この人物が政治をしていた時期のイベントについて説明します。
- 「アラブ人だけが偉い」という不平等なルールを、どうやってひっくり返したのか
- 「血を流す者」という恐ろしい二つ名を付けられた、復讐の理由
- 中国(唐)との戦いで手に入れた、世界を劇的に変えた「ある技術」の正体
今から約1300年前、アラビア半島からイラン・イラクまでを支配したアッバース朝の初代カリフがアブー=アルアッバースです。特定の民族だけが優遇される社会をぶち壊し、数百万人の「差別に苦しむ人々」の希望となった男。彼がいかにしてイスラーム世界を「みんなのもの」に変えたのか、その物語が始まります。
登場する地方や国について
どのくらいの時代?
アッバース朝の時代(750~1258年)
1. アラブ人ばかりがズルい! 差別された人たちと起こした大逆転劇
アブー=アルアッバースが登場する前、イスラーム世界を支配していたウマイヤ朝は、非常に不公平な国でした。アラブ人であれば税金が免除される一方、非アラブ人のイスラーム教徒である「マワーリー」たちは、たとえ同じ神を信じていても重い税金を払わされていたのです。
これは例えば、本社採用の正社員だけがボーナスをもらえて、中途採用の社員は同じ仕事をしているのに給料から謎の手数料を引かれ続けているような不条理な状況です。現代で言えば、特定の地域出身者だけが税金ゼロになるという、めちゃくちゃな法律がある国みたいな感じですね。
虐げられた人々の支持を集めたアブー=アルアッバースは、反乱の狼煙を上げました。なかなか過激なスタートではありますが、彼はさらにこう考えました。
ウマイヤ朝時代にイスラームに改宗した、非アラブ人の信者のことです。イラン人などが多く、ウマイヤ朝のアラブ人至上主義的な政策によって、宗教的には平等なはずなのに税制面などで厳しく差別されていました。
2. イスラームを信じるならみんな仲間! 税金の革命で「世界帝国」へ
反乱に勝利したアブー=アルアッバースは、750年に「アッバース朝成立」を宣言しました。彼はすぐに税制の改革に着手します。それまでアラブ人だけが受けられた免税特権を廃止し、信者であれば誰でも平等に扱うように変えたのです。これこそが「アッバース朝革命」の本質でした。
これは例えば、出身校や性別に関係なく、成果を出した人全員を正当に評価するホワイト企業に生まれ変わったようなものです。現代で言えば、国籍に関係なく公共サービスが平等に受けられる、真の意味でのグローバルな社会が実現したような感じですね。
アブー=アルアッバースは、一部の民族の帝国を、全イスラーム教徒のための帝国へと進化させたのです。なかなかあっぱれな改革ですが、こうして歴史に残る大きな方向転換が行われました。

750年、アブー=アルアッバースが非アラブ系信者(マワーリー)らの力を結集してウマイヤ朝を打倒し、アッバース朝を成立させた出来事です。これにより、アラブ人中心の支配から、全信者が平等な「イスラーム帝国」へと転換しました。
ジズヤは「人頭税」、ハラージュは「地租」です。アッバース朝では、ハラージュは土地所有者全員が払い、ジズヤは「非イスラーム教徒」だけが払うルールに統一され、信者の平等が実現しました。
3. 裏切り者は絶対許さねえ! 「血を流す者」としての冷徹な復讐
平等の理念を掲げた一方で、アブー=アルアッバースの敵に対する態度は恐ろしいほど残酷でした。彼は新王朝の安定を確実にするため、前の王朝であるウマイヤ家の一族を徹底的に追い詰め、虐殺したのです。このため、彼は「サッファーフ」という戦慄の二つ名で呼ばれることになりました。
これは例えば、新しい社長が就任した途端、前の社長派の役員を全員クビにするどころか、業界全体から徹底的に追放して再起不能にする、強烈な社内粛清のようなものです。現代で言えば、ライバル政党のメンバーを一人残らず厳しく処罰して、二度と反対意見が出ないようにする、極端に冷徹な指導者みたいな感じですね。
力で反対派をねじ伏せることで、アブー=アルアッバースは新王朝の土台を固めていきました。なかなかドン引きな厳しさですが、彼はさらにこう考えました。
アブー=アルアッバースがこれほどまでに復讐にこだわったのは、ウマイヤ朝が長年、アッバース家やムハンマドの一族を迫害してきたことへの怨念があったからだとも考えられます。恐怖で支配の正当性を示すのは、この時代の権力者の一つのパターンでした。
