この人物が政治をしていた時期のイベントについて説明します。母ちゃんは史上唯一の女帝、奥さんは夫を毒殺する悪女。そんな「家庭内サバイバル」に負け続けてしまった、ちょっとお人よしすぎる皇帝の物語をお話しします。
- 母・則天武后に逆らえず、皇帝になった瞬間に「クビ(廃位)」にされた不運
- 奥さんの韋后が暴走し、政治をメチャクチャにされても「忠告」を無視したお人よしな性格
- 信頼していた家族から「毒入りスープ」を飲まされてしまった、あまりに哀れな最期
今からおよそ1300年前(8世紀)、中国の「唐(とう)」という大きな帝国で活躍した(させられた)リーダーです。史上最強の母と、史上最凶の妻という二人の女性に振り回され、皇帝の座を追われたり復帰したりを繰り返しました。広大な帝国を支配するトップでありながら、実権を握れたのは合計してもわずか「5年」ほどという、世界史きっての「飾り物の皇帝」です。
登場する地方や国について

どのくらいの時代?
「唐の混乱期(武韋の禍)の時代(656年~710年)」
母が最強のラスボス!? 皇帝になった瞬間にクビ宣告
まずは、中宗が皇帝という最高位につきながら、お母さんに一瞬で引きずり降ろされた驚きのエピソードから見ていきましょう。
今からおよそ1300年前、唐の第4代皇帝として即位した中宗でしたが、その天下は長く続きませんでした。彼の実の母親である「則天武后(そくてんぶこう)」が、あまりにもパワフルすぎたのです。彼女は自分が政治の主導権を握るため、即位からわずか「6週間」しか経っていない中宗を強引に引きずり降ろし、地方へ追放してしまいました。その後、彼女は中国史上唯一の「女帝」として君臨することになります。
これは例えば、学校の生徒会長に選ばれて「さあ頑張るぞ!」と意気込んでいた初日に、厳しいお母さんが乗り込んできて「『あんたじゃダメ! 私が代わりに会長をやるから、あんたは隣の県の学校に転校しなさい!』」と無理やり辞めさせられたような状態です。現代で言えば、まさに「親の独断による強制的な退職と左遷」といった感じですね。

なかなか衝撃的なスタートではありますが、こうして中宗は、皇帝の座を追われて長い「不遇の時代」を過ごすことになりました。
やっと戻った皇帝の座! でも次は「妻」が暴走中
それを踏まえた上で、母・則天武后が亡くなったあと、中宗は再び都に戻って皇帝の座に返り咲きます。しかし、そこには新たなトラブルが待っていました。
中宗は人が良すぎたのか、それとも苦労が多すぎて疲れていたのか、妻である韋后のわがままを何でも聞いてしまいました。韋后はかつての則天武后に憧れ、自分の身内を政府の要職にズラリと並べて、政治をメチャクチャにし始めたのです。中宗は皇帝でありながら、実権をすべて奥さんに握らせてしまう「飾り物」の状態になってしまいました。
これは例えば、ようやく復帰した社長が、奥さんに「『会社の役員は全部私の親戚にするから、あなたは黙ってハンコだけ押しててね』」と言われ、「『うん、君が幸せならそれでいいよ』」と会社の経営を丸投げしてしまったようなものです。現代で言えば、まさに「公私混同がすぎるファミリー経営」の末期症状ですね。

