事件名:放火被告事件
裁判所:最高裁判所
判決日:昭和33年9月9日
関係法令:
・刑法
・自治体法
論点:
・責任主義
結論:
・記事本文参照
「燃えちゃうかもしれないけど、別にいいや…」は「わざと」になるの!? 心のルールを決めた判例【放火被告事件(未必の故意)】
読者のみなさん、こんにちは! 今日は1958年(昭和33年)9月9日に最高裁判所が出した、「どこまでが『わざと(故意)』といえるのか?」という、刑法の世界で一番といってもいいくらい有名なルールを決めた裁判を紹介するよ。
「絶対に燃やしてやる!」と思っていなくても、「もしかしたら燃えるかも。でも、まあいいや」と思って火をつけた場合、それは「わざと(放火罪)」になるのかな? それとも「うっかり(失火罪)」なのかな? 裁判所がのぞいた「犯人の心の中」の基準を見てみよう!
【ストーリー】「燃えるかも…でもいいや!」 vs 「『わざと』じゃありません!」
「私は確かに、あの家の近くで火を使いました。でも、家を全部燃やしてやろうなんて、これっぽっちも思っていなかったんです。だから、これは『わざと』ではありません!」
「いいえ、Aさん。あなたは火をつけたとき、『風が強いから、この火があの家に燃え移るかもしれないな』って少しは考えましたよね? それなのに、『燃え移ってもかまわない、別にいいや』と思ってそのままにした。それは立派な『わざと(故意)』です!」
「『わざと』っていうのは、『燃やしてやる!』という強い気持ち(意欲)があるときだけじゃないんですか? 『もしかしたら…』って思っただけで『わざと』にされたら、怖くて何もできませんよ!」
「裁判官さん! 結果が起きるかもしれないと分かっていて、それを『いいや』と受け入れたのなら、それはもう『わざと』と同じなんです!」
【解説】裁判所でのバトル:登場!「未必の故意」と「認容の魔法」
今回のバトルのポイントは、「わざと(故意)」のストライクゾーンはどこまで広いのか、ということなんだ。
1. 「故意(わざと)」の基本: 普通は「こうしてやるぞ!」と決めてやることを「確定的な故意」というよ。
2. 魔法の言葉「未必の故意(みびつのこい)」: 裁判所は、もっと広い意味での「わざと」を認めたんだ。それが「未必の故意」。「結果が起こるかもしれない(認識)」と思っていて、なおかつ「もし起こっても、それはそれで仕方ない(認容)」と心のなかで受け入れていた場合も、「わざと」のグループに入れていいと判断したんだ。
3. 「うっかり」との境い目: もし、「絶対に燃えないはずだ!」と信じていたのなら、それは「うっかり(過失)」になるよ。でも、「燃えるかも…でもいいや」と思ったのなら、それはもう「悪いこと」の仲間入りなんだね。
【判決】「燃えてもかまわない」と思っていたなら、それは「わざと」です!
最高裁判所(昭和33年9月9日)は、次のような答えを出しました。
1. 「認容(にんよう)」があれば「わざと」になる! 犯罪の結果が発生するかもしれないと認識し、かつ、それが「発生してもかまわない」と受け入れて(認容して)いた場合には、「故意(わざと)」が認められます。
2. 放火罪が成立する! 今回のケースでも、Aさんの心の中に「燃えてもいいや」という認容があったと判断されたため、ただの不注意ではなく、重い「放火罪」として裁かれることになりました。
【判決の核心】
「故意とは、客観的構成要件に該当する事実についての認識……と、該当事実の発生、特に結果の発生についての意欲あるいは認容です。……『かもしれない』と不確定な認識にとどまっているが、それでも『かまわない』などと認容しているときを、未必の故意といいます(参照:最判昭33・9・9刑集12巻13号2882頁 ※テキスト774頁 脚注24より抜粋)」
まとめ:判決の後、日本はどう変わったの?
この昭和33年の決断は、日本の刑事裁判の「常識」をビシッと決めたよ!
– 「わざと」の基準がハッキリした! 「本気で狙ったわけじゃない」という言い逃れが通用しなくなったんだ。危険なことをして「結果が起きてもいいや」と思っていたら、それは「わざとやったのと同じ」という厳しいルールが、日本中の裁判で使われるようになったよ。
– 危険な行動への警告になった 「バレなきゃいいや」「どうなってもいいや」という無責任な態度で他人の命や財産を危険にさらす行為は、法律で厳しく罰せられることが改めて示されたんだね。
– 警察や検察の捜査のポイントが決まった 犯人が「心の中で何を考えていたか」を調べるとき、「結果を予想していたか(認識)」と「それをどう思っていたか(認容)」という2つのポイントをしっかり調べる今のやり方が定着したんだ。
最後に
「結果を予想して、それを受け入れたなら、それはもう『わざと』なんだよ」。この1958年の決断は、私たちが自分の行動がもたらす結果に、最後までしっかり責任をもたなければならないことを教えてくれているんだね!