4. 中国の唐をボコボコにしたら、思わぬ「情報のバトン」をゲットした話
建国の翌年である751年、アッバース朝の軍は中央アジアのタラス河畔で、中国の唐の軍隊と激突しました。これが有名な「タラス河畔の戦い」です。アッバース朝の軍はこの戦いで唐の将軍・高仙芝を破り、大勝利をおさめました。そしてこの時、捕虜の中に中国の国家機密だった「紙をつくる技術」を持った職人がいたのです。
これは例えば、ライバル会社とのコンペに勝ったら、相手の会社の極秘技術を偶然手に入れてしまい、それが自分の会社だけでなく世界中のスタンダードになってしまった、というようなラッキーな状況です。現代で言えば、SNSの仕組みを独占していた会社からそのノウハウを奪い、世界中に広めて情報の革命を起こしたような感じですね。
この戦いのおかげで、製紙法がイスラーム世界に伝わり、のちにバグダードに紙工場が建てられ、さらにヨーロッパへと伝わっていきました。なかなか皮肉な結果ですが、この戦いの勝利が世界の文化を大きく前進させたのです。


751年、中央アジアでアッバース朝の軍が中国(唐)の軍を破った戦いです。この勝利で中央アジアのイスラーム化が決定的になったほか、捕虜の紙職人を通じて「製紙法」が世界に広まるきっかけとなりました。
総括
結果:アブー=アルアッバースは、アラブ人至上主義だったウマイヤ朝を武力で打倒し、すべてのイスラーム教徒が平等に扱われる「世界帝国」としての基礎を築くことに成功しました。当初の狙いだった「差別のない社会」は、信者であれば民族に関係なくジズヤ(人頭税)を免除するという公平な税制によって見事に実現されたのです。
一方:新王朝の安定を急ぐあまり、前の王朝の一族を徹底的に虐殺したその冷徹さは、「サッファーフ」という恐ろしい名を後世に残すことになりました。彼の築いた強固な独裁体制は確かに帝国の土台となりましたが、あまりに苛烈な復讐劇は、後のイスラーム世界における様々な分断や不満の火種にもなってしまったのです。しかし、タラス河畔の戦いで得た製紙法は、人類の知恵を記録する手段として、世界を永遠に変えることになりました。
- 「イスラーム帝国」の誕生:750年の革命により、アラブ人だけが優遇される時代を終わらせ、全信者が平等な社会をつくった。
- 税制の平等化:民族に関係なく、土地を持つ者はハラージュを払い、信者はジズヤを免除されるという公平なルールを確立した。
- 製紙法の伝播:751年のタラス河畔の戦いで唐に勝利し、捕虜を通じて紙の作り方を世界に広めるという文化的な偉業を成し遂げた。
- 冷徹な復讐者:ウマイヤ家を徹底的に排除した「サッファーフ(血を流す者)」としての恐怖政治が、アッバース朝の初期の安定を支えた。
理解度確認テスト
Q1. 1250年、シャジャル=アッドゥルらがエジプトで建国した、軍事エリートである奴隷兵が主役の王朝を何といいますか?
A. マムルーク朝
Q2. シャジャル=アッドゥル率いる軍隊に敗北し、エジプトで捕虜となった「聖者」とも呼ばれるフランスの王様は誰ですか?
A. ルイ9世
Q3. マムルーク朝の権力の基盤となった、トルコ系などの「軍事エリートとして育てられた奴隷」を何といいますか?
A. マムルーク
復讐によって王朝の土台を固め、平等の理念で帝国を一つにまとめたアブー=アルアッバース。この後、アッバース朝は2代カリフ・マンスールによって巨大な円形都市バグダードが建設され、世界の中心として黄金時代を迎えることになります。
この出来事が今後どう評価されるかは、まだ分かりません。以上、【アッバース朝・アブー=アルアッバース】「あっ(アッ)ば(バー)れ(ス)」すぎ!平等社会をつくった復讐の鬼でした。
用語対応表
- マワーリー → イスラームを信じてるのに差別されてるアラブ人以外の人たち
- アッバース朝革命 → 「アラブ人ファースト」をぶっ壊した大逆転劇
- ジズヤ → イスラーム教徒じゃない人だけが払う「安心料」(人頭税)
- ハラージュ → 土地を持ってる人みんなが払う「土地税」(地租)
- タラス河畔の戦い → 中国(唐)と激突し、紙の作り方をゲットした歴史的バトル