この人物が政治をしていた時期のイベントについて説明します。
- 父と兄が急死し、19歳で巨大な勢力を引き継いだ「若き二代目」の苦労
- 曹操の「80万」の大軍を前に、机を斬って抗戦を決めた「決死の覚悟」
- 「赤壁の戦い」で火攻めを成功させ、天下を三つに分けた歴史的大逆転劇
今からおよそ1800年前、古代中国の「呉(ご)」という国で活躍したリーダーです。父・孫堅(そんけん)と兄・孫策(そんさく)という最強の武闘派親子から広大な地盤を引き継ぎ、わずか「19歳」で江東(こうとう)地方の主となりました。北の巨大なライバル・曹操(そうそう)を歴史的な決戦で打ち破り、中国が3つの国に分かれる「三国時代」を確定させた、守備と経営の天才プロデューサーです。
登場する地方や国について

父と兄の遺産を継承!19歳で「江東の主」になる
まずは、まだ十代だった孫権が、どのようにして巨大な組織のリーダーになったのかを見ていきましょう。
今からおよそ1800年前、中国が乱世に突き進んでいた頃のお話です。孫権は、最強の武勇を誇った父と兄を相次いで亡くし、わずか「19歳」という若さで、中国の南東部を支配するリーダーの座を継ぐことになりました。周囲には経験豊富なベテランの家臣たちが大勢いましたが、孫権は彼らの意見をうまく聞き入れながら、組織をひとつにまとめていきました。
これは例えば、「カリスマ創業者(父)と、天才的な二代目社長(兄)が急死してしまった大企業の、19歳の三代目」が、海千山千の役員たちを味方につけて会社を立て直そうとしているような状態です。現代で言えば、まさに「崖っぷちの若き社長就任」といったところです。
なかなかプレッシャーのかかる二代目スタートですが、孫権は持ち前の冷静な判断力で、着実に地盤を固めていきました。
降伏か、それとも抗戦か?机の角を斬って決意表明
それを踏まえた上で、孫権は人生最大の危機、最強のライバル曹操からの「究極の二択」を突きつけられることになります。
北の超大国を率いる曹操が、圧倒的な軍勢で攻めてきたときのお話です。呉の家臣たちの多くは恐怖し、降伏を勧めましたが、孫権は最後まで戦うことを選びました。彼は腰の剣を抜き、目の前の机の角を豪快に斬り飛ばして、「これ以上降伏を口にする者は、この机と同じになるぞ!」と言い放ち、抗戦の決意を固めたのです。
これは例えば、業界を支配する「超巨大企業による敵対的買収」が仕掛けられ、社内の役員たちが「もう勝ち目はないから吸収合併されましょう」と弱気になっている中、若き社長が「俺は絶対にこの会社を売らない!」と机を叩いて社員を鼓舞したようなものです。現代で言えば、まさに「社運をかけた大勝負の決断」ですね。
なかなかにシびれる決断ですが、こうして孫権は劉備(りゅうび)と同盟を組み、世界史に残る大決戦「赤壁の戦い」へと突き進んでいくことになりました。
「赤壁の戦い」で大逆転!火計で曹操の野望を焼き払う
この理想を掲げた上で、孫権は軍師・周瑜とともに、曹操の巨大な船団を迎え撃つための大作戦を実行に移します。
圧倒的な兵力差を覆すため、孫権・劉備連合軍のうち、周瑜が率いる呉軍は「火計(かけい)」を採用しました。呉の武将・黄蓋(こうがい)が降伏を装い、火を仕込んだ船で曹操の船団へ接近。長江の上で鎖につながれていた船団へ火船が突っ込むと、炎が猛烈な勢いで燃え広がり、曹操軍は大混乱に陥って敗走しました。これが歴史的な「赤壁(せきへき)の戦い」です。
この勝利には、劉備の軍師・諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)も協力しています。孔明は戦いに先立って孫権のもとへ赴き、曹操に対抗する「孫権・劉備同盟」の成立に大きく貢献しました。ただし、史書の『三国志』では、火計を提案して実行した中心人物は黄蓋と周瑜です。孔明が祈りによって東南の風を呼び、火計を助けたという有名な場面は、後世の小説『三国志演義』で描かれた物語です。つまり孔明は、勝利の前提となる同盟づくりで重要な役割を果たしましたが、火計そのものの立案者だったとまでは史実から確認できません。
