事件名:猥褻図画公然陳列被告事件(映画「黒い雪」事件控訴審判決)
裁判所:年)9月17日に東京高等裁判所
判決日:昭和44年9月17日
関係法令:
・刑法
・違法
・自治体法
論点:
・表現の自由
・責任阻却
結論:
・記事本文参照
「『プロがOKって言ったから、いいと思ったんだもん!』は通用する? 正義のプロ制度を信じた結果【映画『黒い雪』事件】」
読者のみなさん、こんにちは! 今日は1969年(昭和44年)9月17日に東京高等裁判所が出した、映画の「わいせつ」表現と、それを作った人の「責任」をめぐる、とても有名なお話を紹介するよ。
「表現の自由」と「わいせつな表現を制限するルール」がぶつかったこの事件。でも、一番のポイントは「映画の審査をするプロ(映倫)が『この映画は大丈夫ですよ』と言ったのに、あとから警察に『やっぱりダメ!』と言われて捕まった人は、どうなるの?」ということなんだ。裁判所がどう判断したのか、見てみよう!
【ストーリー】「映倫がいいって言ったんだ!」 vs 「それでもわいせつは犯罪だ!」
「私は映画『黒い雪』を制作しました。確かにきわどいシーンもありますが、これは芸術作品です。しかも、公開前に映画のチェックを担当する『映倫(映画倫理管理委員会)』からちゃんと許可をもらっています。プロが『公開していい』と言ったんだから、犯罪になるなんて思いもしませんでした!」
「いいえ、Aさん。映倫がどう言おうと、この映画の内容は法律(刑法175条)で禁止されている『わいせつ物』にあたります。法律を破れば、たとえ誰が『いいよ』と言ったとしても、処罰されるのは当然です!」
「裁判官さん! 法律は難しくて、何が『わいせつ』で何が『芸術』か、素人には分かりません。だから私たちは映倫というプロの判断を信じて活動しているんです。それを信じた私を『わざと悪いことをした(故意)』として罰するのは、あんまりじゃありませんか!」
【解説】裁判所でのバトル:登場!「違法性の意識(いほうせいのいしき)」という心のフィルター
今回のバトルのポイントは、「悪いこと(法律違反)だと思っていなかった人」を、犯罪者として罰していいのか、ということなんだ。
1. 「責任(せきにん)」のルール:
犯罪が成立するためには、「やったこと(客観)」が悪いだけでなく、「それを悪いことだと分かっていた(主観)」という「責任」が必要なんだ。
2. 魔法の言葉「違法性の意識の可能性(いほうせいのいしきのかのうせい)」:
「これは法律違反だ」と気づくチャンスのことを「違法性の意識の可能性」というよ。裁判所はこう考えたんだ。「映倫という、しっかりした権限をもつ機関が『OK』と言ったのなら、監督が『これは法律違反じゃないんだ』と信じたことには、もっともな理由があるよね」と。
3. 結論:信じる理由があれば「しかたない」!:
裁判所は、映画そのものは「わいせつ(違法)」だと判断したけれど、監督がそれを「適法(正しいこと)」だと信じたのは、映倫の審査を通ったからであり、彼に「悪いことだ」と気づくチャンスはなかったと認めたんだ。これを「責任が阻却(そきゃく)される」といって、無罪になるんだよ。
【判決】映画は「わいせつ」だけど、映倫を信じた監督は「無罪」!
東京高等裁判所(昭和44年9月17日)は、次のような答えを出しました。
1. 映画自体は「わいせつ物」である!
映画の内容は、社会のルールに照らして、わいせつな図画にあたると判断されました。
2. 監督に責任は問えない(無罪)!
映倫という権限ある機関の判断に従った場合、「これは悪いことだ」という自覚(違法性の意識)をもつことは難しかったため、Aさんを処罰することはできないとされました。
【判決の核心】
「違法性の意識の可能性がなくなる場合としては、法令の解釈・運用に権限をもつ機関の見解に従った場合が挙げられます。……判例に現れた例では、映画がわいせつ物にあたるかどうかについて映倫管理委員会……(の見解に従った場合などがあります)(参照:東京高判昭44・9・17高裁刑集22巻4号595頁など。テキスト784頁、787頁 脚注1より抜粋)」
まとめ:判決の後、日本はどう変わったの?
この1969年の決断は、日本の表現活動と「信じることの正義」をはっきりさせたよ!
* 「プロの判断」への信頼が守られた!
国や準ずる機関の公式な見解を信じて行動した人が、いきなり「やっぱり犯罪だ」と捕まることがないように、国民を保護する重要なルールが確立されたんだ。
* 映画業界の審査体制(映倫)がより重んじられるようになった!
この判決によって、「映倫の審査を通る」ことが、法的な「お守り」としての意味をもつことが示されたんだね。
* 「責任」の考え方が深まった
「法律を知らなかった」というだけでは言い訳にならないのが基本だけど(昭和25年判決など)、「権限ある機関が『いい』と言った場合」には、特別に許される道(責任阻却)がある、という今の日本のバランス感覚が生まれたんだ。
最後に
「正しく信じた人を、法律は見捨てない」。この昭和44年の決断は、自由な表現を守るために、私たちが何を信じて行動すべきか、そして法律がどこまで私たちの「心」を汲み取ってくれるのかを教えてくれる、とても大切なメッセージなんだね!