※「フビライ」と、世界一を意味する「首位(トップ)」をかけ、モンゴル帝国のリーダー(ハン)になり、史上最大の巨大帝国をつくり上げたことを表しています。
この人物が政治をしていた時期のイベントについて説明します。モンゴル帝国のハンの座をめぐる身内の争いに勝ち抜き、中国風の「元(げん)」という新しい国をつくって、世界一リッチでオシャレな帝国をプロデュースしたカリスマリーダーの物語をお話しします。
- モンゴルの伝統よりも中国支配を重視した、1271年の「元の建国」の狙い
- ライバルの南宋を倒して手に入れた莫大な富と、世界中のモノが集まる国際都市「大都」の凄さ
- 紙のお金「交鈔(こうしょう)」が生んだ、当時の常識を超える「爆速のビジネス経済」
今からおよそ750年前(13世紀)、モンゴル帝国の第5代皇帝(ハン)として君臨した人物です。中国全土を初めて完全に支配し、モンゴルの支配エリアを人類「史上最大」の規模にまで広げ、世界中から商人がやってくるグローバルなブランド帝国を完成させた、まさにモンゴル全盛期の主役です。
登場する地方や国について

どのくらいの時代?
「モンゴル帝国の全盛期と『元の建国』の時代(1260年~1294年)」
ハンの座をかけた兄弟ゲンカ!「元」を建国して中国のリーダーへ
まずは、フビライがモンゴル帝国のトップになるために、身内とどのようなバトルを繰り広げたのかを見ていきましょう。
今からおよそ750年前、フビライはモンゴル帝国の第5代皇帝(ハン)の座をめぐって、弟のアリクブケと激しい争いを始めました。フビライはモンゴル高原の伝統的なやり方よりも、豊かな中国を支配することに注目し、1260年に自らリーダー就任を宣言。その後、弟を降伏させて実力でトップの座を勝ち取りました。彼は都をモンゴル高原から現在の北京にあたる「大都(だいと)」に移し、世界を動かすための新しい拠点を整えたのです。
これは例えば、「創業者の孫たちが、会社の次期社長の座をめぐって派閥争いをしている」ような状態です。伝統的な職人気質を大事にする弟に対し、「これからは海外進出とブランド化だ!」と主張するお兄ちゃん(フビライ)が、自分を支持する社員を集めて新しいブランドを立ち上げ、本社もオシャレな都会に移転してしまったようなものですね。現代で言えば、まさに「地方の家族経営から、グローバル企業への脱皮」といった感じです。
なかなかに野心的なスタートではありますが、こうしてフビライは、伝統的な遊牧民のスタイルから、中国をベースにした巨大な帝国へと形を変え始めたのです。
【必須:1271年】さらば「南宋」!中国全土を完全にお掃除完了
それを踏まえた上で、中国の北側を手に入れたフビライは、いよいよ南側に残る巨大なライバルを倒しに向かいます。
フビライは、モンゴルの伝統的な統治よりも、豊かな中国を効率よく支配することを重視しました。その決断の形として、1271年に中国風の王朝名である「1271 / 元の建国」を正式に宣言したのです。これが原因となり、モンゴル帝国は中国を本拠地とする巨大国家へとリスタートしました。その結果、フビライは強大な軍事力と豊富な資金を手に入れ、1279年にはついに宿敵の「南宋」を完全に滅ぼすことに成功しました。この勝利による次への影響として、北方民族による「中国全土の直接支配」という、かつてのどの王朝も成し遂げられなかった歴史的な大仕事が完遂されたのです。
これは例えば、新ブランドを立ち上げた「急成長中のベンチャー企業(元)」が、長年業界のトップに君臨していた「老舗の大企業(南宋)」を、最新の戦略と圧倒的な資金力で完全に買収し、市場を「独占」してしまったようなものです。現代で言えば、まさに「業界全体の地図を塗り替える、史上最大級のM&A」といったところですね。

なかなかに冷徹な決断ではありますが、この勝利によって元は莫大な富を手に入れ、中国全土をひとつのブランドで塗りつぶす「史上空前の帝国」を完成させたのです。
「日本」に2度も攻め込んだ!? 天気運がなかった「元寇」の真実
中国全土を手に入れたフビライは、次に「海の向こう側」にある島国、日本にも自分の子分になるよう命令を出しました。
1274年と1281年の2回、フビライは日本を服属させるために巨大な艦隊を派遣しました。これを日本では「元寇(げんこう)」と呼びます。当時、日本を守っていた鎌倉幕府の武士たちは、元の集団戦法や火薬を使った武器に苦戦しましたが、結果的には2回とも「暴風雨(台風)」によって元の船の多くが沈んでしまいました。世界を震え上がらせた無敵の元軍も、天気の不運には勝てず、日本征服をあきらめることになったのです。
これは例えば、「クラス中の友達をみんな自分の言うことを聞かせるグループ」に入れたガキ大将が、隣の学校のリーダーにも 「俺のグループに入れよ」と凄んでみたようなものです。でも、いざ乗り込もうとしたら 「歴史的な大豪雨」で自転車がパンクしてしまい、結局あきらめて帰るしかなかった、という感じですね。現代で言えば、まさに 「完璧なビジネス買収計画が、まさかの自然災害で白紙になった」といったところです。

