歴史・社会の疑問 読了 5分

【平安時代・桓武天皇】桓武(かんむ)りょう(感無量)!平安京へのお引越しと二大プロジェクト

平安時代の桓武天皇を紹介する記事のアイキャッチ画像

桓武天皇(かんむてんのう)が政治をしていた時期のイベントについて説明します。奈良のお寺や豪族のしがらみをリセットするために都を移し、東北への遠征と巨大な都づくりという「二大事業」に突き進んだ時のお話です。

★ この記事でわかること

  • 奈良の勢力から離れるために断行された、二段階の都の移転
  • 坂上田村麻呂を起用した東北・蝦夷への支配拡大
  • 民衆の限界を見て自ら中止を決断した「二大事業」と徳政の意義
  • 桓武天皇はどんな人?

    今からおよそ1200年前、奈良時代が終わりを告げ、平安時代の幕を開けたリーダーです。父の光仁天皇から「天智天皇系のブランド」を引き継ぎ、天皇による強いリーダーシップを取り戻そうと燃えていた人物です。「やる時はやる、引く時は引く」という決断力の持ち主で、日本の歴史を語る上で欠かせない「平安京」という巨大な遺産を残した天皇でもあります。

    どのくらいの時代?


    kanmu-tennoの時代的位置を示す縦型年表

    桓武天皇の時期に起きたこと

    1. しがらみリセットの「お引越し」大作戦

    桓武天皇は、リーダーに就任してまずこう考えました。

    桓武天皇

    今の都(平城京)は、昔からの豪族やお寺の勢力が強すぎて、俺のやりたいことが全然できないんだよな。もう横やりを入れられるのはウンザリだ。心機一転、誰もいない新しい場所へ本社(都)を移転するぞ!

    彼は、奈良の古い勢力から離れるために、新しい都の建設を決めました。

    これは例えば、「創業以来の古株役員や、口うるさい外部コンサル(僧侶)が居座る古い本社ビルを捨てて、社長が自分の理想を実現するために、全く新しい土地に最先端の自社ビルを建てる」ような感じです。

    平城京から長岡京・平安京への遷都

    桓武天皇が平城京を離れ、長岡京を経て平安京へ都を移す場面
    家臣

    えっ、お引越しですか!? でも長岡京(最初のお引越し先)は水害が多いし、建設責任者の藤原種継も暗殺されちゃいましたよ!
    桓武天皇

    ……チッ、不吉だな。よし、あそこは放棄だ! もっと北の『平安京』にターゲットを変更して、もう一回作り直すぞ!

    紆余曲折ありましたが、こうして794年に平安京への遷都が完了しました。

    用語長岡京遷都・平安京遷都ながおかきょうせんと・へいあんきょうせんと

    桓武天皇は784年、奈良の仏教勢力から距離を置くため都を長岡京へ移した。しかし造営責任者の藤原種継が暗殺される事件や度重なる水害など混乱が続いたため、794年に再び都を平安京へと移した。この平安京遷都によって、以後400年近く続く平安時代の幕が開くことになる。移転先を柔軟に見直しながらも都の建設を貫いた桓武天皇の決断力が、後世まで続く都の礎を築いた。

    2. 東北の「未開拓エリア」拡大プロジェクト

    都づくりと並行して、桓武天皇はもう一つの巨大な仕事に取り掛かりました。

    桓武天皇

    日本の東北地方には、まだ朝廷の命令を聞かない『蝦夷(えみし)』っていう連中がいるらしいな。国のパワーを全国に見せつけるためにも、あそこをしっかり支配下に置くぞ!

    彼は、東北の有力な部族長だった阿弖流為(アテルイ)を倒すため、大軍を送り込みました。

    これは例えば、「自社のシェアがまだ低い東北地方に、営業のスペシャリストを送り込んで、ライバル他社(蝦夷)を圧倒し、一気に市場(支配権)を拡大する」というアグレッシブな経営戦略です。

    桓武天皇

    田村麻呂(坂上田村麻呂)、お前を征夷大将軍に任命する。最強の部隊を連れて、ガツンとやってこい!
    坂上田村麻呂

    お任せください。阿弖流為を降伏させて、岩手の北までエリアを広げてみせますよ!

    このプロジェクトの成功により、朝廷の支配地域は一気に広がりました。

    坂上田村麻呂と阿弖流為の対峙

    東北の山野で坂上田村麻呂の軍勢と阿弖流為の部族が対峙する場面

    3. 現場の悲鳴で「プロジェクト強制終了」

    「都づくり」と「蝦夷征服」という二大事業をガンガン進めた桓武天皇でしたが、重大な問題に気づきます。

    役人

    天皇、もう限界です! 兵役と労働で農民たちがヘトヘトで、田んぼを作る暇もありません。このままだと税金も入ってこなくなって、会社(国)が倒産しちゃいますよ!

    莫大な費用と人手がかかる二大事業は、民衆の生活をめちゃくちゃに追い込んでいたのです。

    これは例えば、「大規模な新社屋の建設と、過酷な新規市場開拓を同時に進めたせいで、社員がみんな過労で倒れ、メインの収益事業がストップしてしまう」というブラック企業のような状況です。

    桓武天皇

    ……うーん、確かにこれ以上は無理があるな。よし、民衆を休ませるために、二大事業はここでストップだ! これが俺の『徳政』ってやつよ。

    彼は、未完成だった平安京の西側の工事を中止するなど、大胆な損切りを行いました。

    桓武天皇と二大事業中止の相関図

    桓武天皇・事業継続派の側近・藤原緒嗣・農民たちの人物アイコン入り相関図

    4. 管理体制の「コンプラ強化」アップデート

    事業を中止する一方で、桓武天皇は組織の内部改革も進めました。

    桓武天皇

    地方の支店長(国司)たちが、勝手に公金を横領したり不正をしたりしてるみたいだな。しっかり監視する係の『勘解由使(かげゆし)』を設置して、不正を許さないクリーンな組織にするぞ!

    また、農民からの強制的な徴兵をやめ、郡司の子弟などの精鋭を集めた「健児(こんでい)」というプロの警備隊に切り替えました。

    これは、「ブラックな強制労働をやめ、不正を監視する監査役(勘解由使)を置いてコンプライアンスを強化し、警備も素人集団からプロの警備会社(健児)に委託する」というような、現代的な組織改善です。

    まとめ:桓武天皇の時代の意義

    まとめ

  • 平安京の建設:奈良の勢力をリセットし、約1000年続く日本の都の基礎を作った
  • 蝦夷の服属:坂上田村麻呂を起用し、東北地方まで朝廷のパワーを広げた
  • 徳政の断行:民衆のために「造作・軍事」をストップし、現実的なリーダーシップを見せた
  • 最後に、この「未完成の都」を引き継いだ息子たちが、後に日本最大の「兄弟喧嘩」を始めることになりますが、それはまた別のお話。

    理解度確認テスト

    Q1. 桓武天皇が最初に遷都したものの、建設責任者の暗殺事件などで放棄した都の名前は?


    A. 長岡京

    Q2. 桓武天皇が征夷大将軍に任命し、東北の蝦夷を降伏させるために派遣した将軍の名前は?


    A. 坂上田村麻呂

    Q3. 桓武天皇が地方役人の不正を監視するために新設した役職の名前は?


    A. 勘解由使

    人物対応表

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