歴史・社会の疑問 読了 8分

【中国戦国時代・孝公】孝公(こうこう)と、後攻(こうこう)からの、逆転劇

この人物が政治をしていた時期のイベントについて説明します。紀元前403年に「戦国時代」が始まり、中国全土が弱肉強食の戦乱に明け暮れる中、西の端っこでバカにされていた弱小国がいかにして最強へと駆け上がったのか、その大逆転のドラマを見ていきましょう。

★ この記事でわかること

  • 文化が遅れた「弱小国」だった秦が、なぜ急激にパワーアップできたのか
  • 有能な「コーチ」を天下から募集した「求賢令(きゅうけんれい)」の衝撃
  • 国を一つの巨大な「戦争マシーン」へと改造した、商鞅(しょうおう)の変法

孝公はどんな人?

今からおよそ2300年前、中国戦国時代の秦(しん)の君主です。他国に領土を奪われ、文化も遅れているとナメられていた秦を立て直すため、身分に関わらず有能な人材をスカウトする大勝負に出ました。天才・商鞅(しょうおう)を右腕に据えて法による大改革を行い、後に始皇帝が天下を統一するまでの「140年」にわたる秦の黄金時代のレールを敷いた、逆転のリーダーです。

登場する地方や国について


戦国時代の勢力図(紀元前260年頃)
紀元前260年頃の戦国七雄と周辺地域を示した中国勢力図

この人物が生きた時代について

西の弱小国「秦」の劣等感と野望

孝公
今の秦、マジでダサくね? 「戦国時代」が始まって周りの国はガンガン強くなってるのに、うちは「野蛮な田舎者」ってバカにされて、土地まで奪われてるし。誰でもいいから、うちを最強にしてくれるヤバい奴、来いよ!

紀元前403年に「戦国時代(せんごくじだい)」が始まって以来、中国は弱肉強食のサバイバル状態でした。これは周の王様の権威が完全になくなり、有力な7つの国が天下を争うようになったことが原因です。西の端にあった秦は、文化が遅れている「弱小国」とみなされ、他の中央の大国たちからは仲間外れにされていました。孝公はこの屈辱を晴らすため、身分に関係なく有能な人材を募集する「求賢令(きゅうけんれい)」を出しました。

用語戦国時代せんごくじだい
紀元前403年から始皇帝が中国を統一するまでの戦乱期です。有力な7つの国(戦国の七雄)が自国の強化と天下統一を目指して激しく争いました。

これは例えば、スポーツテストでいつも最下位でクラスの鼻つまみ者だった子が、「俺を運動会のスターにしてくれるなら、誰の弟子にでもなる!」と全校生徒に呼びかけるようなものです。孝公は、国の滅亡を防ぐためには、秦を根本から作り変えるしかないと考えたのです。

保守的な家臣
王様、よその国の怪しい奴を招き入れるなんて危険すぎますよ。秦には秦の伝統があるんですから、今まで通りのやり方で頑張りましょうよ。

なかなか頑固な反対ではありますが、孝公は伝統よりも実利を選びました。これが功を奏して、秦は後に天下を飲み込むほど強大になっていくことになります。

REL-01
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変人? 天才? 商鞅(しょうおう)との出会い

この理想を掲げた上で、孝公のもとにある男がやってきました。

商鞅
王様、秦が弱い理由は簡単っすよ。みんな「なんとなく」で動いてて、ルールがガタガタだからです。王様の「徳」なんて曖昧なものに頼らず、ガチガチの「法律」で国を回しましょう。

呼びかけに応じて隣の魏(ぎ)という国からやってきた「商鞅(しょうおう)」という男は、「法家(ほうか)」という非常にクールな考え方の持ち主でした。彼は、リーダーの気分や優しさではなく、文書に記された厳格な法律によって、国民全員を機械のように動かすべきだと提案したのです。

用語法家ほうか
君主の徳や優しさではなく、厳格な「法」と賞罰によって国を治めるべきだと説いた思想家グループです。商鞅はその代表的な実務家です。

これは例えば、練習メニューが適当で負け続きだった野球部に、「明日から一秒の遅刻も許さない。メニューを完璧にこなした奴だけをレギュラーにする」という冷徹なプロコーチがやってくるような感覚です。孝公はこの男の「理屈」に、秦が逆転する唯一の希望を見出しました。

保守的な家臣
法律で縛り付けるなんて、国民が反発して逃げ出しますよ! そんな血も涙もないやり方、秦には似合いません!

なかなか激しいバッシングですが、孝公は商鞅を信じて「国家の大改造」を任せる決断を下しました。しかし、いきなり改革を始める前に、商鞅はまず「国への信頼」を築くことから始めました。

まずは信用! 「三丈の木」のデモンストレーション

それを踏まえた上で、商鞅はひとつのパフォーマンスを仕掛けました。

商鞅
いきなり新しい法律を出しても、誰も信じないだろうな。よし、まずは「国(政府)の言うことは絶対にウソじゃない」ってことを分からせてやるわ。誰か、この木を運ぶだけで「大金」がもらえるって聞いたらどうする?

