事件名:生活保護法による保護に関する不服申立(朝日訴訟)
裁判所:最高裁判所大法廷
判決日:昭和42年5月24日
関係法令:
・生活保護法
・憲法25条(生存権)
論点:
・生存権の法的性質(抽象的権利説)
・厚生大臣の裁量権
・一身専属権
結論:
・憲法25条は具体的権利でないが裁量権の濫用に司法審査が及ぶ
こんにちは! みんなは毎日、ごはんを食べて、お風呂に入って、温かい布団で寝ているよね。でも、もし病気や貧しさで、どうしても自分だけでは生活できなくなってしまったら……?
憲法(けんぽう)25条には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と書かれています。
この「最低限度の生活」の内容(中身)をめぐって、国と一人の男性が激しく争った、日本の福祉の歴史を変えた裁判を見てみよう。
【ストーリー】「600円じゃ生きていけない!」 vs 「基準を決めるのは国の仕事です」
私は重い結核(けっかく)で入院していますが、身寄りもなく、生活保護(せいかつほご)を受けています。 でも、国が決めた「生活扶助(せいかつふじょ)」のお金は、月にたったの600円です。 これでは、石鹸(せっけん)や歯ブラシ、ちり紙といった毎日の必需品を買うだけで精一杯で、下着やタオルさえ買えません。 これが「健康で文化的な最低限度の生活」といえるのでしょうか?
朝日さん、お気持ちは分かります。しかし、日本はまだ豊かではありません。限られた予算の中で、誰にどれくらいの手助けをするかは、専門家である私たちが決めるべき「裁量(さいりょう)」の範囲(はんい)です。 憲法25条は「国はこうなるように頑張りましょう」という国の目標を言っているだけで、国民に「これだけのお金をよこせ!」という具体的な権利を直接与えているわけではないのです。
いいえ! 憲法が約束しているのは「目標」ではなく「権利」のはずです。 こんなに低い基準で放置するのは憲法違反(けんぽういはん)です! 私は、人間として生きる尊厳(そんげん)を守るために裁判を起こします!
【解説】裁判所でのバトル:登場!「抽象的(ちゅうしょうてき)な権利の物差し」
「二人とも落ち着いて。今回のバトルのポイントは、憲法25条の『生存権(せいぞんけん)』が、国民が国に対して直接『これだけの生活をさせろ!』と言える具体的な力をもっているのか、ということなんだ」
裁判所は、この難しい問題を解くために、次のような「権利の物差し」を示したよ。
1. 「生存権」は魔法の杖じゃない?:
裁判所はこう考えたんだ。「憲法25条は、すべての国民が人間らしい生活ができるように国政を運営しなさい、という国の義務を宣言したものであって、直接個々の国民に対して、具体的なお金の請求権をいきなり与えたものではないんだよ」。 これを「抽象的権利説(ちゅうしょうてきけんりせつ)」と呼ぶことがあるよ。
2. 大臣の「広い裁量」:
「最低限度の生活」の中身を具体的に決めるのは、とても高度で専門的な判断が必要だよね。 だから裁判所は、「基本的には厚生大臣の判断(裁量)に任せるべきだ」と言ったんだ。
3. でも「やりすぎ」はダメ!:
ここが一番大事なポイントだよ。裁判所は、「もし大臣が決めた基準が、憲法や法律の目的を完全に無視して、『裁量権の限界を超えたり、悪用(濫用:らんよう)したりした時』には、裁判所が『それは違法だ!』と言って介入することができる」という新しいルールを作ったんだ。
結局、この裁判の途中で朝日さんが亡くなってしまったため、裁判所は「生活保護を受ける権利は本人のみの特別な権利(一身専属権:いっしんせんぞくけん)だから、家族が代わりに裁判を続けることはできない(相続できない)」という理由で、最終的な結論は出さずに裁判を終えてしまったんだ。
【判決】生存権は直接の権利ではないが、国のデタラメは許さない!
最高裁判所大法廷(昭和42年5月24日)は、次のような答えを出しました。
1. 具体的(ぐたいてき)な権利ではない!
憲法25条1項は、国の政治のあり方についての目標を宣言したものであり、個々の国民に直接、具体的な給付を求める権利を賦与したものではないと判断されました。
2. 司法審査(しほうしんさ)の道を開いた!
厚生大臣が生活保護の基準を決めることについては広い裁量が認められるが、それが裁量権の限界を超えたり濫用されたりした場合には、裁判所がそれをチェックできる(司法審査の対象となる)ことが明言されました。
3. 権利の相続(そうぞく)は認めない!
生活保護を受ける権利は、被保護者自身だけの権利(一身専属権)であり、本人が亡くなった後に他人がそれを引き継いで裁判を続けることはできないとされました。
【判決の言葉】
> 最高裁判所の判決(昭和42年5月24日)より
> 「憲法二五条一項は、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に対して具体的権利を賦与したものではない。……〔しかし、保護基準の設定が〕憲法および生活保護法の趣旨・目的に反し、法律によって与えられた裁量権の限界をこえた場合または裁量権を濫用した場合には、違法な行為として司法審査の対象となることをまぬかれない。」
【追記】判決の後、日本はどう変わったの?
この裁判は、結果として朝日さんの勝訴にはならなかったけれど、その後の日本にものすごく大きな影響を与えたよ。
* 生活保護の基準がグンと上がった!
裁判を通じて「月600円なんてひどすぎる!」という声が日本中に広まり、政治家や役所の人たちも無視できなくなったんだ。判決が出るよりも前に、生活保護の支給額は大幅に引き上げられることになったよ。
* 「生存権」の考え方が定着した!
「国は国民の命を守る義務がある」という意識が当たり前になり、生活保護だけでなく、年金や医療など、今の日本の「社会保障(しゃかいほしょう)」の土台が作られるきっかけになったんだ。
* お役所の仕事も「裁判でチェックできる」ことが当たり前に!
「お役所が決めたことだから従え」ではなく、もし内容がメチャクチャなら裁判所で戦える。この判決は、私たち国民が行政(ぎょうせい)に対して声を上げるための「勇気の種」をまいてくれたんだね。
まとめ
* 憲法は「人間らしい生活」を約束しているけれど、具体的な金額を直接決めているわけではない。
* 基準を決めるのは国(厚生大臣)の仕事だけど、「あまりにもひどい内容」なら裁判所が止めることができる。
* 生活保護を受ける権利は、「その人だけの特別なもの」だから、他人には譲れないんだ。
「当たり前の生活」を守るための厳しいルール。今の私たちの生活が守られている裏側には、朝日さんのような人たちの必死の戦いがあったんだね。
条文補足:日本国憲法第二十八条
勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。