村上天皇(むらかみてんのう)が政治をしていた時期のイベントについて説明します。「秘書(摂政・関白)を置かない、社長一人でのガチ経営」のラストを飾り、自社のオリジナルポイント(貨幣)を作ったものの、大失敗してしまった時のお話です。
村上天皇はどんな人?
今からおよそ1100年前、平安時代の中期に日本のリーダーをしていた人物です。お父さんの醍醐天皇と同じく、実力者の藤原氏に頼らず自ら指揮を執る「親政(しんせい)」を行いました。彼の政治は「天暦の治(てんりゃくのち)」と呼ばれ、お父さんの時代と合わせて「延喜・天暦の治」として、後の天皇たちが「あの頃の経営スタイルが最高だったよね……」と憧れる理想のブランドとなりました。
登場する地方や国について
どのくらいの時代?
1. お父さんの背中を追う「ワンマン経営」の継承
村上天皇は、リーダーに就任してまずこう考えました。
兄貴(朱雀天皇)の代までは藤原忠平さんが仕切ってたけど、これからはお父さん(醍醐天皇)みたいに、俺一人で会社(国)を回していくぞ! 摂政も関白もいらねえ! 社長の俺が全部決めるのが、この会社の本来の姿なんだ!
史実の補足:村上天皇が946年に即位した当初は、藤原忠平が引き続き関白を務めていました。949年に忠平が亡くなった後、摂政・関白を置かずに進めた政治が、一般に「天暦の治」と呼ばれます。
村上天皇の治世、とくに949年に藤原忠平が亡くなった後の親政を指す呼び名です。父・醍醐天皇の「延喜の治」と合わせて「延喜・天暦の治」と称され、後世には天皇中心の理想的な政治として受け止められました。ただし、実際の政務では藤原実頼や藤原師輔ら有力貴族も重要な役割を担っていました。
彼は、強力なサポート役をあえて置かない「親政」のスタイルを復活させました。
これは例えば、「やり手のベテラン専務(藤原氏)に頼り切っていた経営をリセットし、社長が自ら現場に出てすべての会議を仕切り、ハンコも全部自分で押す」ような、気合の入った直轄経営です。

さすが村上社長! 毎日バリバリ働いてますね。これぞ理想のリーダーシップだ!
なかなか順調なスタートですが、彼はさらに自社の「独自経済」を強化しようと考えました。
2. 質より量!? 「自社ポイント」のリリース
それを踏まえた上で、村上天皇はさらにこう言いました。
自社オリジナルの通貨(貨幣)もこれで最後にするぞ! 名前は『乾元大宝(けんげんたいほう)』だ! これを流通させて、経済を俺の思い通りに動かしてやるぜ!
彼は、それまで続いていた日本独自の貨幣シリーズ「本朝十二銭」のラストを飾るお金を発行しました。
本朝十二銭は、708年の「和同開珎の鋳造」から始まり、乾元大宝まで約250年にわたって発行された朝廷の銭貨です。
これは、「会社の100周年記念として、社長が肝煎りで『オリジナル社内通貨』を大増刷して配り、社員のモチベーションを上げようとする」ようなアクションです。
社長、新しいお金ですよ! ……でも、なんかこれ、前のよりペラペラで安っぽくないですか?
質より量だよ! どんどん刷って配れ!
しかし、この決断が裏目に出ます。
3. 信用ガタ落ちで「他社のクーポン」へ逃亡
この理想を掲げた上で、村上天皇の「自社ポイント作戦」は悲惨な結末を迎えます。
なんだよこのお札(コイン)、すぐボロボロになるし価値も低そうじゃねえか。こんなの使うより、お隣の国(中国)から回ってきた『海外ブランドの銅銭』の方がよっぽど信用できるわ!
彼が作った「乾元大宝」は、あまりに質が低かったため、世の中には全く普及しませんでした。
これは、「自信満々で発行した自社ポイントが、あまりに使い勝手が悪くて誰にも使われず、結局みんなライバル社の楽天ポイントやAmazonギフト券(中国の貨幣)を勝手に使い始めた」というような、屈辱的な状態です。
ええい、もういい! 自社通貨作りはこれでおしまいだ! これからは中国のお金をそのまま輸入して使おうぜ……
こうして、日本政府が公に貨幣を発行することは、この後、豊臣秀吉の時代まで数百年も途絶えることになったのです。

