歴史・社会の疑問 読了 11分

【中国時代・劉備】隆々と備える三国志!

この人物が政治をしていた時期のイベントについて説明します。

★ この記事でわかること

  • どん底のわらじ売りがどうやって皇帝まで上り詰めたのか
  • 有名な「三顧の礼」でどんな最強の仲間を手に入れたのか
  • 絶体絶命のピンチをひっくり返した「赤壁の戦い」のドラマ

劉備はどんな人?

今からおよそ1800年前、後漢の末期から三国時代にかけての中国で、「蜀(しょく)」という国を建てた初代皇帝です。彼は、むしろ「わらじ売り」をしていたほどのどん底から這い上がり、持ち前の「人間力」で最強の仲間たちを惹きつけ、およそ「1800年」経った今でも世界中で語り継がれる三国志のヒーローとなりました。劉備は、崩壊しかけた漢王朝を救うという理想を掲げ、知略と武勇を駆使して最強のライバルたちと天下を争った「仁義の君主」です。

登場する地方や国について


三国時代の勢力図(250年頃)
250年頃の魏・蜀・呉と周辺地域を示した中国勢力図

今回の舞台は、広大な中国全土です。特に劉備が最終的に本拠地とした「四川盆地(蜀)」の険しい山々に囲まれた土地や、巨大な長江を舞台にした決戦の地などが、彼の波乱万丈な物語の中心となります。

ユニット1:むしろ「わらじ売り」? どん底から這い上がる「漢」の末裔

劉備
「俺の家系をたどれば、あの漢王朝の皇帝に行き着くんだよな。今は貧しくて「わらじ売り」で生計を立ててるけど、このままじゃ終わらねえ。乱れた世の中を救うために、俺と一緒に戦ってくれる熱い仲間を募集するぞ!」

劉備は、かつての黄金時代を築いた漢王朝の血を引く一族でしたが、子供の頃は生活が苦しく、むしろ「わらじ」「むしろ」を売って細々と暮らしていました。しかし、政治が乱れて苦しむ人々を救いたいという高い志を持ち、関羽や張飛といった豪傑たちと義兄弟の契りを結び、「義勇軍」を立ち上げたのです。

用語桃園の誓いとうえんのちかい

小説『三国志演義』では、184年の黄巾の乱を前に、劉備・関羽・張飛の三人が桃の花の咲く園で義兄弟となり、「生まれた日は違っても、死ぬときは同じ日を願う」と誓ったと描かれます。これが「桃園の誓い」で、三人の強い結びつきを表す有名な場面です。

ただし、歴史書『三国志』には、三人が桃園でこの儀式をしたという記録はありません。一方で、劉備が関羽・張飛と同じ寝台で眠るほど兄弟同然に親しかったことは記されており、三人の深い信頼関係そのものには史実上の裏付けがあります。

これは例えば、家系図をたどれば「すごい名門の家」の出身だけど、今はアルバイトで食いつないでいる青年が、「今のブラックな社会を変えてやる!」と立ち上がり、意気投合した親友たちと一緒に「ベンチャー企業」を立ち上げるような感じです。実績もお金もないけれど、リーダーの「人間的な魅力」だけで、すごい才能が集まってしまったわけですね。

諸葛亮
「ふーん、わらじ売りからスタートして天下を狙うなんて、なかなか面白い人ですね。でも、情熱だけで勝てるほど甘い世の中じゃないですよ?」
劉備
「だからこそ、お前みたいな「天才」が必要なんだよな。俺のチームには、足りないピースがまだあるんだ」

なかなか強気なスカウト姿勢ですが、劉備はこの不足しているピースを埋めるために、さらにこう考えました。

ユニット2:最強の仲間を「三顧の礼」でゲット! 天才軍師・諸葛亮のスカウト作戦

前のステップで熱い仲間を手に入れた劉備ですが、巨大なライバルたちに勝つには、頭脳となる「作戦のプロ」が必要だと確信しました。

劉備
「あの山奥に、とんでもない「天才軍師」が引きこもってるらしいじゃねえか。一度や二度断られたくらいで諦めるかよ。俺の誠意を見せるために、三度でも四度でも足を運んで、絶対に仲間に引き入れてやるぞ!」

劉備は、当時まだ無名でしたが「伏龍(ふくりゅう)」と恐れられていた天才、諸葛亮(孔明)を仲間にするため、彼の家を3回も訪ねました。これを「三顧(さんこ)の礼」といいます。自分よりずっと年下の若者に対しても、礼儀を尽くして頭を下げる劉備の姿に、ついに諸葛亮も心を動かされ、彼の軍師になることを決意したのです。

これは例えば、バリバリのベテラン社長が、どうしても欲しい「天才プログラマー」の学生の自宅まで、何度も何度も通い詰めて、「君の力が必要なんだ!」と頭を下げ続けるようなものです。プライドを捨てて「誠意」を見せたことで、お金や権力では動かないような最強の頭脳をゲットすることに成功したわけですね。

