何やってんだよ! 街がめちゃくちゃだぜ! しかもなんか寄せ集めの兵隊(足軽)たちが略奪し放題じゃないか!」
足利義政
「(闘犬や田楽を楽しみながら)ふふん、今日もいい天気だなあ」

相当なドン引きの対応ですが、この理想(?)を掲げた上で、義政はさらにこう考えました。

用語足軽あしがる

中世の戦場で、臨時に集められた軽装備の歩兵です。応仁の乱では大量に動員され、戦闘だけでなく都市の略奪や放火にも関わりました。

その3:政治より「自分好みの別荘」を優先

大喧嘩が長引く中、義政は自分の理想を別の形で実現させようとします。

足利義政
「政治の世界はドロドロしてて嫌なんだよな。そうだ、京都の東山に最高に渋くてカッコいい別荘『東山山荘(銀閣)』を建てるぞ。派手な金ピカ(金閣)より、シンプルで静かな『わび・さび』の心が大事なんだよな。ここを拠点にして、新しい文化『東山文化』を作っちゃうぜ!」

彼は、幕府の財政が火の車であるにもかかわらず、趣味の庭園造りや建築に巨額の資金を投じ、銀閣(慈照寺)に代表される独自の文化を花開かせました。

これは例えば、「会社が倒産寸前なのに、社長が会社の経費を全部使って、自分好みのオシャレなアートギャラリーを建てて、そこでアーティスト仲間とティーパーティーを開いている」ような状況です。

家臣
「義政様、さすがに今はそんなことしてる場合じゃないですよ……。国民は税金と一揆(土一揆)でパンク寸前です!」
足利義政
「うるせえ、この銀閣の『書院造』、これこそが日本人の心の故郷になるんだからな!」

なかなかパンクな経営者ですが、この義政の趣味への情熱こそが、後の日本文化の土台となりました。

用語東山文化ひがしやまぶんか

足利義政の東山山荘を中心に育った文化です。禅の影響を受けた簡素で落ち着いた美意識が、茶の湯、書院造、庭園、能などに表れました。

用語銀閣(慈照寺)ぎんかく(じしょうじ)

足利義政が造営した東山山荘の観音殿を、後世に銀閣と呼ぶようになったものです。正式な寺名は慈照寺で、銀箔を貼ったことが名前の由来というわけではありません。

その4:社長が「何もしない」から起きた下剋上

最後に、義政が政治を投げ出した結果、会社(国)の形が激変しました。

足利義政
「11年も喧嘩した挙句、みんな疲れ果てて田舎に帰っていったな。結局どっちが次の将軍か決まらなかったけど、まあいいや。俺はもう引退して息子(義尚)に全部任せるわ! ……え? 誰も幕府の言うことを聞かなくなったって? 実力があれば下のやつが上を倒す『下剋上』が流行ってるって? 知らねえよ、俺はもう隠居なんだよ!」

彼が無責任に政治を放棄したことで、幕府の権威は完全に失墜しました。ここから、実力だけが物を言う戦国時代の幕が本格的に上がったのです。

これは、「社長が何もしなさすぎて本社のルールが消滅し、地方の支店(戦国大名)たちが『もう本社に給料(税金)払う必要ねえな、自分らで独立しようぜ』と言って勝手に新しい会社を作り始めた」ような、組織の完全崩壊です。

後継者問題から東軍・西軍の衝突、京都の火災と足軽の横行、戦後に武士が地方へ帰るまでの応仁の乱の流れ
後継者問題から東軍・西軍の衝突、京都の火災と足軽の横行、戦後に武士が地方へ帰るまでの応仁の乱の流れ
有力な武士
「将軍なんてただの飾りだ。これからは力がある者が勝つ時代だぜ!」
足利義政
「ふう、ようやく一人になれたな。お茶でも点てようか……」

相当な幕引きではありますが、こうして室町幕府の安定は終わりを迎えました。

用語下剋上げこくじょう

身分や地位が下の者が、実力によって上の者を倒し、立場を入れ替えることです。応仁の乱後、幕府の統制が弱まった地域で、守護代や国人が守護大名を追い越す動きなどが広がりました。

総括

結果:足利義政は、後継者問題をはっきりさせなかったことで「応仁の乱」を招き、幕府の権威をボロボロにしてしまいました。彼が政治から逃げ回ったことで、日本は「力がすべて」の戦国時代へと突入していきました。政治家としては、救いようのない「大失敗」を演じたと言えます。

一方:彼が政治を捨ててまで没頭した「趣味」は、茶道や銀閣、書院造といった東山文化として結実し、現代まで続く「日本らしさ」の原点となりました。皮肉にも、政治的な無能さが、日本の芸術レベルを最高潮に引き上げるという奇跡を起こした側面もあるのです。

まとめ:足利義政の意義

最後に、この「趣味人社長」が残したガタガタの会社を、地方の支店長(戦国大名)たちが力ずくで奪い合う「戦国時代」が本格的に始まりますが、それはまた別のお話。

この出来事が今後どう評価されるかは、まだ分かりません。 以上、よしまさ(義政)の政治はよしまさ(良し悪し)!? 11年の大喧嘩をスルーした趣味人社長でした。

理解度確認テスト

Q1. 足利義政の時代に、京都を舞台に11年間続いた、将軍の後継者争いなどを原因とする大乱の名前は何ですか?


A. 応仁の乱

Q2. 義政が京都の東山に建てた、シンプルで静かな美しさを象徴する建物を何といいますか?


A. 銀閣(慈照寺)

Q3. 京都を焼け野原にした11年の内乱で大量に動員され、戦闘だけでなく都市の略奪や放火にも関わった、軽装備で機動力のある歩兵を何と呼びますか?


A. 足軽

用語対応表

用語足利義視あしかがよしみ

足利義政の弟で、いったん次の将軍候補に指名された人物です。義政に息子・義尚が生まれたことで後継者争いの当事者となり、応仁の乱では西軍側の中心になりました。

用語日野富子ひのとみこ

足利義政の妻で、息子の足利義尚を次の将軍にしようと動いた人物です。後継者争いでは東軍側と結びつき、応仁の乱の政治的な背景の一つになりました。

足利義政が「銀閣」という殻に閉じこもっている間に、幕府という大きな看板が「下剋上」というハンマーで壊され、中から戦国大名たちが飛び出してくるステップ図
足利義政が「銀閣」という殻に閉じこもっている間に、幕府という大きな看板が「下剋上」というハンマーで壊され、中から戦国大名たちが飛び出してくるステップ図
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