商鞅は都の門に巨大な木を立て、「これを反対側の門まで運んだら、金10枚をやるぞ」という立て札を出しました。あまりにも簡単すぎて誰も信じませんでしたが、ひとりの男が半信半疑で運んでみると、商鞅は本当に約束通りの金を支払いました。これによって民衆は、「新しい法律や約束も本当かもしれない」と考えるようになったのです。

これは例えば、「このアンケートに答えるだけで、本当に100万円振り込みます」という怪しい広告に対し、実際に受け取った人が出たことで、一気にその会社の信頼度が上がるようなものです。商鞅は、法律を機能させるための「信用」という土台を、わずかな金で手に入れたのです。

民衆
えっ、マジで金もらえたぞ! あの新しい大臣、やることは変だけど約束は守る奴みたいだ。これからは、国が出す「新しいルール」もしっかり聞いたほうがいいかもな。

なかなか効果的なパフォーマンスですが、こうして民衆を納得させた上で、商鞅はいよいよ秦の骨組みを完全に破壊して作り直す、恐ろしい改革へと乗り出します。

FIG-01
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信賞必罰! 法による国家大改造

この信頼を勝ち取った上で、孝公と商鞅は本格的な大改造を開始しました。

商鞅
王様、信頼はゲットしました。次は本番の「国づくり」です。身分なんて関係ありません。農業を頑張って米をたくさん作った奴と、戦争で敵の首をたくさん取ってきた奴だけを出世させましょう。文句を言う貴族は、たとえ王族でも容赦なく「お仕置き」です。

信頼を勝ち取った孝公と商鞅は、秦の国を根本から作り変える大規模な改革「変法(へんぽう)」をスタートさせました。その中心は、家柄ではなく本人の手柄で評価する「実力主義」の徹底です。農業や戦争で成果を出せば身分を上げ、逆にルールを破れば誰であろうと厳しく罰する「信賞必罰(しんしょうひばつ)」を突き通したのです。

用語変法へんぽう
商鞅が行った、秦の国力を高めるための大規模な法的改革です。古い特権を奪われた貴族たちの反発を招きましたが、秦を最強国家へと成長させました。

これは例えば、それまで社長の親戚というだけで偉そうにしていた役員を全員クビにして、「営業成績がトップの社員だけを部長にする。遅刻した奴は一発でクビ」という超スパルタな社内ルールを導入するようなものです。この徹底ぶりによって、秦の国民は「法を守って手柄を立てること」に全力を注ぐようになり、国全体がひとつの巨大な「戦争マシーン」へと変貌していきました。

保守的な家臣
商鞅の野郎、やりすぎだ! 王族の教育係まで罰するなんて、いくらなんでも「血も涙もない」。王様、このままでは秦の伝統が壊れてしまいますぞ!

なかなかドン引きな厳しさではありますが、孝公は最後まで商鞅をバックアップし続けました。商鞅は期待に応え、咸陽(かんよう)への遷都や中央集権化を進め、秦を最強の国へと導きました。

総括

結果:孝公は、隣国から招いた商鞅とともに「法による大改造」を行い、秦を中国で最も規律正しく、かつ強力な軍事大国へと変貌させることに成功しました。もともとナメられていた弱小国が、実力主義と厳格なルールによって、他の大国を震え上がらせるほどのパワーを手に入れたのです。当初の「秦を強くして他国を見返す」という目的は、天下統一への確かな土台を築くという最高の形で結実しました。

一方:あまりにも厳しすぎる法律は、人々の自由を奪い、違反者への残酷なお仕置きや連帯責任を生むことにもなりました。商鞅の改革は非常に効果的でしたが、国民がつねに「監視されている」という強いプレッシャーの中で暮らす社会をつくり上げてしまったという、負の側面も併せ持っていたのでした。

まとめ

  • 実力主義の先駆け:家柄ではなく、農業や戦争での「手柄」で人を評価するシステムを確立し、国全体のやる気を引き出しました。
  • 法治主義の確立:王の気分ではなく、厳格な「法律」ですべてを動かす国家運営のスタイルをつくり上げました。
  • 統一へのレール:都を咸陽(かんよう)に移し、中央集権化を進めたことで、のちの「始皇帝」による中国統一への最短ルートを敷きました。

理解度確認テスト

Q1. 孝公の呼びかけに応じ、法に基づく厳格な政治を行って秦を強大化させた、魏出身の天才政治家は誰ですか?


A. 商鞅

Q2. 孝公が建設し、秦の政治の中心地として以後、始皇帝による統一まで都となった都市はどこですか?


A. 咸陽

Q3. 有能な人材には褒美を与え、法を破った者には例外なく罰を与えるという、商鞅が徹底した法治主義の原則を何といいますか?


A. 信賞必罰

孝公が敷いた強国のレールは、その後の秦の王たちによって大切に引き継がれていきました。法によってガチガチに固められた秦の「逆転劇」が、140年後に中国全土を飲み込む巨大な嵐となって吹き荒れることを、ライバル国たちはまだ予感できていなかったのでした。

以上、【中国戦国時代・孝公】孝公(こうこう)と、後攻(こうこう)からの、逆転劇でした。

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