なかなか悔しそうなフビライですが、こうして拡大路線にひと段落ついた彼は、武力だけでなく「お金」と「貿易」の力で世界を動かすことに力を入れ始めます。
「交鈔」と「マルコ=ポーロ」!世界中からお宝が集まる国際都市
この理想を掲げた上で、フビライは広すぎる帝国でスムーズに商売ができるよう、当時の常識を覆す「発明品」を本格的に導入しました。
フビライは、紙のお金である「交鈔(こうしょう)」を本格的に流通させました。これにより、商人は大量のコインを運ぶ手間がなくなり、ビジネスのスピードが爆速になりました。また、都の「大都(北京)」には、イタリアのヴェネツィアから来た「マルコ=ポーロ」など、世界中から旅人や商人が集まりました。マルコ=ポーロは17年もフビライに仕え、帰国後に当時の元の豊かさを記した「『東方見聞録』」を発表。これがのちのヨーロッパの人々の冒険心を刺激することになります。
これは例えば、それまで 「重い小銭でお菓子を買っていた子どもたち」が、いきなり 「最新のキャッシュレス決済やクレジットカード」を手に入れて、一瞬で買い物を済ませられるようになったような劇的な変化です。現代で言えば、まさに 「グローバルな金融システムと、アマゾンのような巨大マーケットの完成」といった感じですね。
なかなかに派手なグローバル経営ですが、こうしてフビライは、力と富の両方で世界を支配する「史上最強の帝国」を完成させたのです。
総括
結果:フビライ=ハンは、モンゴル帝国のハンの座を勝ち取るだけでなく、中国の伝統とモンゴルの武力を融合させた「元」という新しいスタイルの帝国を完成させました。1271年の元の建国、そして1279年の南宋滅亡を経て、彼は中国全土を初めて完全に支配する北方民族のリーダーとなりました。日本への遠征は失敗したものの、「大都(北京)」を中心とした国際貿易や「交鈔」による金融システムの確立により、当初の狙いであった「世界一リッチな帝国の構築」は、ほぼ100%達成されたといえます。
一方:あまりにも豪華な宮廷生活や、チベット仏教への過度な信仰、さらに「交鈔」の使いすぎによって、元の経済は晩年から少しずつおかしくなり始めました。紙のお金を刷りすぎたことで価値が下がり(インフレ)、民衆の生活が苦しくなったことは、のちの元の滅亡につながる大きな弱点となりました。また、彼がつくった「モンゴル人第一主義」という格付け社会は、漢民族の間に不満を溜め込み、次の時代への大きな反動を生む火種となってしまったのです。
- 中国初の完全異民族支配:「元」という王朝を立て、北方民族として初めて中国全土をひとつのブランドで統一した。
- グローバル経済の先駆け:紙のお金「交鈔」を本格導入し、世界中からモノが集まる北京の基礎をつくった。
- 世界を繋いだ情報の架け橋:「マルコ=ポーロ」らを受け入れ、当時のアジアの凄さをヨーロッパに伝えて歴史の「ヨコ」を繋いだ。
理解度確認テスト
Q1. フビライが建設した、現在の北京のモデルとなった国際都市の名前は何ですか?
A. 大都(だいと)
Q2. 元の時代に本格的に使われた、重い銅銭に代わって経済をスムーズにした「紙のお金」のことを何といいますか?
A. 交鈔(こうしょう)
Q3. ベネチアから大都を訪れ、フビライに17年も仕え、当時の元の様子を『東方見聞録』という本で伝えた商人は誰ですか?
A. マルコ=ポーロ
フビライが「首位」として駆け抜けたモンゴル帝国の栄光は、このあと経済の混乱や民衆の反乱によって少しずつ揺らぎ始め、再び漢民族が主役となる「明」という新しい国へとバトンが渡されることになります。世界一のマーケットがこのあとどう変わっていくのか……それはまた別のお話で。
以上、【モンゴル時代・フビライ=ハン】フビライの「首位」!ライバルを倒して世界一のリーダーへでした。
用語対応表
- 元 → 1271年にフビライが定めたモンゴル帝国の中国風の王朝名。
- 大都 → フビライが建設した、現在の北京にあたる元の首都。
- 南宋 → 1279年に元によって滅ぼされた、中国南部の経済的に豊かな王朝。
- 元寇 → 1274年と1281年の2回にわたる、元による日本への遠征。
- 交鈔 → 元の時代に本格的に流通した、金属に代わる紙のお金(紙幣)。
- マルコ=ポーロ → フビライに仕えたヴェネツィアの商人で、『東方見聞録』の著者。