708年の和同開珎から始まる「本朝十二銭」の最後として、958年に村上天皇のもとで発行された銭貨です。当時は銭貨への信用が低下しており、乾元大宝を最後に朝廷は新しい銅銭を発行しなくなりました。その後、12世紀半ば以降に中国から宋銭などが大量に流入すると、日本でも銭貨の使用が再び広がります。日本の公的な貨幣鋳造が本格的に再開するまでには、戦国時代末から近世を待つことになりました。
4. 社長が去った後の「秘書チーム」の大逆襲
この理想を掲げた上で、村上天皇が亡くなると、状況は一変します。
村上社長、お疲れ様でした。社長が一人で頑張るスタイルはもう限界っしょ。これからはまた俺たち藤原氏が『摂政・関白』として、しっかり会社を管理させてもらいますよ。もう二度と、社長(天皇)に勝手なことはさせませんからね。
村上天皇が亡くなった途端、待機していた藤原氏が即座に実権を取り戻し、二度と「親政」ができないように体制を固めてしまいました。
これは、「ワンマン社長が引退した直後に、抑圧されていた役員たちが『これからは合議制(独裁)だ!』と言って、次の若い社長の周りをガチガチに固めて、何もさせないようにした」ような、冷徹なクーデターです。

これにて『他氏排斥』も完了。もうライバルは一人もいませんよ(ニヤリ)。
これが後の、藤原氏がやりたい放題する「摂関政治」の黄金時代の幕開けとなりました。この最終的な権力固めこそが、969年の「安和の変」です。
969年、村上天皇の死後、左大臣・源高明が謀反の疑いをかけられて大宰府へ左遷された事件。この事件を主導したのは藤原実頼ら藤原北家であり、これにより源氏をはじめとする有力な皇族・貴族が政界から一掃された。安和の変を最後に、藤原氏に対抗しうる勢力は事実上消滅し、以後の摂政・関白はほぼ常時設置される体制が確立された。村上天皇の親政によって一時的に抑えられていた摂関政治は、この事件を経て完全に復活・定着することになった。
総括
結果:村上天皇は、お父さんの醍醐天皇とともに「天皇中心の理想の経営(延喜・天暦の治)」を完成させ、後世のリーダーたちに語り継がれる伝説のブランドを築き上げました。
一方:経済面では「自社コイン(乾元大宝)」の大失敗により、日本が自前でお金を発行する能力を完全に失わせてしまいました。また、彼の死とともに「社長一人での経営」も終了し、藤原氏による最強の「秘書独裁(摂関政治)」が完成するという、皮肉な未来を招いてしまったのです。
用語対応表
- 親政:天皇自らが政治を行うこと
- 摂政・関白:天皇をサポートする最高役職
- 延喜・天暦の治:理想の政治の呼び名
- 本朝十二銭:国産貨幣の総称
- 乾元大宝:村上天皇が作ったダメなコイン
- 藤原実頼(さねより):村上天皇の後に実権を握った人物
- 他氏排斥(たしはいせき):他の一族を政治から追い出すこと
まとめ:村上天皇の時代の意義
理解度確認テスト
Q1. 949年に藤原忠平が亡くなった後、村上天皇が摂政・関白を置かずに進め、父の政治と並んで後世に理想視された治世を何といいますか?
A. 天暦の治
Q2. 958年に発行され、本朝十二銭の最後となり、その後に朝廷の新たな銅銭発行が途絶える節目となった貨幣を何といいますか?
A. 乾元大宝
Q3. 969年、左大臣が謀反の疑いで大宰府へ左遷され、藤原北家に対抗する勢力が弱まる転機となった事件を何といいますか?
A. 安和の変
最後に、この「ぼっち経営」の終わりを境に、藤原道長のような最強の権力者が登場することになりますが、それはまた別のお話。