諸葛亮
「まさか、いい歳したリーダーが3回も私のボロ家に来るなんて……。あなたの「仁徳」、本物みたいですね。よし、私の知恵であなたを皇帝にしてあげましょう」
劉備
「最高だ! 諸葛亮がいれば、もう怖いもん無しだな。これから大逆転を始めるぞ!」

なかなかドラマチックな出会いですが、この最強のコンビが誕生したことで、物語は一気に加速しました。諸葛亮の知略を手に入れた上で、劉備はさらにこう考えました。

ユニット3:火の海で逆転勝利! 赤壁の戦いで圧倒的な曹操をストップ

前のステップで最強の軍師を得た劉備の前に、最大のライバルである曹操が、数十万という「圧倒的な大軍」を率いて攻めてきました。

劉備
「曹操の軍勢はケタ違いに多いじゃねえか。でも、数が多いってことは「弱点」もデカいってことだよな。孫権とタッグを組んで、知恵を絞りまくって、このピンチをチャンスに変えてやるぞ!」

劉備は諸葛亮の提案を受け、呉の孫権と同盟を組みました。そして、208年に起きた「赤壁(せきへき)の戦い」で、風の向きを読み、敵の船団を鎖でつなぎ合わせた油断を突いて、一気に「火計(かけい)」を仕掛けたのです。この歴史的な大勝利によって、曹操の中国統一を阻止し、劉備は自分の国を持つための足掛かりを掴みました。

用語赤壁の戦いせきへきのたたかい

208年、長江の赤壁で行われた、劉備・孫権の連合軍と曹操軍の決戦。圧倒的な数的不利を覆し、火攻めで曹操軍を破ったことで、三国鼎立の基礎がつくられました。

これは例えば、圧倒的なシェアを持つ「超巨大企業」が市場を独占しようとしているときに、2つの「中小企業」が手を組み、誰も思いつかなかったような「斬新なアイデア」で大逆転し、業界を3つの勢力に分けてしまったような感じです。一つの巨大な力に飲み込まれそうだった世界が、劉備の粘り強さによって、初めてバランスを保つようになったのです。

FIG-01
FIG-01
諸葛亮
「計算通り、曹操軍は火だるまですね。これでようやく、我々も「自分の国」を持てるスタートラインに立てましたよ」

なかなか衝撃的な勝ちっぷりですが、赤壁で曹操を追い払った上で、劉備はいよいよ自らの国をつくる最終段階へと進みました。

ユニット4:ついに建国! 四川盆地で「蜀」の皇帝にのぼりつめる

前のステップでの勝利を背景に、劉備はついに自分の拠点を現在の「四川盆地(しせんぼんち)」に定め、さらにこう考えました。

劉備
「よし、ようやく四川の険しい山に囲まれた安全な土地を手に入れたぞ。でも、220年にライバルの曹操の息子が漢の皇帝を無理やり退位させて、勝手に新しい国(魏)をつくりやがったんだよな。漢王朝の血を引く俺が黙って見てられるかよ。221年、俺が正式な後継者として皇帝になって、国を「蜀(しょく)」と名乗るぞ! これで魏・呉・蜀の3つが並び立つ、「三国鼎立(さんごくていりつ)」の完成だ!」

「220年」に曹操の息子の曹丕(そうひ)が漢を滅ぼしたことで、歴史的なイベントである「三国時代」が本格的に幕を開けました。劉備はこれに対抗し、221年に四川の成都(せいと)で皇帝に即位しました。彼は、滅んだ漢王朝の正統なスピリットを受け継ぐ国として「蜀」を建国し、魏・呉という強力なライバルたちと肩を並べるポジションを確立したのです。この結果、中国は3つの勢力が絶妙なバランスで睨み合う、極めてスリリングなパワーゲームの時代に突入しました。

用語三国時代さんごくじだい

220年の後漢の滅亡後、中国が「魏(ぎ)」「蜀(しょく)」「呉(ご)」の3つの国に分かれて争った時代。劉備は「蜀」を建国しました。
用語しょく

221年、劉備が四川盆地を拠点に建国した国。正式名称は「漢」ですが、地域名をとって「蜀」や「蜀漢」と呼ばれます。

これは例えば、長く続いた「老舗の看板メニュー」が、あるチェーン店(魏)に乗っ取られて消滅してしまったとき、その老舗の味を知る正統な修行生(劉備)が、「本物の味はここにあるぞ!」と宣言して、別の場所で「暖簾(のれん)分けの店」をオープンさせるような感じです。周囲のファン(民衆)も、「あの老舗の魂が残った!」と喜んで応援してくれるわけですね。

