歴史・社会の疑問 読了 5分

奈良時代の田んぼの法律の流れをストーリーにしてみる

「土地はみんなのもの」から「俺の土地」へ。奈良時代の田んぼをめぐる法律は、なかなかドラマチックな流れをたどります。教科書で出てくる用語をなるべく原型のまま、登場人物の独り言だけで進めてみました。

★ この記事でわかること

– 公地公民制と班田収授法は、何を目指して何が起きたのか
– 三世一身の法と墾田永年私財法のちがい
– なぜ「荘園」という大私有地が生まれたのか

第一幕:理想の幕開け ― 公地公民の宣言

FIG.1 — 公地公民:土地も民も、すべて天皇に集約

公地公民:土地も民も、すべて天皇に集約
中大兄皇子

豪族たちがバラバラに土地と民を抱え込んでいるのを、見ていて疲れた。
ぜんぶ天皇のもの、ということで整理することにする。
これを公地公民、ということにする。
役人

というわけで、6歳以上の男女に口分田を配ります。
死んだら国に返していただきます。班田収授法、と申します。
代わりに、租・庸・調を納めていただきます。
補足
租・庸・調・雑徭とは

  • :その年にとれた稲のうち、およそ3%を地方の役所に納める税
  • :年に10日、都で労働する義務。都まで行けない場合は布で代納
  • 調:絹・糸・布、または地方の特産物(海産物など)を納める税
  • 雑徭:地方で年60日まで課される労働

平民

思ったよりだいぶ多い。

第二幕:忍び寄る危機 ― 逃げ出す農民

FIG.2 — 国の田んぼから、有力者の私領へ逃げ込む農民

国の田んぼから、有力者の私領へ逃げ込む農民
平民

米はまだいい。問題は、布の調達、特産物の調達、都までの往復、地元での労働。
体はひとつしかない。
平民

与作のやつ、村を捨てたらしい。
山向こうの長者様の私領に逃げ込めば、税が免除されるとかで。
……まあ、そうするよな、普通。
役人

人口は増えているはずなのに、配るべき口分田が足りない
逃げた農民の田は荒れる、人は有力者の私領に流れる、税が入らなくなる。
順を追って悪化している。

第三幕:迷走する政府 ― 期間限定の私有

FIG.3 — 三世一身の法:本人・子・孫まで私有、ひ孫の代で国へ返す

三世一身の法:本人・子・孫まで私有、ひ孫の代で国へ返す
役人

とりあえず、百万町歩開墾計画を発表してみた。
百万町歩、新しく開墾する。壮大な目標である。
役人

具体的な手順を、何も決めていなかった。
当然、何も進まなかった。
役人

気を取り直して、三世一身の法を出してみよう。
新しく水路を引いて開墾した田は、本人・子・孫の三代まで私有してよい、ということにする。
これで張り切って開墾してくれるはず。
平民

三代までってことは、ひ孫の代には国に返すんだろう。
じゃあ晩年になるほど、手をかけても損だな。
どうせ返すんだから、最後のほうは雑草に任せておくか。
役人

開墾された田が、また荒れている。
なぜなんだろう、本当に。

第四幕:運命の転換点 ― 墾田永年私財法

FIG.4 — 墾田永年私財法(743年):開墾地は永久に私有OK

墾田永年私財法(743年):開墾地は永久に私有OK
聖武天皇

もう、永遠でいい。
役人

と申しますと。
聖武天皇

自分で開墾した田は、本人のものとしてよい。
期限はなし。子も孫もひ孫も、その先も、ずっと。
墾田永年私財法。743年から、そういうことにする。
役人

公地公民は……
聖武天皇

税さえ入れば、もういい。
役人

……承知いたしました。

第五幕:結末 ― 荘園の誕生と小作人

用語荘園しょうえん

墾田永年私財法をきっかけに、貴族・大寺社・地方豪族などが大規模に開墾して所有した私有地のこと。8世紀から9世紀にかけて発生したものを特に初期荘園(しょきしょうえん)と呼ぶ。所有者は労働者(小作人)や周辺の農民を使って耕作させ、収穫の一部を取り上げて経営した。やがて貴族・寺社の経済基盤となり、中世まで続く長い荘園時代の出発点となった。
FIG.5 — 荘園と小作人:富める者が土地を広げ、貧しい者は労働者になる

荘園と小作人:富める者が土地を広げ、貧しい者は労働者になる
貴族・大寺社

永遠に、自分のもの、ということになった。
おい、人を集めろ。山を切り拓け。水路を通せ。
全部、うちの荘園にしていい。
平民

お貴族様とお寺様、急に活気づいたな。
俺は種籾を買う金もないので、開墾なんてとても無理である。
明日の飯の話をしているところに、開墾の話を持ち込まないでほしい。
平民

結局、じいさんから受け継いだ小さな田んぼも、手放した。
これからは、お貴族様の荘園で働く小作人をやらせていただく。
役人

気がつくと、国の田より、貴族や寺の荘園のほうが大きい。
税は……まあ、入っている。
入ってはいるが、これは誰の国だったろうか。

エピローグ ― そして中世へ

「土地はみんなのもの」と高らかに宣言したはずが、ふと気がつくと、

持っている人が、もっと持つ。
持っていない人は、小作人。

という、どこかで見たような景色になっていました。このとき生まれた「俺の土地」という感覚が、そのまま中世の長い荘園時代へと続いていきます。

歴史というのは、こういう流れになりがちですね。

まとめ

大化の改新で打ち出された公地公民は、土地と民を天皇のものとする理想だった
– 重い税負担で農民が逃げ、口分田不足が起きると、政府は三世一身の法墾田永年私財法と、私有を段階的に認めていった
– 結果、資金力のある貴族・大寺社が大規模開墾を行い荘園を広げ、貧しい農民は小作人へと転落していった
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