周りからの「忠告(ちゅうこく)」をのんびりスルーし続けた中宗でしたが、このお人よしな態度が、やがて取り返しのつかない悲劇を招くことになります。
愛のスープは毒の味!? 信頼していた家族に裏切られた最期
それを踏まえた上で、中宗の人生は、信じられない形で幕を閉じることになります。
710年、中宗は妻の韋后(いこう)と、自分の娘によって毒殺されてしまいました。韋后は、かつての則天武后と同じように自分が皇帝として君臨することを企んでいたのです。中宗は「優しすぎるお人よし」であったがゆえに、身内の野心に気づくことができず、命まで奪われてしまうという、中国史上でも稀に見る哀れな最期を遂げました。
これは例えば、「経営難の会社をなんとか支えていた社長」が、「自分が社長になりたいから」という理由で、信頼していた奥さんにこっそり「毒入りの食事」を出されてしまったようなものです。現代で言えば、まさに「信頼という名のセキュリティホールを家族に突かれた、悲劇の乗っ取り事件」といったところですね。
なかなか救いようのない展開ではありますが、この大ピンチの瞬間に、ついに唐の未来を救う「ヒーロー」が立ち上がります。
不運の連鎖「武韋の禍(ぶいのい)」! 唐のピンチを救ったのは誰だ
この理想を掲げた上で、中宗の甥である若いリーダーが、ついに決断を下しました。
中宗の死後、韋后が実権を握ろうとしたその矢先、中宗の甥である「李隆基(りりゅうき)」がクーデターを起こしました。彼は圧倒的なスピードで韋后一族を一掃し、唐の政治を正常な状態に戻したのです。則天武后から韋后へと続いた、女性たちが政治を混乱させた約半世紀のトラブル期間を、歴史用語で「武韋の禍(ぶいのい)」と呼びます。
これは例えば、「身内の権力争いで倒産寸前になった大企業」に、若くて優秀な「創業家出身のエリート」が乗り込んできて、悪徳経営陣を全員クビにし、一気に業績を「V字回復」させたようなものです。現代で言えば、まさに「最強の経営コンサルタント兼リーダーによる、起死回生の再生ドラマ」ですね。
なかなかにドラマチックな逆転劇ですが、この李隆基こそがのちに「玄宗(げんそう)」として即位し、唐の歴史上で最も繁栄した時代をつくり上げることになります。中宗の悲劇は、皮肉にも次の大繁栄のための「夜明け前の暗闇」となったのでした。
総括
結果:中宗は、則天武后による廃位というどん底を経験しながらも、一度は皇帝の座に返り咲くという粘り強さを見せました。しかし、本人の狙いであった「平和な家族経営」という理想は、身内の野心によって完全に裏切られました。710年に妻の韋后によって毒殺されるという悲劇的な結末を迎え、皇帝としての実権をまともに握れたのは、一生を通じてわずか数年という、当初の目的とは程遠い現実となりました。
一方:中宗の死と韋后の暴走という「最悪の混乱」があったからこそ、李隆基(玄宗)という救世主が登場し、唐の政治を劇的にリセットするきっかけとなりました。彼の「お人よし」な性格が招いた大混乱が、結果として唐の黄金時代である「開元の治」を呼び込むための強烈な反省材料になったとも言えます。彼の犠牲の上に、唐の再興という道が拓かれたのは、歴史の皮肉といえるでしょう。
- 身内に振り回された生涯:史上最強の母(則天武后)に追われ、史上最凶の妻(韋后)に毒殺された、不運な皇帝だった。
- 「武韋の禍」のクライマックス:則天武后から始まった女性の政治介入がピークに達し、唐の基盤が最もグラグラになった時期を象徴している。
- 玄宗の繁栄へのバトン:中宗の死による大混乱を李隆基(玄宗)が力ずくで終わらせたことで、唐は再び黄金時代へと向かうことになった。
理解度確認テスト
Q1. 則天武后や韋后によって唐の政治が大混乱した、約半世紀にわたるトラブル期間を何といいますか?
A. 武韋の禍(ぶいのい)
Q2. 則天武后に憧れて、夫である中宗を毒殺してまで権力を握ろうとした皇后は誰ですか?
A. 韋后(いこう)
Q3. 韋后の一族を倒して混乱を終わらせ、のちに「玄宗」として唐の黄金時代を築いた人物は誰ですか?
A. 李隆基(りりゅうき)
中宗が命がけ(?)で引き受けた唐の大混乱は、若き李隆基の手によって劇的なフィナーレを迎えました。ここから唐は、世界中から人が集まる最高にオシャレな「黄金時代」へと突入していくのですが……その輝かしいお話は、また別の機会にいたしましょう。
以上、【唐時代・中宗】中宗の「忠告(ちゅうこく)」無視して毒入りスープ!? 家族が怖すぎる哀れな皇帝でした。
用語対応表
- 唐 → 隋のあとに成立した、約300年続いた中国の安定した大帝国。
- 則天武后 → 唐の高宗の皇后で、中国史上唯一の女帝となった人物。中宗の母。
- 韋后 → 中宗の皇后。則天武后をモデルに権力を握ろうとし、夫を毒殺した。
- 李隆基 → 中宗の甥。のちの玄宗皇帝。韋后一族を倒し、唐の最盛期を築いた。
- 武韋の禍 → 則天武后(武氏)と韋后(韋氏)により政治が混乱した約半世紀の期間。