諸葛亮
「ようやく拠点が安定しましたね。魏・呉・蜀が三角形を描いてバランスをとる「三国鼎立」。私の計算通り、これでどの国も簡単には手出しできなくなりましたよ」

なかなか理想に燃えた建国劇ではありますが、劉備はこの理想を掲げた上で、さらにこう考えました。

ユニット5:義兄弟の仇を討て! 無念の敗北と次代へ託した「不倒」の精神

前のステップで理想の国をつくった劉備ですが、物語は悲劇的な結末へと向かいます。

劉備
「嘘だろ……。俺の右腕だった義兄弟の「関羽(かんう)」が、呉の裏切りにあって殺されただと!? 許さねえぞ、孫権! 諸葛亮が止めたって無駄だ。俺は今すぐ全軍を率いて、復讐の「弔い合戦」を仕掛けてやる!」

劉備は、長年苦楽を共にした関羽と張飛を相次いで失い、怒りに任せて呉への大規模な攻撃を開始しました。しかし、冷静さを欠いた作戦は呉の若き名将・陸遜(りくそん)の火攻めによって粉砕され、蜀の軍勢は壊滅的な大敗を喫してしまいました。失意の中、病に倒れた劉備は、223年に白帝城(はくていじょう)という場所で、すべてを諸葛亮に託してその波乱の生涯を閉じました。彼の「最後まで諦めない」という執念と、仲間との絆を重んじる精神は、残された蜀の国に深く刻み込まれることになったのです。

これは例えば、チームを引っ張ってきた「ベテランのキャプテン」が、親友の怪我にブチ切れて冷静さを失い、無茶なプレーを連発して自滅してしまったような感じです。大事な仲間を失った悲しみはわかりますが、リーダーとしての「冷静な判断」よりも情を優先してしまった結果、積み上げてきたものを一気に失うリスクを背負ってしまったわけですね。

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諸葛亮
「王様……情に厚いのはあなたの最大の魅力ですが、今回ばかりは最大の弱点になってしまいました。でも安心してください。あなたの意志は、私が必ず引き継いでみせます」
劉備
「すまねえ、孔明……。あとはお前に任せた。……ああ、関羽、張飛、そっちでもまた一緒に酒を飲もうぜ……」

なかなかドン引きな敗北ではありますが、この最後まで貫いた「人間味」こそが、劉備を史上最高の英雄たらしめている理由なのかもしれません。

総括

結果:劉備は、わらじ売りというどん底から、持ち前の「人間力」だけで最強の軍師と豪傑を集め、ついに四川の地に蜀を建国するという、とんでもないジャパニーズ・ドリームならぬチャイニーズ・ドリームを成し遂げました。彼の狙いだった「漢王朝の復活」は、完全な形では実現しませんでしたが、魏と呉に割って入る「三国鼎立」を完成させ、蜀を1800年以上愛される特別な国にすることに成功しました。当初の一浪人の悩みは、歴史を動かす巨大な国家の意志へと昇華されたのです。

一方:あまりに情や絆を重んじる性格だったため、晩年には義兄弟の死への復讐に走り、国の貴重な兵力と有能な人材を大量に失ってしまうという、取り返しのつかない「痛恨のミス」を犯してしまいました。理想を追い求めるあまり、現実の冷徹な政治判断がおろそかになってしまったという負の側面もあります。平等を説きながらも身内への情を捨てられなかった劉備の姿は、リーダーとしての理想と現実の難しさを後世に突きつけています。

まとめ

  • 三顧の礼と最強のスカウト:自分を低くしてでも誠意を尽くすことで、天才軍師・諸葛亮を仲間にし、組織の脳を手に入れた。
  • 三国鼎立の完成:赤壁の戦いの勝利後、221年に「蜀」を建国し、強力な2大勢力に割って入る独自のポジションを確立した。
  • 仁義のリーダーシップ:身分に関係なく人を惹きつける人間力で、失敗しても何度でも立ち上がる「不倒」の精神を後世に遺した。

理解度確認テスト

Q1. 劉備が、自分よりもはるかに年下の若き天才軍師・諸葛亮を仲間にするために、三度も彼の家を訪ねて礼を尽くしたという、有名なエピソードを何といいますか?


A. 三顧の礼

Q2. 208年、劉備・孫権の連合軍が、圧倒的な国力を誇る曹操の軍を火攻めで打ち破り、三国鼎立のきっかけとなった歴史的な決戦を何といいますか?


A. 赤壁の戦い

Q3. 221年に劉備が現在の四川盆地を拠点に建国し、滅びた漢王朝の正統な精神を受け継ぐと宣言した国の名前を何といいますか?


A. 蜀(または蜀漢)

劉備が命がけで遺したこの「蜀」という看板は、このあと、彼の遺志を継いだ天才軍師によって引き継がれ、強大な魏へと果敢に立ち向かう、さらに熱いドラマへと進んでいくことになります。

この出来事が今後どう評価されるかは、まだ分かりません。以上、劉備が「りゅう、び(隆、備)」、隆々と備える三国志!でした。

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