※「義政(よしまさ)」と、政治判断の「良し悪し(よしまさ)」をかけ、判断を先送りにして大混乱を招いた様子を表しています。
足利義政(あしかがよしまさ)が政治をしていた時期のイベントについて説明します。「次の社長を誰にするか」を決めずに逃げ回った結果、会社(国)が真っ二つに分かれて11年も殴り合いを始め、その隙に社長本人は別荘を建てて趣味に没頭してしまった時のお話です。
主役紹介
今からおよそ550年前、室町時代の日本でリーダーをしていた男性です。 足利幕府の第8代将軍として、およそ11年も続く日本最大級の内乱「応仁の乱」のきっかけを作ってしまいました。 政治のトラブルから逃げ出し、自分専用の豪華な別荘(銀閣)を建てて趣味に没頭した、超絶マイペースな文化人リーダーです。
1467年から1477年まで、京都を中心に続いた内乱です。足利義政の後継者争いに、細川氏と山名氏など守護大名の対立が重なり、東軍と西軍が戦いました。戦乱によって幕府の権威は大きく低下しました。
登場する地方や国について
どのくらいの時代?
その1:後継者選びを「先送り」するダメ社長
足利義政は、リーダーとして動く際に大きなミスを犯してしまいました。
彼は、弟を後継者に指名した直後に実の子が生まれた際、どちらを次期将軍にするかはっきりさせずに放置してしまいました。
これは例えば、「跡継ぎがいないからといって副社長に『次は君が社長だ』と約束した直後、社長に子供が生まれ、社長が『やっぱりどっちにするか決めるのダルいから保留!』と宣言して、社内に派閥争いを巻き起こした」ような、最悪の優柔不断です。
なかなか呆れた発言ですが、義政はさらにこう考えました。
その2:オフィスが「火の海」でもスルー
決断を先延ばしにした結果、ついに取り返しのつかない事態が起きました。
彼は、11年も続くことになる大乱が起きている最中、それを止める努力をほとんどせず、政治を大名たちに丸投げしてしまいました。
これは、「社内で大規模な殴り合いの抗争が起き、本社ビル(京都)が全焼しているのに、社長が『あいつら勝手にやってるからいいや』と言って、自分は地下のシェルターで趣味のDIYを楽しんでいる」ような、信じられない無責任状態です。

相当なドン引きの対応ですが、この理想(?)を掲げた上で、義政はさらにこう考えました。
中世の戦場で、臨時に集められた軽装備の歩兵です。応仁の乱では大量に動員され、戦闘だけでなく都市の略奪や放火にも関わりました。
その3:政治より「自分好みの別荘」を優先
大喧嘩が長引く中、義政は自分の理想を別の形で実現させようとします。
彼は、幕府の財政が火の車であるにもかかわらず、趣味の庭園造りや建築に巨額の資金を投じ、銀閣(慈照寺)に代表される独自の文化を花開かせました。
これは例えば、「会社が倒産寸前なのに、社長が会社の経費を全部使って、自分好みのオシャレなアートギャラリーを建てて、そこでアーティスト仲間とティーパーティーを開いている」ような状況です。
なかなかパンクな経営者ですが、この義政の趣味への情熱こそが、後の日本文化の土台となりました。
足利義政の東山山荘を中心に育った文化です。禅の影響を受けた簡素で落ち着いた美意識が、茶の湯、書院造、庭園、能などに表れました。
足利義政が造営した東山山荘の観音殿を、後世に銀閣と呼ぶようになったものです。正式な寺名は慈照寺で、銀箔を貼ったことが名前の由来というわけではありません。
その4:社長が「何もしない」から起きた下剋上
最後に、義政が政治を投げ出した結果、会社(国)の形が激変しました。
彼が無責任に政治を放棄したことで、幕府の権威は完全に失墜しました。ここから、実力だけが物を言う戦国時代の幕が本格的に上がったのです。
これは、「社長が何もしなさすぎて本社のルールが消滅し、地方の支店(戦国大名)たちが『もう本社に給料(税金)払う必要ねえな、自分らで独立しようぜ』と言って勝手に新しい会社を作り始めた」ような、組織の完全崩壊です。

相当な幕引きではありますが、こうして室町幕府の安定は終わりを迎えました。
身分や地位が下の者が、実力によって上の者を倒し、立場を入れ替えることです。応仁の乱後、幕府の統制が弱まった地域で、守護代や国人が守護大名を追い越す動きなどが広がりました。
総括
結果:足利義政は、後継者問題をはっきりさせなかったことで「応仁の乱」を招き、幕府の権威をボロボロにしてしまいました。彼が政治から逃げ回ったことで、日本は「力がすべて」の戦国時代へと突入していきました。政治家としては、救いようのない「大失敗」を演じたと言えます。
一方:彼が政治を捨ててまで没頭した「趣味」は、茶道や銀閣、書院造といった東山文化として結実し、現代まで続く「日本らしさ」の原点となりました。皮肉にも、政治的な無能さが、日本の芸術レベルを最高潮に引き上げるという奇跡を起こした側面もあるのです。
まとめ:足利義政の意義
- [内乱の引き金] :優柔不断な態度で後継者争いをこじらせ、11年に及ぶ応仁の乱を招いた。
- [幕府の無力化] :乱を止められず政治を放棄したことで、幕府の権威が失墜し、下剋上の風潮を強めた。
- [東山文化の創造] :銀閣を建て、茶道や華道などの「わび・さび」を重んじる日本文化の土台を築いた。
最後に、この「趣味人社長」が残したガタガタの会社を、地方の支店長(戦国大名)たちが力ずくで奪い合う「戦国時代」が本格的に始まりますが、それはまた別のお話。
この出来事が今後どう評価されるかは、まだ分かりません。 以上、よしまさ(義政)の政治はよしまさ(良し悪し)!? 11年の大喧嘩をスルーした趣味人社長でした。
理解度確認テスト
Q1. 足利義政の時代に、京都を舞台に11年間続いた、将軍の後継者争いなどを原因とする大乱の名前は何ですか?
A. 応仁の乱
Q2. 義政が京都の東山に建てた、シンプルで静かな美しさを象徴する建物を何といいますか?
A. 銀閣(慈照寺)
Q3. 京都を焼け野原にした11年の内乱で大量に動員され、戦闘だけでなく都市の略奪や放火にも関わった、軽装備で機動力のある歩兵を何と呼びますか?
A. 足軽
用語対応表
- 下の者が実力で上の者を倒すこと → 下剋上
- 義政が東山に建てた別荘 → 銀閣
- 義政の時代に栄えた、静かで渋い文化 → 東山文化
- 将軍の後継者候補だった義政の弟 → 足利義視
- 将軍の後継者候補だった義政の息子 → 足利義尚
- 義政の妻で、自分の息子を将軍にしようとした人物 → 日野富子
- 地域を支配する支店長クラスの武士 → 守護大名
- 今の京都に相当する、幕府の本拠地 → 平安京(都)
足利義政の弟で、いったん次の将軍候補に指名された人物です。義政に息子・義尚が生まれたことで後継者争いの当事者となり、応仁の乱では西軍側の中心になりました。
足利義政の妻で、息子の足利義尚を次の将軍にしようと動いた人物です。後継者争いでは東軍側と結びつき、応仁の乱の政治的な背景の一つになりました。
