歴史・社会の疑問 読了 7分

【鎌倉時代・後醍醐天皇】後大誤算!? 夢見たパラダイスの崩壊

16:9、640×360のブログ用サムネイル画像を作成してください。テーマは「後醍醐天皇の建武の新政と大誤算」です。鎌倉時代末期から建武の新政期の京都を背景に、天皇を示す冠と華やかな装束をまとった後醍醐天皇が、書類の山と崩れかけた会社の看板を前に、理想に燃えた表情から困惑した表情へ変わりかけている構図。周囲には土地の許可を求めて並ぶ武士たち、遠景には京都の御所と不穏な雲を置いてください。画風は手描き風の日本歴史絵巻・和紙調イラストレーション、温かみのある象牙色の紙背景、繊細な焦茶色の墨線、落ち着いた水彩テクスチャー、朱色・藍色・翡翠色・黄土色のアクセント、教育コンテンツ向けで親しみやすい表現。写真的・3D・現代的な建物・ロゴ・透かしを避け、画像内に文字を入れないでください。後処理でタイトルを重ねるため、上部に余白を確保してください。参照画像なし

※「後醍醐(ごだいご)」と「大誤算(だいごさん)」をかけ、理想の政治を追求しすぎて現場の不満を招き、大失敗した様子を表しています。

この人物が政治をしていた時期のイベントについて説明します。タイトルの約束どおり、「社長(将軍)なんかいらねえ! 俺が直接、全部決める!」と意気込んで会社(国)を作り直したものの、現場の不満を無視しすぎて、たった3年で大赤字(倒産)を出してしまった時のお話です。

主役紹介

今からおよそ700年前、鎌倉時代の終わりに日本のリーダーをしていた男性です。 およそ140年以上続いた鎌倉幕府をぶっ倒し、日本に1つしかない「天皇がすべての実権を握る政治」を復活させようとしました。 理想が高すぎて周りがついていけず、日本を2つの勢力に分けて60年も喧嘩させるきっかけを作った、超絶エネルギッシュな革命家です。

登場する地方や国について

平安京、鎌倉、隠岐、吉野、河内
平安京、鎌倉、隠岐、吉野、河内

どのくらいの時代?

後醍醐天皇の時代位置(鎌倉幕府の滅亡から南北朝の始まりまで)
鎌倉幕府の滅亡から建武の新政、南北朝の始まりまでを示す後醍醐天皇の時代年表

その1:武士の会社を倒して「社長(天皇)」復権へ

後醍醐天皇は、リーダーとして動く前にこう考えました。

後醍醐天皇
「最近、鎌倉幕府の連中が天皇の跡継ぎにまで口出ししてきてウザすぎなんだよな。俺は自分の家系で社長(天皇)の座を独占したいし、そもそも武士に指図される筋合いはねえ! だから、こっそり仲間を集めてあの会社(幕府)を倒してやるぜ!」

彼は、武士の政権である幕府から政治の実権を取り戻し、自分一人で国を動かす「親政」を始めるために動き出しました。

これは例えば、「無理やり社長を交互にやるルール(両統迭立)を押し付けられた新社長が、裏でこっそり腕利きのコンサルや用心棒(尊氏・正成)を雇って、自分を縛り付けている警備会社(幕府)との契約を強引に解除(倒幕)しようとしている」ような下剋上です。

家臣
「幕府を倒すなんて無茶ですよ! 相手は喧嘩のプロですよ?」
後醍醐天皇
「今の幕府は不満たらたらでボロボロなんだよ。俺が旗を振れば、みんな付いてくるって!」

なかなか無謀なスタートではありますが、しかし後醍醐天皇はさらにこう考えました。

用語両統迭立りょうとうてつりつ

持明院統と大覚寺統という皇族の二つの系統が、交代で皇位につく取り決めです。鎌倉幕府が朝廷の対立を抑えるために運用しましたが、後醍醐天皇にとっては自分の系統だけで皇位を継ぎたい理想を妨げるルールでした。

その2:面倒な部署を「全廃」してワンマン経営開始

幕府を倒した直後、後醍醐天皇はさらにこう言いました。

後醍醐天皇
「やったぜ! 幕府(鎌倉)も潰したし、これで俺の天下だな。これからは、昔の醍醐天皇みたいに俺一人が全部決める『理想の経営』をやるぞ。武士の会社(幕府)も、サポート役(摂政・関白)も全部廃止だ! 俺の名前も『後醍醐』にして、やる気満々だぜ!」

彼は、鎌倉幕府を滅ぼした直後、天皇が直接政治を行う新しいシステム、「建武の新政」をスタートさせました。

これは例えば、「ライバル会社を倒した社長が、『今日から役員会議も秘書もいらない。全部俺に直接メールしろ!』と宣言して、全社員(民衆・武士)を自分の直属にした」ような極端なワンマン経営です。

役人
「えっ、武士の恩賞(ボーナス)とか、土地の管理はどうするんですか?」
後醍醐天皇
「そんなの俺がその都度決めるからいいんだよ!」

相当な独裁っぷりですが、この理想を掲げた上で、後醍醐天皇はさらにこう考えました。

用語建武の新政けんむのしんせい

鎌倉幕府の滅亡後、天皇が自ら政治を行い、朝廷を中心に国を動かそうとした政権です。古代の政治を理想に掲げた一方、武士が期待した恩賞や土地支配の仕組みをすぐに整えられず、短期間で大きな不満を招きました。