これは例えば、「弱小野球チーム」が、最強の王者に挑む際、相手の慢心や天候の変化を読み切り、九回裏に「逆転満塁ホームラン」を叩き込んだような劇的な展開です。現代で言えば、まさに「戦略によるジャイアント・キリング」そのものですね。

なかなかの大逆転劇ですが、この勝利によって曹操の天下統一は阻止され、中国は魏・呉・蜀の3つの勢力が並び立つ時代へと向かいます。
ついに「呉」の皇帝へ!三国時代の均衡を保つプロ
それを踏まえた上で、赤壁の戦いで曹操の野望を打ち砕いた孫権は、いよいよ自分たちの国を正式なものにするステップへと進みます。
220年に後漢が滅び、曹丕(そうひ)が「魏」を建てると、中国は三国時代へ入っていきました。翌221年には劉備が「蜀漢」の皇帝を名乗り、孫権も229年に皇帝へ即位して、長江の下流域を拠点とする自らの勢力を「呉」という正式な国家として確立させました。彼は、北の魏や西の蜀と絶妙な距離感を保ちながら、一度もその支配を許すことなく国を守り抜いたのです。
これは例えば、業界を独占しようとする「超巨大企業(魏)」に対抗して、志の同じ「ベンチャー企業(蜀)」と手を組みつつ、自分たちの「専門領域(長江流域)」で独自のブランドを築き上げたようなものです。現代で言えば、まさに「ニッチな強みを活かして大手と渡り合う経営戦略」といったところですね。
なかなかしぶとい戦略家ですが、孫権は豊かな生産力を持つ長江流域を開発し、のちにこの地域が中国経済の中心地として発展していくための「土台」をしっかりと築き上げました。
総括
結果:孫権は、父や兄が築いた江東の地盤を継承し、「赤壁の戦い」という絶体絶命の危機を乗り越えて呉を建国しました。彼の冷静な判断と決断力によって、圧倒的な力を誇った曹操の南下を阻止し、「三国鼎立(さんごくていりつ)」というパワーバランスを完成させることに成功しました。当初の「父や兄の遺産を守り抜く」という目的は、皇帝に即位して国を安定させるという形で、100%達成されたといえます。
一方:あまりにも「守り」に徹しすぎたためか、魏や蜀のように積極的に天下を統一しようという勢いには欠ける部分もありました。また、晩年には後継者選びをめぐって家臣たちが対立するなどの混乱も生じ、孫権が去った後の呉は、少しずつ衰退の道をたどることになってしまいます。安定した守備を誇った名リーダーも、「次世代へのバトンタッチ」という難題には頭を悩ませることになったのです。
- 三国鼎立の確定:赤壁の戦いで曹操を破り、魏・呉・蜀が並び立つ「三国時代」の枠組みを決定づけた。
- 長江流域の開発:北方に比べて開発が遅れていた南方の生産力を高め、のちの中国経済の「中心地」としての基礎を作った。
- 二代目の鏡:カリスマ的な父や兄の死というプレッシャーをはねのけ、組織をまとめ上げた「守成のリーダー」のモデルとなった。
理解度確認テスト
Q1. 孫権が劉備と連合して、曹操の率いる大軍を長江のほとりで破った歴史的な戦いを何といいますか?
A. 赤壁の戦い
Q2. 孫権が建国し、中国の南東部から長江流域にかけて支配を広げた国の名前は何ですか?
A. 呉
Q3. 孫権の兄の代からの親友であり、赤壁の戦いで呉の軍隊を実質的に指揮した天才軍師は誰ですか?
A. 周瑜
孫権が守り抜いた呉の繁栄も、三国時代の終わりとともに次の時代へと飲み込まれていきます。この後、司馬炎(しばえん)が魏を乗っ取って「晋」を建て、再び中国を一つにまとめていく様子がどのように描かれるのか……それはまた別のお話で。
以上、【三国時代・孫権】そんけんな態度は崩さない!赤壁で守り抜いた江東のプライドでした。
用語対応表
- 呉 → 孫権が中国の南東部に建てた国。長江の豊かな生産力を背景に成長した。
- 赤壁の戦い → 孫権・劉備連合軍が曹操を破った戦い。三国時代の「天下分け目」の決戦。
- 三国時代 → 魏・呉・蜀の3つの勢力が争った時代。後漢滅亡から晋の統一までを指す。
- 周瑜 → 孫権を支えた呉の最高司令官。赤壁の戦いで火計を成功させた立役者。
- 長江 → 中国南部を流れる大河。呉の防衛と経済を支えた「命の川」。