その3:ハンコ1つで「土地」を決める鬼ルール

それを踏まえた上で、後醍醐天皇は驚きのルールを決めました。

後醍醐天皇
「土地の権利関係で揉めてる奴らが多いな。よし、今日から土地の所有を認めるのは、俺が書いた特別なメッセージ『綸旨(りんじ)』がある奴だけにするぞ。俺のハンコがない土地は、全部認めないからな!」

彼は、全国の土地の所有権を証明するために、天皇の個人的な命令書である「綸旨」を絶対のルールとして運用しました。

これは、「全社員のデスクやパソコンの所有権を、社長が自筆で書いた『許可証』がない限り認めないと決め、全社員が社長室の前に長蛇の列を作って業務が止まってしまった」ような大混乱な状況です。

地方の武士
「京都まで行って許可証をもらえって? 行ってる間に土地を奪われちまうよ! 全然仕事が進まねえ!」
後醍醐天皇
「うるせえ、1つずつ順番に書いてるから待ってろ!」

なかなかドン引きの効率の悪さですが、この理想を掲げた上で、現場の不満は爆発しました。

京都に「綸旨」を求めて武士たちが大行列を作り、後醍醐天皇が一人でパンクしながら書類を書いているが、内容は適当で現場が混乱している図
京都に「綸旨」を求めて武士たちが大行列を作り、後醍醐天皇が一人でパンクしながら書類を書いているが、内容は適当で現場が混乱している図
用語綸旨りんじ

天皇が個人の資格で出す命令文書です。建武の新政では土地の安堵や所領の扱いを左右する重要な文書となり、権威を一か所へ集める道具になりましたが、発給を待つ人が集中して現地の紛争をかえって複雑にしました。

その4:現場のエースが「独立」を宣言

この理想を掲げた上で、事態は最悪の結末へと向かいます。

後醍醐天皇
「なんか身内の貴族ばかり優遇してたら、幕府を倒すのを手伝ってくれた武士たちが怒り始めたぞ。おまけに足利尊氏くんまで勝手に新しい武士の会社を作ろうとしてるじゃねえか。アイツをクビ(討伐)にしてやるぜ!」

彼は、武士の不満を代表して立ち上がった足利尊氏と対立し、再び戦争へと突入してしまいました。

これは、「会社のために一番働いた営業エース(尊氏)にボーナスをケチった結果、怒ったエースが顧客(武士)を引き連れて独立し、逆に元の会社を乗っ取りに来た」というような内部分裂です。

足利尊氏
「後醍醐さんは理想ばかりで、俺たち武士の生活(土地)を全然わかってない! もう付き合ってられないぜ!」
後醍醐天皇
「裏切り者は許さねえ! 京都を追い出されても、俺が正しいんだ!」

相当な泥仕合となりましたが、この「ごだいご(後醍醐)」の大誤算こそが、日本を2つに分ける長い戦いへと導きました。

後醍醐天皇と足利尊氏の対立関係図
後醍醐天皇と足利尊氏が南朝と北朝に分かれて対立した関係図

総括

結果:後醍醐天皇は、鎌倉幕府を倒して100年ぶりの「天皇による政治(建武の新政)」を実現させました。しかし、武士の社会の慣習を無視し、自分一人で全てを決めようとした「綸旨(りんじ)」の運用ミスや、身内びいきの政治によって現場の信頼を完全に失い、わずか3年でその政権は崩壊してしまいました。

一方:彼の「諦めないエネルギー」は凄まじく、京都を追われても吉野に逃れて「南朝」を作ることで、その後60年も続く「2つの朝廷がある時代」を作り上げました。彼の行動は、のちの時代の人々に「天皇とは何か」を問い直させ、数百年後の明治維新などの大きな変革期に強い影響を与えることになったのです。

まとめ:後醍醐天皇の意義

最後に、この「終わらない喧嘩」を、孫の足利義満がどうやって力技でまとめるのかは、また別のお話。

この出来事が今後どう評価されるかは、まだ分かりません。 以上、「ごだいご(後醍醐)」に大誤算!? 夢見た「王様パラダイス」の崩壊でした。

理解度確認テスト

Q1. 鎌倉幕府が滅びた後、土地の権利をめぐって都に武士が殺到する原因となった、天皇の許可を示す文書を何といいますか?


A. 綸旨

Q2. 1333年に武士の政権が倒れた後、天皇が役所や武士への恩賞まで直接決めようとした政治を何といいますか?


A. 建武の新政

Q3. 京都を追われた後醍醐天皇が、別の朝廷を開いて南朝の拠点とした地名はどこですか?


A. 吉野

最後に、この「終わらない喧嘩」を、孫の足利義満がどうやって力技でまとめるのかは、また別のお話です。

この出来事が今後どう評価されるかは、まだ分かりません。以上、「ごだいご(後醍醐)」に大誤算!? 夢見た「王様パラダイス」の崩壊でした。

用語対応表

用語建武式目けんむしきもく

1336年に足利尊氏が発表した、武家政権の政治方針を示す文書です。鎌倉幕府の先例を踏まえながら、京都を拠点とする新しい武家政治の方向を示し、室町幕府の基礎につながりました。

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